貧者の一灯 ブログ

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貧者の一灯・妄想物語

2022年04月14日 | 流れ雲のブログ

























本来であれば、見えている部分の印象が悪い人は、
見えない部分で良い事をしていると割増で良い人に見える、
という意味なのだと思うのですが…

その逆もあるのだな、と感じた出来事がありました。

会社にTさん(仮名)という大人しい人が居ます。
このTさんという方が、まぁ仕事が出来ず周囲からも
疎まれていた存在でした。

何度やっても仕事が覚えられないし、積極性もありません。
皆が働いていても、何もせずただ立って見ているだけ。
誰かに言われるまでは動こうともしません。

会話も苦手なのか、話の輪に入る事もしませんでした。
それでも自分の趣味や女性の話になると、やたら饒舌
になって食いつくように話するのは気になりましたが…。

あまりにも目に付くので、勤務態度を注意した事がありました。
Tさんは「失敗して怒られるのが怖い」と言います。

何もしないでいても怒られますよ、とはアドバイスしましたが、
本人は相変わらずです。

仕事の休憩時間、私が車で休もうと1人で駐車場へ
向かう途中、電話をしているTさんを見かけました。

Tさんは「そんな事なんで分からないの?自分で考えなよ。
いちいち聞かないと分からないの?」と、何やら荒々しく
会話しています。

誰と会話していたのかは分かりませんでしたが、その言葉
使いと内容に私は驚きました。

Tさんが他人から言われているセリフを、Tさん自身が
そのまま電話で使用していたのです。

Tさんは私が居た事に気付いていないようでしたが、
私は何か見聞きしてはいけない事だったと感じて、
誰にも話しませんでした。

そんなある日、事件が起きました。
Tさんが傷害で警察に捕まったというのです。

どうやらTさんは家族、つまり自分の両親へ長年暴力を
振るっていたらしく、耐えかねたご近所の方がついに
警察へ通報。

その場で現行犯逮捕となったようでした。

周囲の方は「あの物静かなTさんが?そんな事する人には
見えなかったけどね~。」と話していましたが、私には
心当たりがありました。

あの時の電話は、恐らく親としていたのでしょう。

内弁慶という言葉がありますが、Tさんはその典型的
かつ極端なパターンだったのかもしれません。

あるいは抱えていたストレスのはけ口が両親へと
向かっていたのか。真相はTさんにしか分かりません。

そのTさんはというと、今でも同じ会社に居ますが、
関わりを持つ人は誰も居ません。

見えている部分からでは、その人間の本性なんて
分からないものです。…















高齢者認知症外来・訪問診療を長年行ってきた専門医が
「認知症の進行速度」「異常行動への対応法」など
認知症の介護世代へ、覚悟と準備とアドバイス

お盆の看取(みと)り

2019年のお盆の時期に、私たちの患者さんが1人亡くなり、
その方のお看取りをしました。

この時期に高齢者の患者で亡くなる方がいると、私は、
「ああ、きっとあの世から家族や友達がお迎えに来たんだねえ」
と思い、センチメンタルな気持ちになります。

日本では、亡くなった魂がお盆にこの世に帰って来るという
信仰があり、各地で先祖の霊を祀まつるためのいろいろな
行事があります。

私は、京都に学生時代から10年以上住んだことがあり、
毎年8月16日の五山の送り火を楽しみにしていました。
ただし、死者の魂うんぬんという意味合いでは意識せず、
単なる年中行事または観光行事として楽しんでいました。

今回、インターネットで調べてみると、お盆の始まりの8月13日
には迎え火を焚いて死者の魂をこの世に迎え入れ、16日には
送り火や精霊流しであの世に送るそうです。

実は日本だけではなく、中国や韓国でも、夏に同じような行事
があるようです。また、世界的にも、ディズニー映画
『リメンバー・ミー』で有名になったように、メキシコにも
「死者の日」というのがあって、その日には亡くなった先祖
がこの世に帰って来るということです。

一般的な社会生活を送っていると、普段は死というものを
あまり意識せずに生活しています。「生と死」というのは相反
する現象で、その間には厳然たる壁のようなものが存在
しているようです。

ところが、年老いて次第に弱っていき、老衰や慢性疾患など
で亡くなっていく過程では、この世とあの世の違いがそれほど
大きくなく、境目がはっきりしなくなるように思います。

寝たきりになって、意識も時に低下しがちになると、患者さん
がこの世とあの世の境目、いわばグレーゾーン内に居るよう
な状態になります。

そうすると日常生活の中で死ぬことがあり得ます。

実際、最近私たちのクリニックのドクターが、普段の診察の
つもりで施設を訪れた際に、こうした死を経験しました。

部屋に入った時に患者さんは亡くなっており、ドクターが
第一発見者になりました。聞けば、つい先ほどおやつも
食べたとのことです。

こういう場合は、大往生ということになるのでしょうか。

また、この世とあの世のグレーゾーンと言っても、呼吸停止
した患者さんが息を吹き返した例はさすがにありません。
でも、不思議なことに、亡くなる前に意識が一時的にはっきり
する例は何度か経験しました。

高齢の患者さんが老衰で亡くなりそうな頃には、
ご家族や親戚が会いに来られます。

すると、患者さんは少し活気を取り戻し、会いに来た家族を
認識して声かけをしたり、少し食べ物を口にしたりできる
ことがあります。

そうするとご家族は安心して帰宅されるのですが、その直後
に亡くなられたりします。ご家族に最期の挨拶をして、あの世
に旅立たれ、満足に感じられたのではないでしょうか。

死に直面すると、その人の心のありようも変わることがあります。

進行した認知症がある、被害妄想気味のおばあさんがある
施設に入居しました。

彼女は、「何か騙されていると思うのよね」
といつもシニカルな態度でした。

そして6ヵ月後、持病の心不全が悪化して逝去されました。

後で聞いてみると、実は亡くなる前の晩に、施設のスタッフに
「ありがとう」と感謝の言葉を残して逝ったそうです。

日頃感謝を口にすることなどなかった方だったので、
ケアに携わった方々も特に感慨深く感じたようです。

臨死期の魂には不思議な力があるようです。…