(写真は、「八千代座」の内部)
前回の薩摩街道・山鹿宿の「さくら湯」に続いて、今回は
山鹿宿の「八千代座」です。
豊前街道沿いの「山鹿宿」は、江戸時代、参勤交代の宿場町
として栄えた歴史、文化、温泉の町です。
今でも、当時の面影を残しており、前回ご紹介した「さくら
湯」、今回ご紹介する「八千代座」などの見どころが、豊前
街道沿いの”徒歩5分圏内”に集まっています。
「八千代座」の周辺には、江戸時代創業の麹専門店や、明治
創業の造り酒屋など、間口が狭く奥行きが長い、典型的な
宿場町の家並みが残されています。
「八千代座」(国重文)は、江戸時代の建築様式を受け継いで
おり、明治43年に、旦那衆と呼ばれる山鹿の実業家たちの手
によって造られた芝居小屋です。
当時の山鹿は、菊池川の水運、豊前街道を利用した陸運の要所
で、物資の集散地であると同時に、九州屈指の温泉場として
隆盛を極めていました。
八千代座は、その様な当時の山鹿の豊かさの象徴するもので
あり、そのため大正から昭和にかけては、全国各地から多くの
有名な芸能人たちも来演しました。
昭和に入ると、テレビの普及などにより一時廃屋同然となり
ましたが、市民を中心に復興運動を展開、大修理を経て、
平成13年に復活したそうです。
今では、坂東玉三郎の芝居小屋として広く知られる様になり、
時々、玉三郎が歌舞伎公演しているらしいです。
八千代座の木戸口をくぐります。
( 大人520円、第2水曜休館 )
館内に入ると、華やかだった明治・大正の熱気や、観客の
ざわめきが聴こえてくるようです。
八千代座では、歌舞伎以外にもコンサート等のイベントが開催
されていますが、公演日以外は、見学可能で、親切なガイド
さんが、40分くらいかけて、丁寧に説明してくれます。
ドイツ製のレールを使った廻り舞台、花道、囃子場などを
備え、客席も桝席と桟敷席で構成された、江戸時代の歌舞伎
小屋の様式を今に伝えています。
現在の劇場は、大正12年当時の姿を、平成13年に修復復元
したもので、往時を偲ぶ天井広告看板や、桟敷天井の
シャンデリアは一見の価値があります。
奈落(スッポン)
廻り舞台(奈落)
八千代座と同じ様な芝居小屋については、福岡県飯塚市の
「嘉穂劇場」へ行ったことがあります。
嘉穂劇場は、昭和6年落成の1,200人収容という、地方
にしては驚く大きさの芝居小屋です。
かつての飯塚が、炭鉱の街として、活気に溢れて栄えていた
事を考えると、その規模の大きさに納得したものでした。
しかし、今回、鄙びた熊本の山鹿の田舎町に、飯塚と同規模の
立派な芝居小屋が残っているのは、驚きで感動でした。
(飯塚の嘉穂劇場については、「JR九州・飯塚本線:石炭王
嘉納伝助の邸宅へ」を見てね。)
「八千代座」を出て、近くの上の写真の「山鹿灯篭民芸館」に
入ります。
「山鹿灯篭民芸館」(国有形文化財)は、大正14年に
建てられた安田銀行(現みずほ銀行)山鹿支店の内部を
改造して、「山鹿灯篭」を展示しています。
「山鹿灯篭」は、古く室町時代を端に発するもので、金灯篭や
神社仏閣などを、和紙と糊だけで作り上げる伝統的な工芸品
です。
館内では歴代の灯籠や、非常に精巧な灯篭作りの熊本城、
八千代座などが展示されています。
「山鹿」で有名なのは、毎年8月15・16日の「山鹿灯籠
まつり」です。
「山鹿灯籠まつり」は、浴衣姿の女性が、中に火が灯った和紙
で出来ている金色の灯篭を、頭に載せて「♪よへほ節♪」を
踊る、とても優雅で幻想的な祭りです。
(山鹿灯篭民芸館の展示絵画)
山鹿灯篭民芸館の先の国道交差点の湯の端公園には、写真の
観光客用の「あし湯」があります。
バスの時間まで、あし湯で過ごします。
山鹿温泉については、次は、ゆっくり泊りがけで来たいと
思いました。
(山鹿灯篭民芸館の展示写真)
♪主は 山鹿の 骨なし灯籠♪ ♪よへほ よへほ♪
♪骨もなけれど 肉もなし♪ ♪よへほ よへほ♪