(江戸川公園の桜)
今年は、今月7日(日)に、「江戸川公園」(文京区)へ
お花見に行って来ました。
この日は日曜日で暖かく、長らく続いていた雨風もウソの様に
収まり、絶好のお花見日和になりました。
テレビのニュースでは、千鳥ヶ淵、上野公園、目黒川のお花見
は大混雑で、特に 中目黒駅では入場制限をしていると報じて
いました。
そこで、お花見の穴場を探し、比較的混雑が少ないと思われる
「江戸川公園」に決めました。
地下鉄「江戸川橋駅」で下車します。
「江戸川橋」を渡ります。
江戸川橋を渡ると、もう「江戸川公園」です。
江戸川公園は、関口台地の南斜面の「神田川」沿いに広がる
東西に細長い公園です。
(洋風の山小屋を模した時計搭のある休憩所)
「神田川」沿いに、江戸川公園の桜祭りを見て行きます。
(藤棚のあるテラス)
公園の入り口の近くには、大正時代に、この神田川の治水事業
に尽力した上の写真の「大井玄洞」の胸像が有ります。
「神田川」は、かっては「江戸川」と呼ばれてました。
このため、この「神田川」沿いの公園は、「江戸川公園」
という名称です。
しかし、「神田川」沿いのこの「江戸川公園」を、江戸川区に
ある公園だと勘違いされる方も多いみたいです。
前頁の写真の様に、川面一面に、散った花びらが浮かんでいて
花筏の風景です。
ここに「神田上水の取水口」だった「大滝堰(せき)」の石柱
が残っているとの説明版があります?
説明版によると、「井の頭池」を水源とする「神田上水」
(神田川)は、ここに写真の「大滝堰(せき)」を築く
ことによって水位を上げていました。
この大滝堰の取水口から、神田上水を取り入れて、地下を
樋(とい)で、神田や日本橋方面に流していたそうです。
(上水取込み口の遺跡)
(江戸名所図会:「大滝堰」(上水の取込み口))
公園の通路の脇は、シートを敷いて花見弁当を楽しむ人々で
溢れています。
日曜で暖かったので、かなりの人出でしたが、それでも、他の
大混乱のお花見の名所に比べるとお花見の穴場です。
江戸川公園から上流の神田川沿いは、ソメイヨシノが満開
です。
写真は、椿山荘の裏門です。
以前は、ここから椿山荘に入れましたが、今は門が閉じていて
通り抜け出来ない様になっていました。
(椿山荘の本館ビル)
上の写真の坂は、坂が険しく、自分の胸が突く様にしなければ
上れないので、「胸突坂(むなつきざか)」と呼ばれました。
この胸突坂の入口の右手の茶色の門が「関口芭蕉庵」です。
「関口芭蕉庵」は、神田上水の改修工事に携わった「松尾芭蕉」
が、ここ「関口芭蕉庵」と呼ばれる「水番屋」に住んでいた
そうです。
(深川の芭蕉庵については、「深川・芭蕉記念館」を見てね。)
(水番屋に住んでいた芭蕉については、「芭蕉忍者説」を
みてね。)
芭蕉は、日本橋で、俳諧師をしながら、一方で、何と!、
神田上水の「水道工事の請負人」もしていました!
現在残されている江戸時代のお触書に、「上水道の工事がある
ので、契約している町内は、桃青(芭蕉)に連絡する様に。」
とあります。
芭蕉が、人員、工具の手配、工事中の断水の連絡などを
取り仕切っていた、とありますから驚きです!
芭蕉は、何をやっても如才なくできる有能な人で、俳諧師と
水道工事、どちらも成功した不思議な人物でした。
(芭蕉句碑:ふるいけや 蛙飛び込む みずのをと)
(芭蕉翁の墓:芭蕉の短冊を埋めて墓とした:”五月雨に
かくれぬものや 瀬田の橋”)
(芭蕉の木)
関口芭蕉庵を出て、更に、神田川沿いの遊歩道を歩いて
行きます。
駒塚橋を渡って対岸に移ります。
橋の上は、写真スポットで多くの人がカメラを構えています。
対岸を江戸川橋まで歩いて戻ります。
江戸川橋まで戻って来ました。
近くの「地蔵通り商店街」に足を伸ばしてみます。
地蔵通り商店街の入口にある「子育て地蔵」です。
江戸川橋駅に戻り新横浜に帰宅しました。