その一、その二、その三の続き
近隣諸国との関係や外交政策について述べた個所は興味深い。
・7-154 [諸王の]輪円(マンダラ)内の友好関係と敵対関係及び動静について、正確に[思い巡らすべし]。
・7-155 [自国の敵及び征服を企てている王と国境を接している]中間国の王の動静、征服を企てている王の動き、中立の王及び[自国の]敵の動静について慎重に[思いを巡らすべし]
輪円(マンダラ)内というのは、周辺の諸王の関係を輪円風に図式化して考察する考え方が、『実利論』において記述されている。王の周囲に円状をなして直接に隣接する王は敵であり、その敵を挟んで円状に隣接する王は友邦、さらに円状に敵の友邦、友邦の友邦、敵の友邦の友邦というように円が広がる世界観である。
つまり、古代から隣国は仮想敵国だったということ。口を開けば隣国との友好や平和構想を訴える何処かの国の元首相など、マヌ法典の作者たちから見れば途方もない愚者だろう。
8章には危機的な状況に陥った際、バラモンが武器をとることを認めた個所がある。例え危害を加えようとした相手を返り討ちにしたところで、「正しい生き方(ダルマ)に従って殺すのであるから」罪は負わせられない(8-349)と説き、殺害を正当化している。
・8-351 公然とであれ密かであれ、殺意を持って襲い掛かる者を殺しても、殺した者にいかなる落ち度もない。怒りが怒りに応じたのであるから。
やはり私には、女の生き方についての記述が気になった。古代は何処でも男尊女卑だったが、次の箇所は儒教との類似性があって面白い。
・5-147 幼くとも、若くとも或いは老いても、女は何事も独立に行ってはならない。例え家事であっても。
・5-148 子供の時は父の、若い時は夫の、夫が死んだ時は息子の支配下に入るべし。女は独立を享受してはならない。
・5-154 夫は性悪で、勝手気ままに振舞い、良い資質に欠けていても、貞節な妻によって、常に神のように仕えられるべし。
・5-157 夫の死後は、清浄な花や根や果実[を食して]身体を痩せ細らせるのも自由である。しかし他の男のことは、名前すら口にしてはならない。
・5-158 死ぬまで辛抱強く、自己抑制をし、1人を夫とする妻にとっての最高の生き方(ダルマ)を求めるべし。
三従の教え、貞女二夫にまみえず等の教えとは、実はインドがルーツだった?これに背く不貞の妻にはこう書かれている。
・5-164 妻は夫を裏切ることによってこの世で非難され、[再生に関しては]ジャッカルに生まれ、また罪による疫病に苦しめられる。
疫病に苦しめられるのは困るが、性悪で勝手気ままに振舞い、良い資質に欠ける夫に生涯仕えるならば、来世はジャッカルに生まれた方が遥かにマシと、私なら思う。それにしても、古代から女の再婚を認めていた中近東世界とは対照的だ。ヒンドゥー教と繋がりがあるゾロアスター教も、女の再婚は容認している。この違いは何故だろう。
女にはひたすら忍従を説くマヌ法典だが、第3章の「家長の生き方」では妻に対する敬いを説いているのは面白い。次はそこからの引用。
・3-55 父親、兄弟、夫、夫の兄弟は、多幸を望むならば、[家の]女達を敬い、飾り立てるべきである。
・3-56 女たちが敬われる時は神々は満足する。しかし敬われない時は一切の祭儀は果報をもたらさない。
・3-57 女の親族が悲しむ時は、その家はたちまち滅ぶ。しかし彼女たちが悲しまない時は、その家は栄える。
・3-58 女の親族が敬意を返されなくて家を呪う時、家はあたかも呪術によって打ち倒されるかのように壊滅する。
・3-59 それゆえに繁栄を望む者は、常に客のもてなしの時、或いは祝祭の時には必ず女達を装身具、衣服、食べ物によって敬うべきである。
・3-60 夫は妻に満足し、同様に妻は夫に[満足する]。そのような家では常に幸福は揺るがない。
・3-61 妻が輝かなければ夫を喜ばせることは出来ない。夫が喜ばなければ子供は生まれない。
・3-62 しかし妻が輝く時は家中が輝く。彼女が輝かない時は一切が光を失う。
上記の箇所は現代の女から見ても、実に素晴らしい教えである。「釣った魚に餌をやらない」という諺が某国にあるが、装身具、衣服、食べ物を与えられて喜ばない女はいない。「気持ちさえあれば十分」と出し惜しみする向きもあろうが、そうなると女側もそれなりの対応をとるようになる。家畜も餌を与えられれば張り切るし、妻の働きを求めたいならば、それなりの“餌”は必要なのだ。
現代の倫理観では受け入れられない内容が多いが、今も通じる教訓や道徳も見られるのが古典の面白さなのだ。マヌ法典作者の箴言どおりにはならなかったインドだが、良くも悪くもヒンドゥー社会の思想基盤になったのは確かであろう。
◆関連記事:「だれも知らなかったインド人の秘密」
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我が国の場合、特に亭主が給与所得者だと、嫁が一旦全額をめしあげ、然る後に亭主に小遣いを再配分ということが一般的事象のようだ。
これは世界の非常識。アメリカなどでは「20ドルワイフ」などという言葉があって、ハウスワイフは毎朝20ドルを亭主から受け取り、その範囲で1日の生活を切り盛りするという。車や家の修理なども妻に決裁権はなく、業者も「旦那のいる時出直す」と言って帰ってしまうらしい。
物事は一面からだけ見てはいけないということである。
婆羅門は神といっしょ()という記述は以前、大学の授業でみたことありました。
現代の倫理観では受け入れられない内容が多いが、<
これはシャリーアやセム系の十戒等の律法にも当てはまりますね。
一応、両者は法学者に現在風に解釈変更をやってもらっているようですが、インドはどうなんでしょうか?気になります
かの国には、「女は三日殴らないと狐になる」という諺がありますからね。他に「母親を売って友達を買う」「弟の死は肥やし」のような諺もあるくらいなので、まして妻風情に。
法にはありませんが、日本で妻に給料を渡さない夫なら立派に離婚対象となります。ただ、昔は旦那が給料袋を持ち帰りましたが、今では振り込み式になり、給料日には妻たちがAТMの前に並んでいます。職場の上司がこの現象を、亭主の威厳を大いに下げることになった!と ぼやいていました。
仰る通り欧米諸国でさえハウスワイフのように、妻は夫から家計費をその日毎に渡されるのが当たり前でしたね。給料をそっくり妻が管理する日本の方が世界では珍しいケース。だから現代の日本人の妻は、旦那に許可なく食べ物や服、装身具が買えます(笑)。
紀元前と現代では価値観や倫理観がかなり違っており、当然インドの宗教者も現在式に解釈を変更しています。その解釈もつじつま合わせで矛盾も多いのですが、インド知識人の詭弁の上手さには定評があります。