ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

知覧特攻基地(鹿児島県) 2024.11.5

(特攻隊員たちが特攻前夜を過ごした「三角兵舎(復元)」)

 

私が「死ぬまでに、どうしても行っておきたい場所」、鹿児島県の「知覧特攻基地」に遂にやって来ました。

 

「知覧」は、行ってみたら、鹿児島県の南の端の山奥の静かな町でした。

特攻隊員の多くは17歳から20代前半の若者達です。

この特攻隊員の周りにいた町の人々の様々な思いが残っている場所でもありました。

前回ご紹介した「知覧武家屋敷」を出たタクシーは、写真の「知覧特攻平和会館」に着きました。

(入場料:600円)

入って直ぐの右手には、昭和55年に知覧町が引き揚げた「零戦」が展示されており、このエリアだけが撮影可能です。

上の写真は「知覧特攻平和会館案内」(300円)の「若き特攻隊員の遺影コーナー」の写真です。

全特攻戦死者1036名のうち、439名がこの知覧基地から出撃したそうです。

特攻隊員一人一人の写真と年齢・出身地が書かれているパネルですが、気が遠くなるくらい沢山の展示でした。

そしてそのパネルの下には、出撃前に両親、妻、恋人などに宛てた遺書が並べられています。

ここから先の室内は写真撮影禁止なので、以下、館内で購入した下記の写真集の「只一筋に征く」(2,200円)から転載します。

(子犬を抱いた17歳:館内販売の「只一筋に征く」から)

この17歳の少年兵は、郷里が遠くて家族への暇乞いが出来なかったのが心残りだったそうです。

この幼さが残る少年兵の写真を見ていたら、激しい怒りが込み上げてきました。

爆弾と片道だけの燃料を積んで体当たり!、こんなバカなことを考え出した奴は絶対に許さんぞ!

あらゆる作戦は、例え1%でも生還の可能性を残して、往復の燃料を積んで出撃するのが常識のハズ!

誰がこんなバカげた発想で、この少年を殺したんだ!

特攻を考え出したお前が突入しろ!、怒りで涙が溢れ出ました・・・

(目印の赤いテープを曳きながら上空を飛ぶ特攻機、母はその目印へ向けて白いパラソルを振って最後の別れを告げた:館内販売の「只一筋に征く」から)

(あんまり緑が美しい 今日これから 死にに行く事すら 忘れてしまいそうだ:館内販売の「只一筋に征く」から)

(俺の余した30年分の命は、小母ちゃんにあげるよ:館内販売の「只一筋に征く」から)

(「小母ちゃん」とは、特攻隊の若者たちが「お母さん」と呼んで慕った富屋食堂の女主人の「鳥濱トメさん」のことです。)

(もう一度、お母さんの声を聞きたい:館内販売の「只一筋に征く」から)

上の写真の坂内隆夫少尉は、知覧特攻基地へ向かう途中、佐賀の料理屋に1泊しました。

そのとき、料理屋の女将は、坂内が「もう一度、お母さんの声を聞きたい」とポツリと独り言を漏らしたのを聞いたそうです。

館内は静寂です。

特攻隊員一人一人の写真のパネルの下には、両親、妻、恋人などに宛てた遺書が並べられています。

両親への感謝から始まり、家族のため国のために、自分が日本を守るんだという思いが、ひしひしと伝わってきました。

「日本男子の本懐」という言葉もたくさん見かけました。

両親に向かって「悲しまないでください」という遺書がほとんどで、読んでいて涙が止まりません・・・

(安原正文大尉の遺書:下記は本文から抜粋:館内販売の「只一筋に征く」から)

たくさん貰ったお手紙や御人形は、みなポケットに入れて持って行きます。

これからは、兄ちゃんは御星様の仲間に入って、千鶴ちゃんが立派な人になるのを見守っています。

泣いたりなどしないで、朗らかに笑って兄ちゃんが手柄を立てるのを祈って下さい。

さよなら 正文 千鶴子ちゃんへ

 

たくさんのビデオ映像を見て、学芸員による講演を聞いて、隊員が残した最後の手紙を読みました。

死を覚悟で飛行機に乗り込んでいった若者の思いをひしひしと感じました。

 

館内を一回りしてから外に出ました。

特攻隊員たちが出撃するまで起居していた「三角兵舎(復元)」です。

三角兵舎は、松林の中に半地下の壕をつくり、屋根には杉の幼木をかぶせ擬装してありました。

各地から集まった隊員は2~3日後には沖縄の空に散りました。

出撃の前夜は、この三角兵舎で壮行会が催されて酒を汲みかわし、薄暗い裸電球で遺書をしたためて出撃して征ったのです。

こんな粗末な三角兵舎の中で最後の日々を過ごしたのか、と思いを馳せると、また涙が溢れます。

   

三角兵舎の壁には、以下の当時の兵舎内の様子の写真が貼ってありました。

(三角兵舎で届いた慰問品を見て喜ぶ)

(整備兵に感謝の寄せ書きを書く)

(知覧高等女学校の学生が、三角兵舎の掃除、洗濯、食事の配膳など身の回りの世話をした)

写真は、「特攻平和観音堂」で、ここで「特攻基地戦没者慰霊祭」が開催されるそうです。

 

 

 

(「燃えつきず  立ち寄る家の 今ありやなしや ホタルよ ここで休んで下さい」)(降旗康男)


(小母ちゃん、おれ このホタルになって帰ってくるよ、追っ払ったらだめだよ:館内販売の「只一筋に征く」から)

厳かな敷地内です。

(「短い青春を懸命に生き抜き散っていった特攻隊の若者たちが「お母さん」と呼んで慕った

  富屋食堂の女主人鳥濱 トメさんは、折節にこの世に現れ 人々を救う菩薩でした。」)(石原 慎太郎)

写真中央で、特攻隊員に囲まれているのは、上記碑文にある富屋食堂の女主人の「鳥濱トメさん」。

「特攻の母・トメさん」は、特攻隊員が出撃する前に、若い隊員たちに少しでも美味しいものをと、私財を投げ打って食事を作りました。

特攻会館の周りは、大勢の修学旅行生で溢れています。

この様な悲劇を繰り返さないために、多くの次の若い世代に見学して欲しいです。

   

ズラリと並んだ灯篭には、この特攻隊の若者の像がありました。

「ミュージアム知覧」は博物館ですが、こちらは時間が足りなくて見学出来ませんでした。

特攻平和会館のバス停の前から、指宿駅前行きの最終便に乗って、急遽予約した指宿温泉の今晩の宿へ向かいます。

(知覧特攻基地の敷地内の石碑)

(「帰るなき機をあやつりて征きしはや 開聞よ 母よさらばさらばと」)(鶴田正義)

バスの車窓から、夕暮れの開聞岳(薩摩富士)が見えました。

知覧基地を飛び立った特攻機が、最初の目印としたのがこの開聞岳であり、本土の最後の光景でした。

そして、多くのの隊員が、開聞岳に挙手の礼をささげたそうです。


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コメント一覧

mrsaraie
cforever1さんへ

いや~!、驚きです!

東京から車で、知覧まで24時間以上ドライブしっぱなし、とは!

恐るべき体力と精神力ですね!

私は、武家屋敷を先に行き、その後で平和会館で富屋食堂が現存していることを知ったので、見逃してしまいました。

今回の唯一の心残りです。
cforever1
20年ほど前ですが東京の自宅から車で知覧まで行ったことがありまして🐻🚙(わが家は足が悪い家族がいるものですから徒歩での旅行がむずかしいことがあるんです💦)知覧まで24時間以上ドライブしっぱなしでした🎵
着いた頃には疲れ切っていて、武家屋敷などは今思うと幻のようですが・・🌈それでも行ってみたかったので思い出深いです。たしか富屋食堂だったと思いますがそちらでお弁当みたいなのを食べた記憶があります💡クリンより
mrsaraie
iinnaさんへ

そうですか、お父さんは知覧に行かれたんですね。

そう、実際の手紙を読むと、その時のリアルな情景が目の前に浮かんできて、涙が止まらなくなります。

片道の燃料を積んで死への出撃をさせるなんて、ホントに酷い指令です。

しかも、バカな突撃を考え出した連中は、「俺達も直ぐに後を追うから」と送り出しておきながら、後を追った者は一人もいませんでした。

こいつらは、絶対に許せません!
iinna
父も知覧で涙を流したといってました。
手紙などを読むとなおさらですね。

片道の燃料を積んで死への出撃をさせるなんて、酷い指令です。
バカな突撃を誰が考えたものか、おかしな話です。

どぜう鍋とラーメンを浅草で食べましたが、浅草から両国へは、都営地下鉄で結ばれて案外と便利に行けました。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/3c89ea80421fd45d8656c037b880c55c
mrsaraie
かっちゃんさんへ

そうでしたか、かっちゃんさんのお父様も特攻隊員だったんですか、驚き!

でも、出撃直前に終戦になり命が助かったんですね、良かった!

「特攻隊に志願する者は一歩前に出ろ」と言われて、前に出たんですね。
そりゃ、一歩前に出たら流石に足が震えますよね。

やはりね、「一歩前に出ろ」と言われて全員が志願した、ということは、実質的には志願は強制だった、ということだと思いますよ。
かっちゃん
私の父も特攻隊でした。
出撃する前に終戦になり、命が助かったようです。
一列に並ばされ、「特攻隊に志願する者は、一歩前に出ろ‼️」と言われ、前に出たけど、流石に足が少し震えた、と言ってました。その時は、全員が志願したそうです。
mrsaraie
xxbandicootxxさんへ

この地を訪れてから、戦争は絶対にあってはいけない、という感を深くしました。

ええ、このブログは、涙で一度に全部は読み切れないと思います。

しかし、この記念館に展示されていた悲劇の物語は、私のブログの10倍くらいもあり、私のブログは、その中からのほんの一部の抜粋に過ぎません・・・

ここで、いかに多くの悲劇が起きたのか、考えただけで気が遠くなります。
xxbandicootxx
こんにちは~^^
やはり戦争はあってはいけない
私も涙で一度に全部は読み切れないのでまた訪れて続きを読みたいと思います
平和に感謝です
mrsaraie
ushi_7さんへ

いえいえ、私も最近涙腺が弱くなったのか、現地では、ずっと泣きっぱなしでしたよ。

そうなんですよね、戦後80年、経験された方も少なくなり、記憶も薄れてきているのが最大の問題です。

記念館側もその問題を意識しているのが感じられ、知覧周辺の住民で経験された方々の、当時を語るインタビュー映像を盛んに流していました。

ええ、沖縄の本土決戦、原爆投下、特攻隊 等々、靖国神社で美化するだけでなく、詳細な実像を語り継ぐこのような施設を充実させ後世に残して行くことが大切です。
ushi_7
こんにちは
最近涙腺が弱くなったのか
一度に全部読み切れませんでした

戦後80年 経験された方も
少なくなり記憶も
薄れてきています
沖縄の本土決戦 原爆投下
特攻隊 等々…
戦争が愚かな事で
二度と起こさない為にも
このような施設を充実させ
後世に残して行くことが
大切ですね!
mrsaraie
hiroさんへ

コメントありがとうございます。

私のブログが、これから行こうと思われている知覧の武家屋敷や特攻基地の予備知識として参考になれば嬉しいです。

やはり、特攻基地は、話や本や映画では感じられない、現地での肌で感じる実感というものがあって、実際に行ってみてよかったと思っています。
hiro
ウォーク更家さん、こんばんは~♪
私が行きたいと思い、まだ行っていないのが、
知覧の武家屋敷や特攻基地、それと上田市の無言館なのですが、
知覧の方はどちらともウォーク更家さんのブログで
詳しく知ることができて良かったです。
これからもどんなところをご紹介して下さるのか楽しみにしています。
mrsaraie
hidebachさんへ

ええ、味方が戦争に勝つ手段として、味方を死に追いやるなんて絶対に許せません。

そんな上官や上層部は人間のクズです、人の上に立つ資格はありません。

戦後は、自国民によってキチンと裁かれるべきです。

ロシアのプーチン、北朝鮮の首領も全く同じ罪で、自国民によってキチンと裁かれるべきです。
hidebach
戦争は人を殺しあうことなんです。
それを敵を殺すならわかりますが、
味方が戦争に勝つ手段として、
味方を死に追いやるなんてこと許せません。

ロシアのプーチンも北朝鮮の首領も許せません。
自国民を戦争に追いやることを、
止める方法は無いものでしょうか?
mrsaraie
yamuyamumamaさんへ

ええ、ウォーキングと旅行が趣味で、あちこち出掛けています。

そうなんですよね、旅行好きの郷里が熊本の私ですら、初めて訪れたくらいの不便な場所なので、九州にこの様な特攻基地跡があることは意外と知られていないんです。

戦争のために、その人の人生が無理やり終わらされたこと、生き残った家族の悲しみ、言葉では足りない世界です。

私がブログでもっと取り上げて、国内外の人に、戦争の悲惨さを知ってもらわねば、と一念発起して出掛けた次第です。
yamuyamumama
「犬と猫と鳥と人間の成長日記?」にコメントありがとうございました。
あちこち旅行されているのですね。
地元の写真を見て しばらく出かけなかったなと(≧∇≦)
ペットが高齢化するとどこも出かけられなくなりました。

九州にこのようなところがあるとは存じませんでした。
もっと世の中に取り上げてもらい海外の人にも見てもらいたいです。
戦争があったためにその人の人生が無理やり終わらされたこと
生きのこった家族の悲しみなど言葉では足りないと思います。
歴史で学ばないというか 
それでも人間は戦争や争いごとを繰り返す生き物なんだなと思います。
mrsaraie
blue-wing-oliveさんへ

コメントありがとうございます。

戦争なんて絶対やってはいけない!

そのために、こういう見学できる施設があることを、もっと広く知ってほしくて、渾身のレポートをした次第です。
blue-wing-olive
こういう見学できる施設があるんですね。
本当、戦争なんて絶対やってはいけません。
意義深い記事、ありがとうございます。
mrsaraie
s1504さんへ

残された手紙や手記は、全て、妻、父母、兄弟、家族を空襲から守りたい、という素直で純真なものばかりでした。

こんな特攻というバカげたことを考え出し、上層部や上官達は「自分達も直ぐに後を追うから」と言いながら、誰も後を追わなかったという、やり場の無い腹立たしさ!

我々は、特攻を美化するだけではなく、上層部の責任を具体的に追及して、ホントの意味の戦後の総括をすべき、だと思いました。
mrsaraie
チー子さんへ

コメントありがとうございます。

ええ、幾度か特攻基地が舞台のドラマを見ていますが、それとは異なる次元で、”現実にこの空間で確かにあったんだ”、というリアリティをヒシヒシと肌に感じて、涙が止まりませんでした。
s1504
〈ウォーク更家〉様、こんばんは。
特攻隊員はみな少年たちですよね。
残された手紙や手記を読みながら鼻水をすすりあげていました。
ありきたりの言葉はでてきません。
チー子
知覧特攻基地 ドラマなどで幾度か見ていますが
事細かい説明 実際の言葉など、ブログよませて頂いてもひしひしと伝わってきます
涙無しではよまれません
貴重な資料読ませて頂きありがとう
mrsaraie
店長さんへ

何時もブログを読んで頂きありがとうございます。

知覧平和会館では、私もいい歳をして、怒りと、悔しさと、悲しみで、涙が止まらず、泣きっぱなしでした。

武家屋敷から平和会館へ向かう際に、タクシーでホタル館富屋食堂の前を通り過ぎていたことに、後になって気付き、立ち寄れなかったことを後悔しました。
店長です
何時もブログを拝見しています。余計な話ですが、私、本籍地だけは鹿児島県でした。今は籍を移しましたが、ことあるごとに、今も九州に出かけています。知覧平和会館には、もう何度足を運んだでしょう。行くたびに、こころ迫る物が有りますね。いい歳ですが、ハンカチが離せません!!また、何時か知覧にお越しになった時は、町内のホタル館富屋食堂を訪ねて見て下さい。有料ですが、涙無くしては見学できません。心に残る場所です。
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