(高島藩主も、わざわざここまで出向いて鯉料理を賞味した
という「茶屋 橋本屋」)
上諏訪宿を抜けて、甲州街道のゴールの下諏訪宿を目指し
ます。
旧甲州街道を進むと、左手に、「下桑原の一里塚跡」があり
ます。
西の塚の塚木は榎でしたが、東の塚には塚木がなかった
そうです。
これからは、”赤丸印が付された写真”が、度々、出て来ます
が、この赤丸印は、全て「自宅用の温泉のタンク」です。
(自宅用温泉タンクの説明は、
「甲州街道を歩く・金沢宿から上諏訪宿へ」を見てね。)
更に進んで行くと、左手に、上の写真の指月庵(しげつあん)
の駐車場があります。
高島藩の藩主が、菩提寺である温泉寺に墓参りに行く際に、
ここ指月庵を休憩所としたそうです。
指月庵の駐車場の前がY字路になっていますが、旧甲州街道は
左折します。
右折すると、高島藩の菩提寺である温泉寺への上り坂の参道
です。
旧甲州街道を進んで行くと、右手の奥に、上の写真の
日本三霊山の一つの白山の「白山神社」があります。
更に進むと、右手に、写真の「先宮(さきのみや)神社」が
あります。
拝殿の横の大ケヤキは、樹齢690年の古木です。
この神社の参道口の用水には、橋が架かっていません?
説明版によると、諏訪大社の神が、この地に鎮座した際に、
この神社の神様が抵抗しました。
このため、この神社の神様は、この境内から出ることを永久に
禁じられました。
そのために、今でも、神社の前の用水には、橋が架けられて
いない、とあります。
境内には、1628年建立の男女双体道祖神が祀られて
います。
先宮神社を出て少し歩くと、空洞になった「大ケヤキ」が
ありました。
大ケヤキの近くに写真の「男女双体道祖神と津島牛頭天王」が
ありました。
この辺りは、蔵のある家が多いです。
更に旧甲州街道を進んで行くと、「諏訪湖」が棚田の上に
全景を現わしました!
甲州街道のゴールの「下諏訪宿」まであと徒歩20分です!
長かった5街道踏破の瞬間が近づいてきます!
街道の左手に、写真の「茶屋 橋本屋」跡があります。
橋本屋の桁には、写真の赤丸印の様に、鯉の彫刻が
施されています。
諏訪湖で獲れた鯉の料理が橋本屋の名物で、高島藩主も、
わざわざここまで出向いて賞味したそうです。
建物の左手の門は、高島城の三の丸の門を移築したものです。
橋本屋の向いの「元気もりぞう」は、郵便ポストを木で覆って
いました。