貧者の一灯 ブログ

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貧者の一灯・一考編

2022年04月02日 | 流れ雲のブログ























彼女がホストの神奈川テレビの番組に2度招かれた。

その時のことを話していたら、早野が「だんだん不愉快になるな」
と冗談まじりに言う。

岸と最初に対談したのは集英社で出していた『BART』という
雑誌で1994年である。この時は横浜の岸宅に招かれ、
手料理をごちそうになった。

その5年後、『パンプキン』(潮出版社)でやっていた私が
ホストの対談に来てもらったが、その時、私は「対談前記」
にこう書いた。

『雪国』の駒子に扮した岸さんをスクリーンの中に見たのは
いつのことだったか。いずれにせよ、遠い人だった。

その遥かなスターを身近に感じたのは、岸さんのエッセイ集
『巴里の空はあかね雲』(新潮社)を読んでからである。

そこには、才気だけの人でもない、美貌だけの人でもない
岸さんがいた。まさに体当たりの取材で書いた岸さんの
『ベラルーシの林檎』

朝日新聞社は、日本人の閉鎖性を開く見事なテキストブックだ
と思うが、それを読んで私は是非にと対談を申し込んだ。

そのときは自宅に招いてもらって、手料理までごちそうになった。
はじけるような岸さんの元気はまったく変わっていない。

日本人のやわさ、愚かさを突く舌鋒の鋭さも変わっていないが、
これからは日本にとどまって、この国の危うさを指摘してほしい。

対手に与える効果は大きいだろうから」それに対する岸の
「対談後記」がこうである。

「何年か前、佐高信さんにお逢いすると言ったら、
『ア、怖い人ですよ』と2、3人の人が言った。
『ア、凄くいい人ですよ』と1人の人が言った。どう怖いんだか、
どういいんだかの説明はない。

その方がいい。内容説明の曖昧な人物評なんか、どうせ私は
信じないんだから……。

お墨付を絶対に疑ってかかる人。
真っ直ぐな視線を相手の心におとす人。
お逢いするたびに、はじめの謎が少し解け、
また新しい謎が生まれ、私は目を凝らす。

グレイのシルエットの中にはじける笑いが清々しい……」

小津安二郎はこう評した「岸恵子は良いよ。身持が悪くって」

河野洋平の父親の党人政治家、河野一郎は本気で女優の
高峰秀子をフランス大使にしようとしたらしいが、私は
田中秀征との対談で岸を外相に推したことがある。

岸は24歳でパリへ渡った。

映画監督のイヴ・シャンピと結婚するためだったが、
シャンピは岸の「日本恋し病」に手を焼き、

「君は切り花の状態で来てしまったんだね。
せめて鉢植えで来てほしかった」と嘆いたという。

映画監督の小津安二郎を描いた高橋治の『絢爛たる影絵』に小津が
「岸恵子は良いよ。身持が悪くって」と評したという場面が出てくる。
これに続けて高橋は書く。

これも額面通りに受け取ると間違う。小津流のアフォリズムで、
岸が恋多き女といわれることを踏まえている。

むしろ、満悦の上で吐いた最高の評価と受けとった方が正しい。

原節子、つまり清純という場でしか女を描けなかった小津が、
原節子には望めない豊かな可能性を岸に見出したのだ」
それだけに岸がフランスへ行ってしまうのが残念でならなかった。

「何故、そんな遠いとこへ行っちゃうんだい」と岸に言う一方で、
小津は「日本の男どもは一体なにをしてるんだ。ラムネの球
みたいな眼玉をした男に岸をとられて」と怒った。

「切り花の状態」でフランスへ渡った岸はしばしば帰国した。

帰って来ると小津に呼び出される。池部良なども駆り出された。
ある時、酔って横浜のニューグランドホテルの前を歩きながら
岸が「先生、もう、ここに寝ましょうよ」と叫んだ。

そして、いきなり路上に横たわる。「寝るか、おう、よしよし」と
小津も巨体を横たえた。池部らも続く。

迷惑したのはトラックだった。何台も並んでクラクションを鳴らす。

仕方なしに小津が起き上がり、「小津安二郎と岸恵子が仲良く
寝てるんですが、やはり起きなきゃダメですか」と言った。

1959年に岸が帰国した時、小津は「なあ恵子ちゃん、
いつになったら帰って来るんだい」と聞いた。

これには岸も驚いて、「あら先生、私まだ離婚もしてないのよ」
と月並みな返事をした。

それに対して「ああ、そうだったね」と小津は答えながら、
そんなことを聞いてるわけじゃないという顔をしたという。

「欠点があっても、愛さずにはいられない」  

『パンプキン』の対談で、私が「岸さんは日本とフランスの両方を
体験されているわけですけれど、フランスでは、いろいろ批判が
あってあたりまえでしょ?」と切り出すと、

岸は、「日本には批判がなさ過ぎます。だから、この国には
革命なんて起こり得ないでしょうね」とズバッと返した。

娘もストレートのようで、「日本は国中がディズニーランドだ」と
難じているという。

娘の子ども、つまり、孫が幼かった時、かわいくてたまらない岸は、
ある時、チューインガムをあげた。

ところが、孫が「もう1つちょうだい」とねだる。それでまたあげたら、
飲み込んでしまった。

あわてている岸に娘が凄い剣幕で「いくつあげたの」と詰問する。
あまりに恐くて岸は「1つ」と嘘をついたという。

「あー、私、日本の悪口を言い出したら3日3晩かかりそう」
と笑った岸は、「でもね、それ自分の国だから夢中になるんです」
と続け、

「むしろ、欠点があっても、口惜しいけど、愛さずには
いられないんですよね」と結んだ。 …















月三回、半年間の中で、作家、寮美千子さんによってなされた
絵本と詩の授業で、少年たちのドラマのような変化(成長)が
生まれてくるのです。





教室の生徒は、殺人や性犯罪、薬物使用など重大事件を起こして
実刑判決を受けた未成年の子たちです。

学校にはほとんど通っておらず、文字を書くことにまったく
慣れていません。

絵本を使った授業をした後、いよいよ詩を書いてもらう段階に
なって寮美千子さんは言いました。

「何を書いても構いません。書くこと見つからなかったら、
好きな色について書いてきてください」

無口で武骨な感じのAくんは「金色」というタイトルで
書いてきました。

金色は 空にちりばめられた星
金色は 夜 つばさをひろげ はばたくツル
金色は 高くひびく 鈴の音

ぼくは金色が いちばん好きだ
金色から「ちりばめられた星」「(夜空に)つばさを
ひろげはばたくツル」

「高くひびく鈴の音」を想像する感性の豊かさに驚かされます。

Bくんは「黒」というタイトルでした。

ぼくは黒が好きです
男っぽくて カッコイイ色だと思います
黒は不思議な色です
人に見つからない色
目に見えない闇の色

少しさみしい色だな思いました
だけど 星空の黒はきれいで さみしくない色です

「黒」という「不思議な色」に自分の心を反映させながら
詠んでいるような深みのある詩だと思います。





たった一行の詩を書いた子(Cくん)もいました。
くも…空が青いから白をえらんだのです

実に詩的な表現だと寮さんは思いました。
後でわかったのですが、この一行の詩には、Cくんの過去の
出来事と思いが凝縮されていたのです。

Cくんには薬物中毒の後遺症がありました。
そのため、ろれつもはっきりしません。
頭には父親から金属バットで殴られた傷跡があります。

虐待され、親から否定され続け、自分に自信が持てないから、
いつも下を向いています。

詩を読んでもらったときも、声が小さくて早口で何を言って
いるのか聞き取れません。

「ごめんね、よく聞こえなかった。
悪いけれど、もう一度読んでくれいないかな」

何度も繰り返し、ようやく顔を上げて、聞き取れる声で
言葉を発してくれました。

「空が…青いから…白を…えらんだのですっ」

息を詰めるように聞いていた仲間たちが、ほっとして
一斉に拍手をしました。

すると、Cくんは、「せ、先生…、あ、あの、ぼく、話したいことが
あるんです。話してもいいですか」と言い出しました。

そして、どもりながら、つっかえながら、次のようなことを
語り始めたのです。

「ぼくのお母さんは、今年で七回忌です。

お母さんは体が弱かった。
けれども、お父さんはいつもお母さんを殴っていました。

ぼくは小さかったのでお母さんを守ってあげることが
できませんでした。

お母さんは亡くなる前、病院でぼくにこう言ってくれました。
『つらくなったら空を見てね。お母さんはそこにいるから』

ぼくは、お母さんのことを思って、お母さんの気持ちになって、
この詩を書きました」

寮さんは、必死で涙を堪えながら話を聞きました。





すると、ある子が手を上げてこう言いました。

「ぼくは、Cくんは、この詩を書いただけで、親孝行やったと思います」

別の子が言いました。

「Cくんのお母さんは、きっと雲みたいにまっ白で清らな
人だと思いました」

いつも背を丸めて縮こまり暗い顔をしているDくんが手を上げ、
必死に声を出そうと、もがきながら言いました。

「ぼ、ぼくはお母さんを知りませんっ。
でも ぼくもこの詩を読んで空を見上げたら、
お母さんに会えるような気がしてきましたっ」

そう言って彼は泣き崩れました。

「そうだったんだね」「さみしかったんだね」
「がんばってきたんだね」

「ぼくも、おかあさん、いないんだよ」
みんなの声を背に受けて、Dくんは泣き続けました。

寮さんも、刑務所の教官も、もう涙を堪えることが
できませんでした。

言葉で自分思いを表現することで、自分自身や仲間と向き
合った彼らは、自分を守るための鎧を脱ぎ捨てました。

そこから溢れでてきたもののは、一人ひとりの優しさだったのです。

優しさと優しさが響き合い、受けとめ合い、彼らは目に見えて
変わっていきました。





重大事件を起こして実刑判決を受けた「非行少年」たちへの
見方が変わりました。

彼らの犯した事件は非難されるべきものですが、彼らが事件を
起こす事情や動機にはそれなりの理由があったのでは
ないかということ。…

もし、自分が彼らのような境遇に置かれていたら・・・。

親から捨てられ、虐待を受け、学校の先生からも叱責を
受けるばかりで、友達が誰もいなかったら・・・・。

貧しくて、ひもじくて、今日食べるものさえ、なかったなら・・・。

誰も助けてくれる人がいなくて、寂しくて、悲しくて、苦しくて、
人間が信じられなくて、その鬱積した感情に窒息しそうに
なっていたなら・・・。

それでも悪を悪として退けていたと言えるでしょうか。
それほど、人間は、強くないと思うのです。…

理由や事情があっても、彼らの行いが悪かったのは確かです。
彼らも悪いと分かっていたはずです。

人への不信や憎しみがあっても、人を信じたいという思いや
愛があったはずです。

罪の償いをしているとき、彼らは言葉を通して、自分の気持ち
を表す方法を得ました。

自分の鎧を破って、人を信じたいという思いや愛の気持ちを
表したとき、正面から受けとめ、いっしょになって共感してくれる
人に出会えました。

それを機に、彼らは自分を守るための鎧を脱ぎ捨てることが
できるようになっていきます。

正しいと思う道を素直に歩もうと思えるようになります。

人は、人によって変わるのです。
人は、人の言葉を通して、行いを通して、表情を通して、
涙を通して、心を通して変わっていくのです。

Author: 中井俊已・今日も良いことがあるように