貧者の一灯 ブログ

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貧者の一灯・歴史への訪問

2022年11月18日 | 貧者の一灯




















おばあさんは字を知らないので、せっかくの手紙
が読めません。

「こまったの。誰か、手紙を読んでくれるお人は
いないだろうか?」  

すると向こうから一人の侍(さむらい)がやって
来たので、おばあさんは侍にたのみました。

「もしもし、お侍さま。実は息子から手紙を
もらったのですが、わたしは字がわかりません。
どうか、この手紙を読んでください」  

すると侍は手紙を受け取り、手紙をじっと
見つめると、突然ポロポロと涙をこぼしました。  

おばあさんは、びっくりです。

「お侍さま! 何か、悪い知らせでも書いて
あるのですか?どんな事でもおどろきません。
手紙に書いてある事を、教えてください」

「・・・・・・」 侍は涙を流すばかりで、何も
言いません。 (ああ、これはきっと、とても
悪い知らせにちがいない)  

そう思うとおばあさんは悲しくなって、涙を
ポロポロとこぼしました。  

そこへ土で出来たおなべを売る、ほうろく
売りがやって来ました。

「もしもし、お二人ともどうしたのですか?」  

ほうろく売りがたずねても、侍とおばあさん
は泣くばかりです。  

やがてほうろく売りも荷物を置いて、
ポロポロと泣き出しました。  

そこへ別の人が通りかかり、何事だと
思って三人に声をかけました。

「どうしたのです? 泣いてばかりいないで、
わけを話しなさい。こまった事があるなら、
力をかしてあげますよ」  

すると、ほうろく売りが言いました。

「はい、実は去年の今頃、ちょうどここで
転んでしまい、売り物のほうろくをみんな
割ってしまいました。  

くやしくて泣きたいほどでしたが、いそが
しいので泣くのをがまんしていました。  

それがここを通りかかるとお二人が泣いて
いるので、その時の事を思い出して、今、
こうして泣いているのです」  

それを聞いた通りかかりの人は、あきれ
てしまいました。 「なんと、あなたは去年
の事で泣いていたのですか。・・・

それじゃおばあさんは、どうして泣いている
のですか?」

「はい、実は息子から手紙が来たので、
このお侍さまに読んでもらおうとしたら、
お侍さまが何も言わずに泣き出したんです。  

これはきっと、悪い知らせにちがいない。  
そう思うと、悲しくて悲しくて・・・」  

おばあさんはそう言うと、また泣き出しました。

「そうですか、それはお気の毒に。  
さあ、お侍さま。  泣いてばかりいないで、
早く息子さんの様子を教えてあげたら
どうです?」  

すると侍は顔をあげて、なさけない声で
言いました。

「手紙の事は、教えられません」

「そんな。おばあさんもかくごを決めて
いるんだから、手紙の中身を教えて
あげてくださいよ」

「お侍さま、お願いします。息子の事を
教えてください」

「いや、そうじゃない。わしも手紙を読める
くらいなら、泣きはしません」

「・・・はあ?」 「わしは小さい頃、少しも
本を読まなかったので字がわからない。  

それがくやしくて、今こうして泣いて
いるのです。  

ああ、こんな事なら、ちゃんと本を読んで
いればよかった」

「・・・・・・」 「・・・・・・」 「・・・・・・」  

通りかかりの人も、ほうろく売りも、
おばあさんも、みんなはあきれてものも
言えませんでした。  

ちなみに息子さんの手紙には、 《元気で
働いているから、心配しないでください。
近いうちに、お土産を持って帰ります》 と、
書いてあったそうです。 …












「リズムあそび」という独自の保育方法を確立、
実践し、健常児だけでなく、多くの障害のある
子どもたちを自立へと導き、「保育の神様」と
呼ばれた斎藤公子さん。

保育の仕事に携わって約60年。

健常児以外にも、父親が自分の娘に生ませた
子どもを生まれてからずっと押し入れに閉じ
こめていたり、

貧しさゆえに客商売をしていた母親から障害
を持って生まれた子どもなど、実にいろいろな
子を預かってきました。

しかし、入園希望を断ったことはありません。

保育は命を預かる仕事です。常に命懸けで
臨んできました。それだけに一人の人生が
花開いた時の喜びは、それまでの苦労を
忘れさせてくれるものです。

私は一度、大声をあげて泣いたことがあります。

「さくら保育園」を立ち上げて間もない頃、
骨と皮だけのように痩せこけた東京の乳児
を、ある事情で預かることになりました。

その乳児を私は毎晩抱きしめて眠らせ、
その子もまた私をとても慕うようになりました。

ところが、年長になった時、その子の父親が
突然来て、連れて帰ったのです。

親権がある以上、どうしようもありません。
私は体が引き裂かれるようでした。

グッと我慢したものの、ついに堪えきれなく
なって我が家に帰り、人知れず大声で
泣いたのです。

その子がすっかり見違えた少年になって
久々に園に顔を出してくれたのは中学生
の時でした。

以来、時々園を訪れては園児と遊んで
くれるようになりました。

さらに時を経て、成人したその子からある
時、連絡が入りました。

結婚するので主賓の席に座ってほしい
という通知でした。

私は喜んで出席し、スピーチでは自分が
大泣きした時の話をしました。

彼は私の話を神妙な表情で聞いていました
が、式が終わり皆を見送るや、私に駆けより
抱きついて泣きじゃくるのです。

見ると彼の奥さんも泣いていました。
長年の胸のつかえが取れたのに違い
ありません。

いつまでも私の心に残るさわやかな
思い出の一つです。 …









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