(写真は前田家別邸)
今回は、前回のブログ「草枕(小天温泉)」の続き
の「前田家別邸」です。
明治30年の大晦日、夏目漱石は、熊本市の西側に
位置する金峰山の麓の「峠の茶屋」を越えて、
「小天温泉(那古井館)」の「前田家別邸」
に逗留します。
「草枕」では「前田家別邸」は「那古井の宿」
として登場します。
そう、前回のブログで、私が訪れた「那古井館」
のある「小天温泉」です。
前回のブログの続きになりますが、私は、那古井
館で昼食を済ませてから、「那古井館」の裏手の
「前田家別邸」へ行ってみました。
草枕 (新潮文庫) | |
夏目 漱石 | |
新潮社 |
漱石は、正月の数日をのんびりと「前田家別邸」
で過ごし、この体験を素に「草枕」を発表して
います。
”温泉や 水滑らかに 去年の垢”
「草枕」は、漱石と同じ30歳の青年画家が美を
求めて、片田舎の温泉を訪ねる旅の物語です。
青年画家は、温泉旅館の娘・那美と出会い、
ひかれてゆきます。
「草枕」では、主人公の青年画家は、旅を
しながら”美とは何か”を考え続けます。
小説の中では、急速に西洋化する時代を批判し
つつ、漱石自身の美術論・芸術論を展開しています。
小天温泉の「前田家」は、細川藩の槍の指南で、
”小天温泉から熊本の城下まで、他人の土地を
踏まずに行ける”
というほどの栄華を誇った名門でした!!
その当主の前田案山子(かかし)は、維新に際し、
自由民権運動家となり、衆議院議員となりました。
夏目漱石は、前田家別邸に滞在中に、前田案山子
の娘「ツナ(卓)」に出会いますが、この「前田
ツナ」が「草枕」のヒロイン「那美」のモデル
となりました。
当主の前田案山子は、長年の政治活動で資産を
使い果たし、前田家は急激に衰退したそうです。
「前田家別邸」は、現在は、下の写真の様に、
「草枕」に描かれた「離れ」の一部と「浴場」
が史跡として保存されているのみです。
ちなみに、宮崎駿は、この「離れ」を訪れて
「風立ちぬ」の着想を得たそうです。
私が行ったときは、訪れる人も少なく、史跡の
周辺は少し寂れた印象でした。
でも、当時は、下の写真の様に、敷地全体を
使いその段差を生かした豪壮な木造三階建て
の宿で、各界の署名人、政治家、政府高官が
訪れたそうです。
(BS朝日)
しかし、明治34年の失火で前田家別邸は焼失してしまったそうです・・・
「草枕」では、主人公の青年画家は、「白髪の
老人」と「その娘・那美」に出会います。
「白髪の老人」のモデルは、下の写真の「前田家
当主・前田案山子(かかし)」です。
そして「那美」のモデルは、下の写真の「前田
案山子の娘・前田ツナ」で、なぎなたの名手
だったそうです。
(BS朝日)
那美は、不幸な結婚に破れた出戻りで、村人から
気がふれたと言われていました。
那美は、夜中に歌を唄ったり、廊下を振り袖姿で
行ったり来たりと、青年画家を唖然とさせます。
(徘徊する振り袖の女)
しかし、青年画家はこの娘にひかれてゆきます。
モデルとなった前田ツナの人物の実像は、漱石
好みの女性で、小説の那美に非常に近い人だった
そうで、「三四郎」の「美禰子」とも重なる
そうです。
前田ツナは、後に、中国革命の支援に奔走します。
下の写真は、保存されている現在の風呂場ですが、
当時の最先端の技術で造られたそうです。
そして、漱石は、この風呂場で、実際に思い
がけない”事件”に遭遇します。
それは、「草枕」では次の様に描かれています。
”階段の上に何者か現れた。
広い風呂場を照らすものは、ただ一つの
小さき釣りランプのみである。
何とも知れぬものの一段動いた時、余は女と
二人、この風呂場の中に在る事を覚った。
漂わす黒髪を雲とながして、あらん限りの
背丈を、すらりと伸した女の姿を見た時は、
ただひたすらに、美しい画題を見出した
とのみ思った。”
この事件の真相については、後日、前田ツナが、
以下の様に語った、と風呂場跡の案内板に
書かれていました。
「もう遅いから誰もいないと思って男湯に
入ったら、夏目さん(漱石)と山川さん(漱石
の同僚)がいたので、慌てて飛び出した。」
しかし、BS朝日「にほん風景物語」によると、
”誰も居ないと勘違いした前田ツナが入浴しよう
としたという説”以外の説もあり、真偽の程は
不明だそうです。
(BS朝日:漱石滞在時の風呂場)
旅のあと、漱石はロンドンに留学し、教員を
やめて作家となります。
そして、10年後、旅の思い出を小説「草枕」
として発表します。
漱石は、ロンドンに留学中、友人に宛てた手紙に
以下の様に書いています。
”日本に帰ったならば、また日本流の旅行を
してみたい。小天行きなど思い出すよ。”