努力を諦めずに続けていれば、誰でも必ず目的を達成できる、という意味として、私が大切にしている言葉、中国の四書の一つである「中庸」にあります。
(原文)
人一能之、己百之。人十能之、己千之。果能此道矣、雖愚必明、雖柔必強。
(日本語訳)
人、一(ひと)たびして之を能(よ)くすれば、己之を百たびす。人、十(と)たびして之を能くすれば、己之を千たびす。果たして此の道を能(よ)くすれば、愚(グ)と雖(いえど)も必ず明なり、柔と雖も必ず強なり。
(現代語訳)
他人が一の力で出来るとしたら、自分はそれに百倍の力をそそぐ。他人が十の力で出来るとしたら、自分は千倍の力をそそぐ。もしほんとうにそうしたやり方ができたなら、たとい愚かな者でも必ず賢明になり、たとい軟弱な者でも必ずしっかりした強者になるであろう。
解り訳す云えば、「人が1回の力でできることを、自分は100回、1000回分の力でやる。もしも、そのようなことが出来れば、愚か者も賢者になり、軟弱者も強者になるでしょう。」という意味です。
私は、今の今まで以下のように内容を曲解して、覚えていました。
「頭のよい人間や才能のある人間が、1度でできることを、自分にはできない。そんな自分でも、100回、1000回繰り返せば、1回でできる人間に追い付ける。本当にそれができたとき、私も「頭のよい人間や才能のある人間」に追い付くことができる。」
この曲解して、覚えたきっかけは、祖母の言葉でした。
私が子供の頃に住んでいた場所には、クラスでトップの成績や悪くても2番目、3番目位の頭のよい同級生、先輩、後輩が多数いました。
スポーツでも同じで、クラスでトップクラスの人間は、ゴロゴロいた面白い場所でした。
そんななかで私は、いわゆる凡人で、正直、周囲に合わせることに苦労した経験があります。
親族である従兄弟であっても、父方、母方両方とも、学業の成績が優秀な人間が多く、常に劣等感との戦いをしていました。
学業のにおいても、周囲の友人や親戚は、全国模試などで常時上位に収まっていましたが、私は、真ん中辺をうろうろしていました。
そんな姿をみた祖母は、私に「周りの友達や親戚は、正直、生まれたときからお前とはできが違う。身の程を知ることは必要だ。しかし、どんなに人間でも、100回やれば、元々できのよい人間に追い付くことはできる。馬鹿は繰返しやればよい。」と、言いました。
これは、いつまでも周囲に馴染めない私に対する、祖母の言葉だったと記憶しています。
要するに、元々のできが周囲と違う私は、そのハンディを繰り返しの努力で克服するしかないという、ある種の烙印と祝福の混ざった言葉でした。
次に、自分が社会で生きていくなかで、時間は有限であるということを、最近強く実感します。
私も気が付いたら50歳に迫っています。若い頃よりも、精神的、身体的能力は、低下していることは事実です。
当たり前ですが、社会的にも選択肢は、自ずと狭くなっていることは否めません。
少ない選択肢の中から、できるものを選んで、習熟させていくしか方法がないことが、現実的に考えられます。
そうすると、自ずと狭い範囲で選択の内容に特化して、「繰返し」の努力で深めていくしかいきる道はないのです。
若い人や能力のある人が、1度でできることでも、何度もやり力をそそぐ覚悟が重要になります。
面白いことに、当初曲解して覚えていた「中庸」のフレーズも、人生を経ることで、本来の意味に修正されていったことには、天の配剤を感じざるを得ません。
読者の方は、当初、曲解していたことが、自然の流れで修正されていった体験はありますか?
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