その一、その二の続き
マヌ法典の第7章、第8章では「王の生き方」が説かれており、支配者としての政治論が語られている。外交や内政はもちろん刑罰や訴訟についても書かれているのは興味深い。この論法は何処かカウティリヤの『実理論』と重なるものがあり、現代でも通じる思想と感じた個所が結構見られた。7章ではまず王の正当性と神聖化が語られており、その一部を紹介したい。
・7-2 規則に従ってヴェーダによる清めを受けたクシャトリアによって、万物の守護が規定に従ってなされるべし。
・7-3 何故ならば、この世界が王を欠いて、至る所で恐怖のために混乱に陥った時、主は一切の守護のために王を創造したのである。
・7-8 王は例え子供であっても、「人間だ」と言って軽くあしらわれてはならない。何故ならば、彼は人間の姿をした偉大な神であるから。
・7-11 彼(王)の恩寵の中に幸福の女神(シェリー)が住まい、武勇の中に勝利[の神]が、怒りの中に死の神が住んでいる。実に彼は一切の威力によって創られている。
続いてマヌ法典では、刑罰の重要性を説く。
・7-18 刑罰は全ての人民を支配する。刑罰のみが[全ての人民を]守護する。刑罰は[一切が]寝ている時に目覚めている。賢者は刑罰が正義 (ダルマ)であることを知っている。
・7-22 全世界は刑罰によって統制される。何故ならば、潔白な人間は得難いからである。刑罰を恐れることによって全世界は享受に値するようになる。
同時に刑罰の正しい適用も述べている。
・7-27 刑罰を正しく用いる時、王は[前述の]三つ組(ダルマ、カーマ[愛欲]、アルタ[実利])によって栄える。愛欲にふけり、不公平で、低劣である時には刑罰によって滅ぼされる。
・7-32 [王は]自領において正しく振る舞い、敵に対して断固とした刑罰を用い、愛する友には正直で、ブラーフマナ(バラモン)に対しては寛容であるべし。
バラモンへの寛容を説くのはいかにもだが、カウティリヤも弱肉強食を防ぐには王権が必要である、と言っている。つまり、王杖を執る者が存在しない時には強者が弱者を食らうが、王杖に保護されれば弱者も力を得る、という。カウティリヤもバラモンの出自なのだ。ただ、マヌ法典では王には謙譲の精神も求めている。驕れる者、久しからずは何時の時代も同じである。
・7-40 謙譲の無さから、多くの王たちは財産もろとも滅び去った。[一方]森に住む者たち(隠者・苦行者)ですら、謙譲によって王権を獲得した。
マヌ法典では「人民の保護」を説いている。王政はごく一部となってしまった現代でも、国の指導者には次の資質が求められよう。
・7-142 このように自らの責務の一切を処理し、精神を集中し、注意深く人民を立派に守護すべし。
・7-143 盗賊どもによって、泣き叫ぶ人民がその領国から略奪されるのを家臣ともども傍観する王は、生きていても死んでいるのと同じである。
・7-144 人民の守護はクシャトリアにとっての、最高の生き方(ダルマ)である。というのも、[それを遂行する時]王は前述の利益を享受し、[民が蓄積する]功徳(ダルマ)と結ばれるからである。
7章では王からバラモンへの贈り物も説いている。
・7-82 [学生を終えて]師の家から戻ってきたブラーフマナを[贈り物を以って]敬うべし。何故ならブラーフマナに渡されたそれは王にとって、不滅の宝であると言われているから。
法典には名前だけのバラモンへの贈り物でも2倍の果報をもたらすとあり、異教徒の私には明らかな作者の金銭目的による創作としか思えない。8章の大半は訴訟について述べられており、その内容を見ると金銭や相続をめぐる問題が際立って多い。土地や境界紛争への対処法も書かれており、カネや土地は古代から人類社会共通のトラブルなのが伺えた。
その四に続く
◆関連記事:「カウティリヤ-インドのマキアヴェッリ」
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