(写真は、世界遺産の﨑津集落の﨑津教会)
昨年の冬、実家の熊本に帰省した際に、世界遺産
・天草の﨑津集落へ行って来ました。
(五島列島の潜伏キリシタン関連世界遺産について
は、「五島列島」を見てね。)
熊本交通センターで、「快速あまくさ号で行く
世界文化遺産:天草の﨑津集落」のセット券を
購入します、(4,000円・日帰り)
この券は、熊本市内から天草・本渡までの往復
バス乗車券と、天草・本渡発の「﨑津集落・
世界遺産観光周遊」バス乗車券がセットになって
おりお得です。
「快速あまくさ号」バスは、熊本交通センターから
天草の本渡まで、一般道を2時間以上かけて
走ります。
熊本交通センター (10:30)→ 本渡バスセンター
(12:43)
本渡バスセンターで、「天草ぐるっと周遊バス」
に乗り換えます。
この観光コースは、本渡バスセンターを出発して、
約4時間かけて、下記の潜伏キリシタン関連の
世界遺産を回り、再び本渡バスセンターに戻って
来ます。
本渡バスセンター(13:20) → 天草コレジョ館
→ 﨑津教会、﨑津集落 → 大江教会 →
天草ロザリオ館 → 本渡バスセンター(17:20)
「天草ぐるっと周遊」は、ガイドさんが4時間も
添乗していて、何と!、1,000円と破格の値段です。
これは、天草市の補助によるみたいで、今後の
料金は天草市の来年度予算次第みたいです。
このバスガイドさんは、自身が崎津集落の出身で、
ずっとこのバスのガイドを8年間も努めている
そうです。
世界遺産の登録までは、お客は1日に1~2人の
日が多かったのに、世界遺産になったとたんに、
1日に10~20人に増えたそうです。
そう言えば、この日も、北海道、東京、佐渡、
奈良、大阪、神戸などからのお客で、九州の
お客は1人もいませんでした。
このバスガイドさんは、走行中、休むことなく
天草の地理と歴史などを詳細に解説してくれた
ので、おかげで天草についてすっかり詳しく
なりました。
最初の見学地は、写真の「天草コレジヨ館」です。
(200円)
コレジヨ(英語読みではカレッジ)というのは、
聖職者のための神学校です。
天草に伝わる南蛮文化や、コレジヨ関連の資料が
展示してあります。
中でも見どころは、写真のグーテンベルク印刷機
(複製)です。
日本人として初めてヨーロッパを旅行した4人の
少年使節団(天正少年遣欧使節団)によって
持ち帰られた印刷機を忠実に復元しています。
当時の天草では、前頁の写真の「平家物語」の
様な「天草本」(キリシタン本)と呼ばれる
印刷物が、毎回1,500~3,000部も出版されて
いたそうです。
次に、「崎津集落」に到着しました。
写真は、ゴシック様式の「﨑津教会(天主堂)」
で、現在のものは、昭和9年に、鉄川与助が設計
施工して再建されたものです。
この﨑津教会は、禁教期に絵踏が行われた
「庄屋役宅跡」に建立され、何と!、
教会の祭壇は、かつて絵踏が行われていた場所
に設置されたそうです!!
信者の人達は、弾圧の象徴であるこの場所に
拘ったんですねえ。
でも、建設途中で資金不足になり、次頁の写真の
様に、教会の前方は鉄筋ですが、後方は木造と、
変則的な造りになったそうです。
(熊本日々新聞から)
教会内は、珍しい畳敷きになっています。
(館内撮影禁止)
キリシタンのお墓は、上の写真の様に、通常の
墓石に十字架が乗った形をしています。
ちょっと見にくい写真ですが、白く見えるのは
「海上マリア像」です。
崎津集落を散策します。
「しめ縄」は、一般的には、正月にのみ玄関に飾り
ますが、上の写真の﨑津集落の「しめ縄」は、
一年中飾る風習なのだそうです?
これは、禁教期に「この家はキリシタンではない」
ということを示すために、年中飾っていた名残り
なのだそうです。
次頁の写真の「﨑津資料館 南風屋」に入り、
﨑津の歴史や文化が紹介された説明や展示品を
見学します。
その説明書によると、潜伏キリシタンは、表向き
は仏教徒として寺に所属し、﨑津諏訪神社の氏子
となって、恵比寿神や大黒天をデウスとして
崇敬していたそうです?
(﨑津諏訪神社)
つまり、日本の伝統宗教とキリスト教とを共生
させながら、信仰を維持していたことになります。
具体的には、絵踏をしてキリシタンではない
ように振る舞い、「あんめんりゆす(アーメン
デウス)」と唱えながら神社に手を合わせて
いました。
(崇敬されていたアワビなど:資料館の
パンフレットから)
また、潜伏キリシタンは、信仰の発覚を回避
するため、写真の展示品の様な色々な物を
信心具の代用品としていました。
例えば、アワビの貝殻の内側に浮き上がる模様を、
聖母マリアに見立てるなどしていたそうです。
(崇敬されていたロザリオやメダイ(メダル):
資料館のパンフレットから)
この様にして、﨑津集落の75%の人が、潜伏
キリシタンとして暮らしていたというから
驚きです。
しかし、この大量の潜伏キリシタンの存在が発覚
してしまう大事件が、1805年の「天草崩れ」
です!!
このときの幕府による天草の集落(﨑津・高浜・
大江・今富)の潜伏キリシタン摘発で、
何と!、
全住民10,669人のうち、約半数の5,205人が
摘発、検挙されてしましました!!
その検挙数の多さに、さすがの幕府も、天草集落
の存続を危惧して、当惑してしまいます・・・
対応に苦慮した幕府は、検挙者全員は潜伏
キリシタンではなく、「心得違い」しただけだと、
苦しい理由で黙認したので、潜伏キリシタン
全員が重罪を免れました。
崎津集落で、次頁の写真のロザリオの塩をお土産
に買いました。(600円)
崎津集落を出て、大江天主堂へ向かいます。
「大江天主堂」は、小高い丘の上に立つロマネスク
様式の教会です。
現在の大江天主堂は、フランス人宣教師ガルニエ
神父が建立したもので、ガルニエ神父は、大江の
地に天主堂を建てるために、帰国の渡航費用まで
つぎ込み、一度も母国フランスに帰ることなく
この地で亡くなったそうです。
大江天主堂の近くの「天草ロザリオ館」で、潜伏
キリシタンの貴重な資料を見学します。(300円)
(館内撮影禁止のためロザリオ館のパンフレット
から。)
(密かに祈りを捧げていた隠れ部屋のジオラマ:
館内撮影禁止のためロザリオ館のパンフレット
から。)
(経消しの壺:葬式の際は、仏僧のお経に
合わせて、お経を壺の口で唱えて壺の中に
閉じ込めたそうです。
:ロザリオ館のパンフレットから。)
(上の写真の中国渡来の母子観音を、マリア観音
として、聖母子像に見立てていたそうです。
:ロザリオ館のパンフレットから。)
大江集落では、干潮時にしか行かれない海辺の
洞窟に、「穴観音」と呼ばれる観音像を据えたり、
山中に、十字架やマリア観音像などを埋めて
塚にした「隠し御堂」を造ったりしました。
海や畑に働きに行くふりをして、このような場所
を訪れ、ひそやかに信仰を継続していたそうです。
帰りは、本渡バスセンター18時発の「快速
あまくさ号」(セットの周遊券)で、真っ暗に
なった中を熊本へ向かいます。