※6/11追加しました
幸福の芽blogについて1,2を書き、2の中で
[みろくの世 みろく信仰グループ ][ Miroku Faith Group ]と
「みろくの解毒作用」について書きました。
「みろくの解毒作用」について追加して書いていきます。
本題に入る前に先日、幸福の科学について書いた6月8日の記事、
[ 先日、私のblogに以下のことを書いたことで私の神は私を
通してあなた方に言うことはもう無いと言われています。
任務終了です。さようなら。
危機があっても、もう私から何も言うことはありません。]
このように書いて終止符を打ったのですが、
私のblogの内容について何の権限もない幸福の科学の団体から
使用許可を貰っていた人たちが(今も昔も)いたようで残党と
言いますか、ここのところで幸福の科学以外に私を潰そうと
する勢力が働いているところは残念なことです。
もちろん彼らにもその権限はありません。その根にあるものは
幸福の科学と同じような思考、私を潰せば私のblogの内容を
勝手に使えて自分たちの利益になるというもの、
私の神、日月神示の神々にとっても非常に残念なことです。
(※追加しました
残党-彼は幸福の科学という団体から、彼自身をうちの方で
上に取り立てるからと言われ、私(maitreya)の法の使用許可と
彼が欲しい情報を貰い、そして私を潰す側に回ったということ
ですね、今までも同じような人たち、政治家、福祉関係者で
何人もいましたし、教団の中に取り込まれました。最終的には
そうやって教団は私の説いた法を自分たちのものにする計画。
つまり教団と無関係(事実)で日月神示を広め、終末を伝えたい
私の反対派)
反作用はあるでしょうがその時期はきっともっと先になり、
私の知るところではありません。
私は日本の宗教弾圧や宗教団体によるテロについて歴史を学んで
います。私がテロを起こすようなことはありません。
日本でも宗教の教祖でテロを起こした人がいました。X-twitterに
書きましたが、
なぜ、彼(某教)と彼の弟子はテロを起こしたか
・予言が外れた、外れたので困った、また、大難が小難になると
非常に困る。
・身近な霊現象(自分自身に起きる)を信仰した。
・選挙に出たが落選した。落選したのは社会が悪いと思った。
・信者から多額の献金を取り、修正が効かず、引き返せなかった。
など
最大の理由は選挙に出たが思うようにならずに追い詰められ、
それは社会が悪いとしたことだと思います。彼らも高学歴な
人たちでした。
この原理は宗教の教祖が言った予言が当たらなかったときも
同じだと思います。
日月神示でも子の年の時期がわからずに何度も繰り返しています。
子の時期が到来する段階段階でご苦労は多かったと思います。
その時が今かという時になると神示は降りず止まっています。
しかし、その苦労を重ねた繰り返しの時がなければ今はありません。
心より感謝いたします。
岡本天明氏が晩年絵を描いたのは霊指導でその道を勧められた
からであると思います。団体が長く続くと予言が当たらないから
と言って、法がねじ曲がっていくことはみられることです。
それを防止したと思います。
私は大難を小難に、予防として私が言った予言で私自身が追い詰め
られないようにしますし、できたら悪い預言は起きないほうが
よいと思います。
予言は予言者に、
私はX-twitterにも書きましたが予言は最小限しかしませんし、
時期をみて話します。今私が伝えている預言は
・2024年、2025年は災害が多いこと
・2025年7月にキリスト教徒に携挙が起きること
・聖書の黙示録の時が近いこと
・2025年は日本近辺で様々な災害、危機が起きる可能性が高いこと
・2025年9月にポールシフトが起きること、その大きさは地球が
反転するようなものではないこと
・2032年は日月神示にとって大きな年であること(りんごの木村
さんのカレンダー預言と同じ年でしたが内容は違います)
日月神示も聖書も書かれていますが[その時]は神、十の神しか
知りません。だから預言の時までの間は神が人間に与えた時間
です。その時間の間に人は何をどう考え、何を選ぶかです。
2025年のその後のことは必要な時期になったら伝えます。今、
多く黙示録について書いていますが日月神示(ひふみ神示)に
を元にした開示を進める為と内容の理解のために書いています。
以前に書きましたが私のblog幸福の芽は閲覧数は一向に伸びません。
しかし、読者は多いのです。maitreyaとしての認識です。
日本の政治家、経済界、支配層、世界のあらゆる国々の経済界、
支配層の方々と繋がっていた時期は長い。米国は日本より私のことを
よくご存じです。元々のblogの内容は全世界の方々が読んで頂いても
差支えない内容を基本としています。
キリスト教徒もイスラム教徒、東南アジアの方々も読んでいます。
ただ私は日本に住み、日本を基準に書いています。
ですから目先で幸福の科学の幹部のように私を潰して自分たちの
ものにしようなど考えないでください。それを冷ややかな目で
見ているギャラリーは多くいます。
私は今、たつき諒さんの2025年7月5日の日本に来る大災害の
予言についてひふみ祝詞の奏上をお勧めしています。
[ 2025年7月5日は皆でひふみ祝詞を奏上しましょう
感謝の時、危機の時、不安が強い時にも奏上しましょう
大難が小難になりますように おつちがあがりますように ]
これは私の予言ではありません。私はこの有名な予言によって
1年前にも関わらず、皆様の不安が強くなり生活をも不安定に
なることを案じます。しかし何かしら危機があるかもしれない、
こころの準備はしていてほしいと思います。書いているとおり、
大難が小難になりますように、そう思います。
ひふみ祝詞の奏上の勧めはもちろん、神、日月神示の神々からの
メッセージです。
本題ですが幸福の芽blogについて2の内容の「みろくの解毒作用」
みろくの解毒作用は産みの苦しみでもあり、これからくる
「王」の露払いでもあります。
また、先に書いたようにもし身霊磨きを行い、自ら省みてその
カルマの大きさに押しつぶされそうになったとき、「みろくの
解毒作用」をお使いください。それは間違いがあったらやり直す
ことができる、神がみろくをお許しになった世界ですし、これは
もう終末期が迫ってきていて、現在そして近未来に気づきがあった
方々に送るもので過去のものではありません。終末期において
カルマはみろくの世を信じることで許しがあり、浄化作用が
働きます。(私がどんな状況でも可能です。)
以上の中で
みろくの解毒作用は産みの苦しみでもあり、これからくる
「王」の露払いでもあります。
これについては[6が3つ]の記事に書いた太陽と月の女が
その苦しい経験を通し、それを知恵として出てくる鉄の杖を
持って全ての国を治める男の子を産む、私のblogを読む誰かです。
その苦しみが故に神がみろくをお赦しになったことによる
露祓いのための解毒作用です。
先に書いたようにもし身霊磨きを行い、自ら省みてその
カルマの大きさに押しつぶされそうになったとき、「みろくの
解毒作用」をお使いください。それは間違いがあったらやり直す
ことができる、神がみろくをお許しになった世界ですし、これは
もう終末期が迫ってきていて、現在そして近未来に気づきがあった
方々に送るもので過去のものではありません。終末期において
カルマはみろくの世を信じることで許しがあり、浄化作用が
働きます。(私がどんな状況でも可能です。)
神の赦しについては、[6が3つの意味について2]の中でも
書いています。
https://blog.goo.ne.jp/mren33/e/f0426dcc911bea5ed8ce9ac4401f725f
日月神示では魂の掃除が大事だということを最初から最後まで
一貫して書いています。神の法に基づいて反省をし、神の御心に
合った自分を作って生活することがとても重要です。
継続して行なうことで新たな自分を築きます。日々反省をして、
たくさんの気付きがあると神の属性が増えていきます。
やがて心が信仰に満ちて神が身近になります。
以前聖書、ダニエルの70週も縁起の法だと書きました。
カルマは仏教で不昧因果と言われるように因果をくらますことは
できません。できないからこそ、終末が来ます。
日々身霊磨き、こころの掃除をすると自らのカルマに気がつきます。
また身霊磨きをせずともカルマは廻ってきます。そのカルマの
[時]は神しか知りません。それを無理やりこじ付けて動か
そうとするのは闇の者の力です。
人は生きていて何かしらのトラブルに合います。魂の修行と
して考えることは多いですが、どうしようもならない壁に
ぶち当たることがあり、悪い予感が離れないこともあります。
そのような時、みろくの解毒作用とお使いください。
浄化作用とはその時に使うものでその方のカルマ自体が無く
なるものではありません。通り過ぎたら代願をたてたほうが
よいと思います。
それは間違いがあったらやり直すことができる、神がみろくを
お許しになった世界ですと書きましたが、それは既に現社会に
あるものです。そうなのですが自ら省みず、自分が優位に立つ
為に嫌がらせをして他者を責め立て続けることがみられます。
もし、2000年前にイエスキリストが愛を説かなかったら、長い歴史を
経て現在の法律上で[やり直すことができる]という内容は含まれて
いないと思います。
危機があっても、もう私から何も言うことはありません。
先日書いた幸福の科学への最後のメッセージです。
私を潰そうとしている方々、
今まで私は神に日本が守られるように祈りました。
私はあなた方のために祈りません。
今度はひふみ祝詞と共にあなた方が神に祈ってください。