(写真は、すっかりお馴染みになった「丸石道祖神」)
コロナ禍での街道歩きを再開するか否か、迷いに迷った
のですが、以下の理由で再開しました。
①ワクチンの2回目接種を終えた。
②山梨県の蔓延防止措置が今月12日で解除された。
③始発電車の利用で交通機関での3密は回避している。
④旧甲州街道では人とほとんど会わないので現地での
3密はない。
⑤糖尿病の医者から、コロナ禍で数値が悪化したので
街道歩きを再開した方がよい、と言われた。
甲州ブドウ栽培の始まりという「勝沼宿」を抜け、「栗原宿」
に入ってからも、ブドウ園とブドウ畑が延々と続きます。
前回、ブドウは未だ葉だけでしたか、今回はたわわに実り、
もう既に収穫を終わっている所も多いです。
前回説明しました様に、ブドウ園は、頑丈な鉄骨の枠を組み、
その上にブドウの枝を這わせています。
その鉄骨の枠の下の広い空き地は、自家用車や観光バスの
駐車場になっています。
前回は気が付かなかったのですが、背が高い鉄骨の枠は、
観光バスの屋根よりも高くする必要があるから高いのだと
思いましたが、この高さは実ったブドウの房の盗難防止用
でもあるのでは?、と思い至りました。
なるほど、高い鉄骨の枠が無い低い位置のブドウ畑は、
上の写真の様にネットで覆われています。
栗原宿を進み、日川高校を過ぎると、上の写真の様に、
養蚕用の煙出し屋根の付いた立派な旧家がありました。
日川郵便局を過ぎると一町田中交差点ですが、旧甲州街道は
左折します。
その交差点の右には上の写真の「称名院」があります。
武田勝頼が、岩殿城に落ち延びる際、父の信玄の形見の
水晶の数珠をこの寺に託したそうです。
(武田勝頼が、家臣の小山田信茂の岩殿城に
落ち延びようとして裏切られた経緯については、
「甲州街道を歩く・駒橋」 と「甲州街道を歩く・初狩」
を見てね。)
この称名院の本堂の外壁には、恐ろしい表情の「餓鬼」の像が
張り付いています。
旧甲州街道とは逆に、一旦、交差点を右に進むと、写真の
「水上稲荷神社」があります。
水上稲荷神社の右側は写真の「田安陣屋跡」です。
8代将軍「徳川吉宗」の次男の「田安宗武」には、1746年、
山梨郡の28ケ村が領地として与えられ、ここにその「陣屋」
が置かれました。
この陣屋跡の石垣の上には、写真の様に「水上(みずかみ)
稲荷神社」が祀られています。
境内には、冒頭の写真の様に、お馴染みの「丸石道祖神」や
馬頭観音像が祀られています。
一町田中交差点に戻り、左折して旧甲州街道を進むと、
次頁の写真の様に立派な旧家の門が残っていました。
直進すると、日川に突き当たるので、土手道を
右に進み、日川を日川橋で渡ります。
日川橋を渡ると笛吹市に入ります。
日川橋の先を右折し、国道411号から外れて旧甲州街道に
進みます。
旧道に入ると右手に、ここ南田中村の鎮守の「白山神社」が
あります。
旧甲州街道を日川の土手に沿って進むと、右手に立派な
蔵がありました。
更に進むと、「笛吹川」の土手道に突当りるので右手に
進みます。
写真のラブホテルの前を通ります。
更に進むと、土手道は左から来た国道411号に合流します。
「笛吹川」を「笛吹橋」で渡ります。
栗原宿から石和宿までは約7キロです。