(写真は「矢立の杉」)
新田下バス停の先の甲州街道道標「矢立の杉 笹子駅」を
右折します。
この分岐点が、旧甲州街道の最大の難所である笹子峠の登り口
です!
舗装道が終って土の道に変わり、木立の中に入って
行きます。
新田沢のせせらぎを聞きながら、林の中の峠道を進みます。
上の写真の右手の新田沢砂防ダムの高い石垣に突き当たった
ので、この砂防ダムを大きく左に迂回しながら進みます。
上の写真の様に、左手頭上に、県道の白いガードレールが
現れました。
少し進むと、この県道に上がれそうな、次頁の写真の
石垣の上の道がありました。
この石垣を上り、ガードレールの切れ目から県道に
合流します。
県道を右手に進み、車がほとんど通らない上り坂を歩いて
行きます。
新田沢を美久保橋で渡ります。
県道のヘアピンカーブを進むと、「矢立の杉入口」があり、
笹子峠自然遊歩道の案内標識があります。
小さな沢を木橋で渡ると、直ぐに開けた広場に出ます。
ここが、笹子茶屋又は中ノ茶屋とも呼ばれた「三軒茶屋跡」
で、江戸時代、この茶屋で売られていた草団子の「峠の力餅」
が名物でした。
この茶屋跡には、前頁の写真の「明治天皇御野立所跡碑」が
あります。
明治13年の山梨県巡行に際し、ここで野立を行いました。
現在、阿弥陀海宿で売っている笹子餅のパッケージには、
江戸時代、この茶屋で、峠の力餅を売っている様子を
描いた前頁の写真の「甲州街道膝栗毛」の絵が
付いています。
三軒茶屋跡を過ぎて、小さな沢を木橋で渡りながら進みます。
やがて、千年の風雪を耐え抜いたという「矢立の杉」が
現れます。
次頁の写真は、二代目歌川広重が、1859年に「諸国名所
百景」で描いている「甲州矢立杉」です。
上の写真は、20回ハンドルを回し、「矢立の杉の解説」か
「杉良太郎の矢立の杉の曲」かのボタンを選んで押すと、
スピーカーから音声が流れるぜんまい式の音声ガイド
です。
私は、杉良太郎の曲ではなくて、矢立の杉の解説を選んで
聞きました。
矢立の杉の音声の解説によると、根廻り14メートルの山梨県
の天然記念物です。
矢立の杉の幹は、地上21メートルで折れ、幹の中は空洞に
なっています。
出陣の武者が、この杉に矢を射立てて武運長久を祈ったそう
です。
上の写真の中央の黒い石碑板は、「矢立の杉の解説」ではなく
て、杉良太郎の「矢立の杉の曲」の歌詞です。
上の写真の左側に小さくみえる地蔵菩薩は、杉良太郎が
建立したものだそうです。
ここまで、峠道の約1/3を上って来たところで、持病の
股関節が痛みはじめました・・・
この先へ進むのを諦めて、歩いて来た峠道の下り坂を、
ゆっくりと歩いて下りて行きます。
ゆっくりゆっくりと歩いて笹子峠の登り口に何とか
たどり着きました。
登り口にたどり着いてから、更に股関節炎の痛みがひどく
なったのに加えて、猛暑の炎天下でバテてしまったので、
ここから路線バスに乗って笹子駅まで戻ります。
これから先、持病の股関節炎を抱えて、峠道の残り約2/3を
どうやって歩くか、帰宅してからじっくりと計画を練り直す
ことにしました。
次回は、今回歩いた矢立の杉から、笹子峠の頂上を越えて、
笹子峠の反対側の麓の「駒飼宿」を目指します。