がんは、遺伝子が傷ついて不死細胞ができる
「遺伝子の病気」ですが、「遺伝する病気」とは言えません。
実際、遺伝はがんの原因の5%程度にすぎませんから、
「ほとんどは遺伝しない」のです。
「両親ともがんだ」と聞けば、「がん家系」のような気がしますが、
一生の間に男性の3人に2人、女性の2人に1人が何らかの
がんにかかるのですから、けっして珍しいケースではないのです。
まったく同じ遺伝子を持つ一卵性双生児でも、同じがんにかかる
確率は1割程度にすぎません。
逆に、長い時間をともに暮らす夫婦は、同じがんにかかりやすい
傾向があります。
とくに、肺がんや胃がんでは、夫婦ともに発生する確率が
高いことが分かっています。
家庭内での喫煙や塩分の高い食事の影響があると思います。
がんの原因の半分以上は生活習慣にありますから、
社会のあり方や生活の変化によって、多いがんの種類も
変わってきます。
たとえば、最近、韓国に抜かれましたが、日本は長い間、
世界一の「胃がん大国」でした。
今でも、 罹患りかん 数では、大腸がんに次いで2位です。
一方、白人の胃がん発生率は、日本人の10分の1程度で、
米国では白血病を下回ります。
しかし、その米国でも、1930~40年代は胃がんがトップで、
今の日本並みに発生率が高い時代がありました。
現在の日米の「胃がん格差」は、民族差によるものでは
ないのです。
ハワイやブラジルなど、海外に移住した日系人は、日本人の
遺伝子を持っています。
しかし、かかりやすいがんの種類は、日本に住む私たちと大きく
異なります。たとえば、乳がんは、わが国でも増えているものの、
依然として欧米と比較すれば罹患率、死亡率ともに半分にも
満たない低さです。
しかし、ハワイやブラジルの日系人の罹患率は、 日本国内の
2~5倍に達します。動物性脂肪などが多い西洋的な食生活が、
海外の日本人に乳がんを増やしたと考えられています。
逆に、ハワイヘ移住した日本人では、胃がんの発生率は
大幅に低くなっています。
塩分の少ない食事に変わったことが原因でしょう。
一方、ブラジルの日系人では、国内とほとんど変わっていません。
ハワイとの差は、塩分の多い日本的な食生活を、移住先でも
続けたかどうかによるものだと思います。
がんの発生原因には、喫煙、飲酒、食事、塩分過多、運動不足
などがあります。
とくに影響が大きいのは、喫煙(がんの原因のトップ)と飲酒。
そのほか、ピロリ菌感染やヒトパピローマウイルスなどに感染して
いるかどうかも重要です。
そして、男性のがんの約6割、女性のがんの約3割が予防
できるとみられています。
家系による発がんも、全体の5%程度ですが、確かに存在します。
たとえば、ハリウッドスターの女優アンジェリーナ・ジョリーさんは、
遺伝子検査(血液検査で簡単に分かります)でその異常を知り、
両方の乳腺組織と卵巣を予防的に切除しています。 …
お母さんが帰ってくる!
一ヶ月近く入院生活を送っていたお母さんが戻ってくる。
お母さんが退院する日、ぼくは友だちと遊ぶ約束もせず、
寄り道もしないでいちもくさんに帰宅した。
久しぶりに会うお母さんとたくさん話がしたかった。
話したいことはたくさんあるんだ。
帰宅すると、台所から香ばしいにおいがしてきた。
ぼくの大好きなホットケーキのはちみつがけだ。
台所にはお母さんが立っていた。
少しやせたようだけど、思っていたよりも元気そうで
ぼくはとりあえず安心した。
「おかえり」いつものお母さんの声がその日だけは特別に
聞こえた。
そして、はちみつがたっぷりかかったホットケーキがとても
おいしかった。
お母さんが入院する前と同じ日常がぼくの家庭にもどってきた。
お母さんの様子が以前とちがうことに気が付いたのはそれから
数日経ってからのことだ。
みそ汁の味が急にこくなったり、そうではなかったりしたので
ぼくは何気なく「なんだか最近、みそ汁の味がヘン。」
と言ってしまった。
すると、お母さんはとても困った顔をした。
「実はね、手術をしてから味と匂いが全くないの。だから、
料理の味付けがてきとうになっちゃって・・・」
お母さんは深いため息をついた。
そう言われてみると最近のお母さんはあまり食事をしなくなった。
作るおかずも特別な味付けが必要ないものばかりだ。
しだいにお母さんの手作りの料理が姿を消していった。
かわりに近くのスーパーのお惣菜が食卓に並ぶようになった。
そんな状況を見てぼくは一つの提案を思いついた。
ぼくは料理が出来ないけれどお母さんの味は覚えている。
だから、料理はお母さんがして味付けはぼくがする。
共同で料理を作ることを思いついた。
「ぼくが味付けをするから、一緒に料理を作ろうよ。」
ぼくからの提案にお母さんは少しおどろいていたけど、
すぐに賛成してくれた。
「では、ぶりの照り焼きに挑戦してみようか」お母さんが言った。
ぶりの照り焼きは家族の好物だ。
フライパンで皮がパリッとするまでぶりを焼く。
その後、レシピ通りに作ったタレを混ぜる。
そこまではお母さんの仕事。
タレを煮詰めて家族が好きな味に仕上げるのがぼくの仕事。
だいぶ照りが出てきたところでタレの味を確かめる。
「いつもの味だ。」ぼくがそう言うと久しぶりにお母さんに
笑顔が戻った。
その日からお母さんとぼくの共同作業が始まった。
お父さんも時々加わった。
ぼくは朝、一時間早起きをして一緒に食事を作るようになった。
お母さんは家族をあまり頼りにしないで一人でなんでも
やってしまう。でもね、お母さん、ぼくがいるよ。
ぼくはお母さんが思っているよりもずっとしっかりしている。
だから、ぼくにもっと頼ってもいいよ。ぼくがいるよ。
いつか、お母さんの病気が治ることを祈りながら
心の中でそうくり返した。 …