(写真は、山鹿温泉の「さくら湯」)
3/16から3/24まで、熊本の実家に帰省していた間に、西郷
や篤姫も通ったという「薩摩街道」を歩いてみることに
しました。
しかし、現在、私は股関節炎のため、整形外科医から「1日の
歩行距離を5キロに抑えること」と命ぜられているので、薩摩
街道の宿場間を歩くことは断念しました。
その代わり、電車かバスで薩摩街道の宿場町まで出掛け、その
宿場町の中を歩くことにしました。
と言う訳で、前回の薩摩街道の「田原坂」に続いて、
今回は薩摩街道の「山鹿(やまが)宿」です。
「薩摩街道」は、”鹿児島”から”熊本”を経て、肥前(佐賀)
の田代で長崎街道に合流し、”豊前・小倉(北九州市)”へ
至る参勤交代のルートでした。
「薩摩街道」のうち、”熊本”から北上して、「山鹿」を経て
”小倉”に至る部分については、「豊前街道」とも呼ばれ
ました。
「山鹿宿」は、「薩摩街道」の名湯の宿場町として栄え、大名
行列も足を止めて、ゆるりと温泉を楽しんだそうです。
熊本市の交通センターからは、山鹿行きのバスが約30分毎に
出ており、ここから産交バスで1時間10分の「山鹿温泉
プラザ前」で下車します。
「豊前街道(薩摩街道)」沿いの「山鹿宿」には、次頁の写真
の様に、歴史ある商家が軒を連ね、風情ある町並みが続きます。
上の写真は、豊前街道沿いの真言宗・金剛乗寺の入口にある
アーチ状の石門です。
街道沿いのバス停・温泉プラザ前の前には、写真の立派な
唐破風玄関の山鹿温泉「さくら湯」があります。
さくら湯は、街の中心地にあり、外見からも歴史を感じる、
シンボル的な公共温泉施設です。
上のさくら湯の航空写真から分かる様に、独特の屋根の形は、
十字にクロスしています。
約800年前、”湯に浸っている鹿”を発見したのが「山鹿
温泉」の始まり、と伝えられる由緒ある温泉です。
江戸時代に入ると、山鹿温泉を大変気に入った肥後藩主・細川
忠利が、ここに「御茶屋」(藩主の休息所)を建てました。
この御茶屋の温泉が、写真の「さくら湯」の始まりだ
そうです。
山鹿温泉を大変気に入った細川忠利は、客人の宮本武蔵を、
この温泉に招待しました。
この御茶屋の温泉は、江戸時代、殿様と重臣の「御前湯」、
家臣の「御次湯」、庶民の「外湯(さくら湯)」に分かれて
いました。
庶民のさくら湯は、男女混浴でしたが、御前湯と御次湯には、
それぞれ専用の門があったそうです。
「さくら湯」は、明治初期に、細川藩から山鹿市に払い下げ
られました。
しかし、「御前湯」「御次湯」「外湯(さくら湯)」の区分
は、明治時代に入っても、「松の湯(一等)」、「紅葉湯
(二等)」、「さくら湯(三等)」として残っていた
そうです。
江戸時代からの「さくら湯」の建物は、昭和48年に
取り壊されましたが、平成24年に、山鹿市が再生事業
として、現在の「さくら湯」の建物を再建しました。
(北の玄関)
さくら湯には南北に2つの唐破風の玄関があります。
(南の玄関)
(さくら湯の前に建つ宮本武蔵像)
300円を払って、北の唐破風玄関から「さくら湯」の温泉に
入ります。
豊富な湯量の山鹿温泉の泉質は、アルカリ性単純温泉で、
神経痛、筋肉痛に効くそうです。
入ってみると、温度がやや温めで、無臭無色、優しい感じの
温泉で、肌触りが気持ちいいです。
昔は、浴槽の底から自噴していたそうで、それを再現した
造りの浴槽は、20畳ほどもあり、広々としています。
(さくら湯の玄関の写真から)
次頁の写真は、江戸時代には、殿様のための「御前湯」だった
という「龍の湯」ですが、市松模様の大理石の床と龍の天井絵
が特徴です。
この「龍の湯」は、明治時代に入ると、貴賓客用として使用
されたそうです。
さくら湯の中には、山鹿温泉の歴史を説明する上の写真の
資料室もあります。
お腹が空いたので、さくら湯を出て、その奥の通りにある
レトロな飲食店街の「郷土料理 彩座(いろどりざ)」に
入ります。
熊本の郷土料理と言えば、やはり、”馬刺し”です。
私は、「馬刺し重」(1,200円)と「馬刺し握り」(720円)
を注文しました。
やはり、熊本の馬刺しは美味い!
「馬刺し重」は写真を撮り忘れましたゴメンナサイ・・・、
上はお店のメニューの写真です。)