トーキング・マイノリティ

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アンドリュー・ワイエス展/オルソン・ハウスの物語

2012-07-30 21:23:32 | 展示会鑑賞

 先日、宮城県美術館の特別展「アンドリュー・ワイエス展~オルソン・ハウスの物語」を見てきた。本来この特別展は昨年の春、開催される予定だったが、3.11大震災のため今年に変更となった。美術館HPにも展覧会概要として、次の紹介がされていた。

アンドリュー・ワイエス(1917-2009)は、アメリカの原風景とそこで暮らす身近な人々を描き続け、心に深く響く作品を残しました。中でも《クリスティーナの世界》は、アメリカ美術を代表する傑作として知られており、モデルとなったクリスティーナと弟のアルヴァロが住むオルソン・ハウスは、ワイエスの最も重要なモティーフのひとつです。今回は、その創作を解き明かす鍵として、重要性が世界的に評価されている丸沼芸術の森所蔵の「オルソン・シリーズ」から水彩と素描の代表作120点を紹介します。
 本展覧会は昨年4月からの開催予定でしたが、東日本大震災の発生により中止を余儀なくされました。しかし丸沼芸術の森、株式会社丸沼倉庫より復興支援として多大なご協力を頂き、このたびの開催が実現したものです。

 十数年近く前に東京に遊びに行った時、私はアンドリュー・ワイエスという画家を初めて知った。館名は失念したがちょうどワイエス展が開催されており、ポスターを一目見ていい作品だと思い、入場してワイエスの作品を見た。この時の主な展示品は「ヘルガ・シリーズ」、タイトル通りヘルガというドイツ系の農婦を描いた作品群だった。
 米国の画家といえば、私はついポップアートの旗手アンディ・ウォーホールのような色彩が派手で有名人を描いたタイプを連想してしまうが、その対極にあるのがワイエス。ごく普通の田舎の農婦を何点も描いた画家も珍しいのではないか?

 農民を描いた画家ではフランスのミレーが有名だが、私はミレーの作品は好みではない。宗教観念が入っているためか、見ても重苦しく辛気臭い気分になる。農家生まれなら見方も違ってくるだろうが、農作業する農民を描いた作品ならプロレタリア絵画にも見えてくる。
 対照的に米国の百姓を描いたワイエスにはそのような重苦しさは感じさせられず、水彩画ということもあるのか、ごく普通な農家を描いても明るく乾いた画風だった。wikiによればワイエスも「アメリカン・リアリズムの代表的画家」だそうだが、作品から暗さは感じられない。米仏の国情の違いの他に画家個人の気質もあるのだろうか。



 上の画像は代表作《クリスティーナの世界》習作(1948年)。これだけ見れば若い女性の後ろ姿を描いた作品と思うだろうが、モデルとなったクリスティーナは若くも美しくもなく、子供の頃に患ったポリオのため足が不自由な女性。はって家に帰ろうとする姿を描いた絵なのだ。館内の解説によれば、子供時代のクリスティーナは3㎞先の学校にもはって通ったという。
「オルソン・シリーズ」とは、メイン州の町クッシングにある農家オルソン家の人々や家屋を出会いから30年近くに亘り描いた作品である。オルソン・ハウスにはかつてクリスティーナとアルヴァロ姉弟の他に彼らの父親も住んでいたらしいが、少なくとも今回の展示品には父が描かれたものはなかった。

 アルヴァロが作業している姿も何点か描かれており、くわえパイプなので百姓よりも漁師に見えたが、作品の説明ではかつては漁師だったとか。父や体の不自由な姉の面倒を見るため農場を継ぐことになり、本当は農業を嫌っていたそうだ。彼の2人の弟は結婚のため家を離れ農場を持ったが、アルヴァロは生涯独身だったという。思いのままにならない人生でも彼は愚痴ひとつこぼさなかったそうで、個人主義の強いイメージのある米国人にも彼のような生き様もあるのだ。

 20世紀半ばでもオルソン・ハウス周辺は水道やガスも完備されていなかったらしく、機械文明の粋の国というイメージのある米国でも地方は違っていたのか。飲料水は近くの河川や雪解け水を使い、暖房は敷地内の木を伐採、薪にしたという。食堂と台所だけで一冬に使う薪の量は40立方メートルになったそうだ。予めアルヴァロは薪を2年間分準備していたとか。

 アメリカの原風景と聞くとロマンチックなイメージが浮かぶが、実際は厳しい生活なのだ。アルヴァロは73歳で他界するが、晩年は衰弱が目立っていたそうな。弟の死の翌年クリスティーナも世を去る。彼らの墓や冬の葬式、住む人のいなくなった「オルソン家の終焉」等の絵はやはり侘しい。



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