
家の周辺を散歩していると、オニグルミの木を所々に見かける。夏になると実が付き秋になると落果する。縄文時代から食されてきたソウルフードだ
クリとともに、縄文時代から食べられてきた木の実は、9月中旬に熟し、10月には落果する。 生食もできるが、一般には、落果した果実を拾い集め、しばらく置いて果皮を腐らせてから水洗いして殻を干して保存する。 必要に応じてこれを焼いて口を開かせ、中身の子葉を取り出して用いる。 栄養価が高く、クルミ餅は最高のご馳走だった。
そのオニグルミだが、毎年不思議に思っていることが...秋に実を付けている光景を見たことがない。そして落果した実も見たことがない。恐らく決まった目ざとい人がいて毎年恒例で根こそぎ収穫していくのだろう(笑)
オニグルミから縄文に思いを巡らすと、
縄文人は、「手に取って食べやすいもの食べる」「手を伸ばしてとれるものを採取する」「食べたら種をまく」このように危険を冒さずに「採取」できるものを食べ物として選んでいた。海では貝を拾い 貝汁に山菜を合わせたりして (美味しそう) また、冬になれば不足分を補うために狩猟をして命あるものを頂いていた。高い精神性を持ち合わせ人々は争うこともなく、食べ物を分け合い、自然との調和を図り平和に暮らしていた。
しかし、時を重ねるにつれ人口が増え、まとまった食料が必要になり農業が開発された。そこで「作らねばならない」という隷属的な思考が幅を利かせていったのだろう。 弥生時代になると渡来人と深く関わることになり思想も文化も塗り替えられいくことになる
理想的な食生活を突き詰めていくと、縄文の採取生活になると思うのだが、これだけ自然を破壊し、農薬で土壌菌を殺し、海には重金属を垂れ流す...毒された現代においては、縄文人の真似事すら困難だ
人間がこれからやるべきことは、地球の浄化だと思うが...まずは耐えに耐えてくださっている地球様への謝罪が先だろう。
地球はただの岩石の固まりではない、私達も肉体と魂があり思考と感情があるように、地球も岩石とエネルギー体があり思考も感情もある。地球は生きてると考えるのが妥当だと思う。
よく「地球が怒っている」とか言っているのを聞くが、その通りだと思う。地球に言わせれば「いつでも大天変地異を起こして世界をリセットするのは簡単」ということだろう。現に過去に5つ?の文明が天変地異で消滅したとも言われている
結局何が言いたいかというと (酒 飲みながら書いているので、これ以上くだを巻かずに簡単にいうと)
とうに地球の怒りが限界を超えている現状、地球からの制裁を「こらえてもらっている」と謙虚に受け止めるべきだと思う。この先、地球と共に自滅するか、明るい未来を共に歩んでいくかは人間の改心次第だろう
今日は「ゆで落花生」をつまみに酒を呑んだが、秋酒のつまみ用に「オニグルミ」でも採取しに行くことにするか
👇 自分で採取もいいが誤食には注意したい
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