(写真は、三角西港の石積みの埠頭 : 世界遺産)
お盆の墓参りで、実家の熊本へ帰省しました。(7/15~20)
その間に、世界文化遺産(明治日本の産業革命
遺産)に登録されたばかりの地元の「三角西港」
へ行ってみました。
「三角西港」は、狭い範囲に数々の建物が点在して
おり、郷愁を誘うスポットでした。
三角西港は、熊本市街地から、路線バスで1時間です。
・熊本市交通センター(9:45)→(産交バス・
あまくさ号・本渡行き)→ 三角西港(10:48)
路線バスは、三角半島を、JR「A列車で行こう」
が走る側とは反対側の海岸線を三角へ向かいます。
(「A列車で行こう」については「JR九州・
三角線・特急・A列車で行こう」
(2014/2)を見てね。)
目的地の「三角西港」は、宮城県の野蒜(のびる)
港、福井県の三国港と共に、「明治の三大築港
事業」として、明治17年から20年にかけて築港
されました。
港の設計は、内務省派遣のオランダ人ムルドルで、
施工は、長崎のグラバー邸等を手掛けた天草の
石工達でした。
三角西港は、埠頭だけではなく、背後地の道路や
水路も含めて、総合的な港湾都市として設計され
ました。
市街地を石造りの排水溝で囲み、大道や石橋を
架けた欧風の街づくりで、当時の日本としては
画期的でした。
しかし、三池炭鉱(世界文化遺産:福岡・熊本)
の石炭を上海に輸出するための港だったものの、
鉄道の普及などにより、僅か40年の繁栄に終わり
ました。
「埠頭」
海岸沿いの730メートルにわたる石積みの
「埠頭」(国有形文化財)です。
埠頭からは、上の写真の様に、昭和41年開通
の「天草五橋」の一号橋が見えます。
「排水路」
3面石張りの「排水路」(国有形文化財)で、
山水の排水も兼ねた下水道の役割を果たして
います。
「旧高田回漕店」
4隻の汽船を持っていた明治時代の回船問屋
の建物です。(平成11年復元)
「浦島屋」(旅館)
三角西港の築港当時の資料や、小泉八雲に
関する資料が展示されています。
明治26年、小泉八雲が、長崎の帰途に立ち
寄り、紀行文「夏の日の夢」の舞台となり
ました。(平成4年復元)
「龍驤館(りゅうじょうかん)」(国有形文化財)
大正7年、明治天皇即位50周年記念として
建てられた洋館です。
明治天皇が軍艦「龍驤」で三角浦に一泊
されたことにちなんで名づけられました。
「旧三角海運倉庫」(築港記念館:オランダカフェ「和蘭館」)
三角西港が最も繁栄した頃、埠頭に面して
数多く並んでいた土蔵造の頑丈な倉庫の一つ。
平成11年、海側にテラスを設けたレストラン
に改造されました。
写真のウッドテラスで、目の前の石積埠頭が
広がる海を眺めながら、ケーキとコーヒーで
一休みします。
この和蘭館の前の埠頭は、『坂の上の雲』の
ロケで使われたそうです。
当時は、埠頭沿いには倉庫が建ち並び、埋立地
には、洋風・和風の建物が整然と建っていた
そうです。
遊郭や検番など、船乗りや地元の有力者が遊ぶ館
もあったそうですが、現存する建物は僅かです。
更に、街区の後方の高台まで足を伸ばすと、
「旧宇土郡役所」と「旧簡易裁判所」が
軒を連ねています。
「旧宇土郡役所(現:海技学院)」
明治35年、宇土郡役所として建築された
擬洋風(ぎようふう)の建物です。
現在は海技学院として利用されています。
「旧三角簡易裁判所本館」
赤レンガや緑に映える黒い鉄門の中に入ると、
和風の木造の建物が広がりますが、ここは、
平成4年まで裁判所として使用されました。
現在は、「法の館」として、法廷、子供法廷
の他、重要資料展示室として一般公開されて
います。
法廷もそのまま残り、椅子に座って裁判長の
気分になったり、被告席に座って犯人の気分
になったりして楽しめました。
また、ここは、映画『るろうに剣心』の
ロケ地でもあります!
「るろうに剣心・伝説の最後編」では、「旧三角
簡易裁判所本館」は、漁師に助けられた薫
(武井咲)が治療を受ける療養所として出て
きます。
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