ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

電車で行く「薩摩街道」 ( その8-2:山鹿宿・八千代座 )  2018.3.18



(写真は、「八千代座」の内部)

前回の薩摩街道・山鹿宿の「さくら湯」に続いて、今回は
山鹿宿の「八千代座」です。

豊前街道沿いの「山鹿宿」は、江戸時代、参勤交代の宿場町
として栄えた歴史、文化、温泉の町です。

今でも、当時の面影を残しており、前回ご紹介した「さくら
湯」、今回ご紹介する「八千代座」などの見どころが、豊前
街道沿いの”徒歩5分圏内”に集まっています。



「八千代座」の周辺には、江戸時代創業の麹専門店や、明治
創業の造り酒屋など、間口が狭く奥行きが長い、典型的な
宿場町の家並みが残されています。




「八千代座」(国重文)は、江戸時代の建築様式を受け継いで
おり、明治43年に、旦那衆と呼ばれる山鹿の実業家たちの手
によって造られた芝居小屋です。
 
当時の山鹿は、菊池川の水運、豊前街道を利用した陸運の要所
で、物資の集散地であると同時に、九州屈指の温泉場として
隆盛を極めていました。
八千代座は、その様な当時の山鹿の豊かさの象徴するもので
あり、そのため大正から昭和にかけては、全国各地から多くの
有名な芸能人たちも来演しました。
昭和に入ると、テレビの普及などにより一時廃屋同然となり
ましたが、市民を中心に復興運動を展開、大修理を経て、
平成13年に復活したそうです。

今では、坂東玉三郎の芝居小屋として広く知られる様になり、
時々、玉三郎が歌舞伎公演しているらしいです。

八千代座の木戸口をくぐります。
( 大人520円、第2水曜休館 )


館内に入ると、華やかだった明治・大正の熱気や、観客の
ざわめきが聴こえてくるようです。



  
八千代座では、歌舞伎以外にもコンサート等のイベントが開催
されていますが、公演日以外は、見学可能で、親切なガイド
さんが、40分くらいかけて、丁寧に説明してくれます。

ドイツ製のレールを使った廻り舞台、花道、囃子場などを
備え、客席も桝席と桟敷席で構成された、江戸時代の歌舞伎
小屋の様式を今に伝えています。



現在の劇場は、大正12年当時の姿を、平成13年に修復復元
したもので、往時を偲ぶ天井広告看板や、桟敷天井の
シャンデリアは一見の価値があります。





奈落(スッポン)


廻り舞台(奈落)


八千代座と同じ様な芝居小屋については、福岡県飯塚市の
「嘉穂劇場」へ行ったことがあります。

嘉穂劇場は、昭和6年落成の1,200人収容という、地方
にしては驚く大きさの芝居小屋です。

かつての飯塚が、炭鉱の街として、活気に溢れて栄えていた
事を考えると、その規模の大きさに納得したものでした。
しかし、今回、鄙びた熊本の山鹿の田舎町に、飯塚と同規模の
立派な芝居小屋が残っているのは、驚きで感動でした。

(飯塚の嘉穂劇場については、「JR九州・飯塚本線:石炭王
嘉納伝助の邸宅へ」
を見てね。)



「八千代座」を出て、近くの上の写真の「山鹿灯篭民芸館」に
入ります。



「山鹿灯篭民芸館」(国有形文化財)は、大正14年に
建てられた安田銀行(現みずほ銀行)山鹿支店の内部を
改造して、「山鹿灯篭」を展示しています。




「山鹿灯篭」は、古く室町時代を端に発するもので、金灯篭や
神社仏閣などを、和紙と糊だけで作り上げる伝統的な工芸品
です。



館内では歴代の灯籠や、非常に精巧な灯篭作りの熊本城、
八千代座などが展示されています。





「山鹿」で有名なのは、毎年8月15・16日の「山鹿灯籠
まつり」です。

「山鹿灯籠まつり」は、浴衣姿の女性が、中に火が灯った和紙
で出来ている金色の灯篭を、頭に載せて「♪よへほ節♪」を
踊る、とても優雅で幻想的な祭りです。


(山鹿灯篭民芸館の展示絵画)


山鹿灯篭民芸館の先の国道交差点の湯の端公園には、写真の
観光客用の「あし湯」があります。
バスの時間まで、あし湯で過ごします。

山鹿温泉については、次は、ゆっくり泊りがけで来たいと
思いました。


(山鹿灯篭民芸館の展示写真)

♪主は 山鹿の 骨なし灯籠♪  ♪よへほ よへほ♪

♪骨もなけれど 肉もなし♪  ♪よへほ よへほ♪


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コメント一覧

ウォーク更家
1泊したい山鹿
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
ええ、八千代座は、舞台裏まで丁寧に説明してくれて楽しかったです。

昔、山鹿に来たことがあるのですが、恥ずかしながら、当時は、未だ歴史に興味がなかったせいもあり、ほとんど記憶にありません・・・

今回は、山鹿市の中心部だけでしたが、山鹿市の周辺には色々と興味深い史跡があるので、次回は、1泊して、温泉に浸かりながら、じっくりと見物したいと思います。

熊本県は、素敵な町がいろいろ残っているのに、全国区が少ないのは、県が宣伝が下手なせいだと思います。
こもよみこもち
こんばんは
https://blogs.yahoo.co.jp/ya3249
八千代座もさすが重文という建物ですね。
舞台裏まで見学できるのが、またいいです。

山鹿は、しっかり見ようとすると1日観光ですね。
熊本県にもこんな町が残っているのですね。
ウォーク更家
昔の芝居小屋での思い出
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
ええ、八千代座は、国の重文に値する立派な芝居小屋でした。

そう言えば、私も、子供の頃に見た芝居小屋で、敵が背後にいるのを、客が主役に教えてあげる光景を思い出しました。
古き良き時代の懐かしい思い出です。

私も、次回は、山鹿宿の温泉場に宿泊して、八千代座の公演を見たいと思っています。
iina
芝居小屋 八千代座
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/31998bc0eba4cd0a88eafaad5cb9bedc
山鹿宿の「八千代座」は、立派な芝居小屋です。国の重文のというのも納得です。^^
 
幼いころは、古里にもこのような芝居小屋に親に連れられて行きました。玄関で下足番に靴を預け下足札を手渡されました。
芝居も、敵が背後にいると客が演者に教えて「ありがとぅ」と応えて敵をバッサリ斬り捨てる場面などが懐かしいです。

山鹿宿が温泉場であるなら、なおさら「八千代座」には木戸銭を払っても寄ってみたい小屋です。


「杮落とし」の「こけら」の漢字「柿(こけら)」と「杮(かき)」を、いま見直しても比較できません。 ^_^;

ウォーク更家
薩摩街道は九州の歴史
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そうですよね、薩摩街道を見て行くと、自ずから九州の歴史が見えて来ますよね。

九州地方の安田銀行(現みずほ銀行)の支店の全般については知りませんが、私の地元の肥後銀行については、昭和恐慌の際に援助したのがきっかけで、現在も人的な繋がりがあるみたいです。

安田銀行が救済のために吸収合併した地方銀行も多かったみたいなので、意外と田舎に安田銀行の支店があったのでしょうね。
船橋原人
薩摩街道
「薩摩街道」編を見て、九州の事がよく分かります。
「安田銀行」は熊本の方にも多くの支店があったようですが・・・
東北地方にもかなり多く支店があったようです。これは養蚕などの産業を支援するためだったようですが、九州の目的は何だったのでしょうか?
ウォーク更家
銀行跡の山鹿灯篭民芸館
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そうですね、この辺りは熊本県でも田舎で、第二次大戦の空襲もなかったみたいなので、さくら湯や八千代座や古い銀行などが残ったのでしょうね。
大切にしたいです。
hide-san
山鹿灯篭民芸館
https://blog.goo.ne.jp/hidebach/
八千代座もそうですが、
大正らしい銀行の建物など、良く残って居ますね。
第二次大戦も潜り抜けて、良く残りました大切にしたいですね。
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