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クリスチャンから見たインカ帝国 その二

2012-07-24 21:10:15 | 歴史諸随想

その一の続き
 世界史の教科書には代表的なコンキスタドールとしてアステカ帝国を滅ぼしたエルナン・コルテスインカ帝国征服者フランシスコ・ピサロの名は載っているが、これにカトリック聖職者が関与していたことは書かれていない。インカ帝国滅亡に神父バルベルデが大きな役割を果たしていたことを知る日本人がどれだけいるだろう。スペインに捕らわれ処刑されたインカ皇帝アタワルパのwikiの解説から引用したい。

バルベルデ神父は通訳を通し、皇帝と臣民のキリスト教改宗を要求し、拒否するならば教会とスペインの敵と考えられると伝えたアタワルパは「誰の属国にもならない」と言うことによって、彼の領土におけるスペインの駐留を拒否した。使節はピサロの元に戻り、ピサロは後に1532年11月16日のカハマルカの戦いと呼ばれるアタワルパ軍に対する奇襲を準備した。

 スペインの法に従い、ピサロたちスペイン人はアタワルパが要求を拒否したことで公式にインカの人々に宣戦布告をした。アタワルパがバルベルデ神父に対し、彼らがどんな権威でそのようなことを言うことができるかと冷たく尋ねたとき、神父は聖書を皇帝に勧め、この中の言葉に由来した権威だと答えた。皇帝は聖書を調べ、「なぜこれは喋らない」と尋ね、地面に放り投げた。
 この行動はインカには書き文字が無かった事によるものだが、結果的にスペイン人に対しインカと戦うための絶好の口実を与えてしまった。神父が神に対する冒涜だと叫ぶ声を合図に、射撃は開始され、2時間にわたり7,000人以上の非武装のインカ兵が鉄剣により殺された(この時使われた鉄砲はごくわずかで、スペイン人の武器の大半は剣だった)。アタワルパは輿から引き摺り下ろされ、太陽の神殿に投獄された…

 クリスチャンの中にはラス・カサスの名を挙げ、原住民を保護しようとした聖職者もいると言う人もいるだろう。その彼も新大陸に渡った16世紀初めは原住民を奴隷として所有使役しながら、農場を経営している。インディオに代わる労働力として西アフリカから運ばれた黒人奴隷の利用もやむなしと考えていたこともある。いずれにせよ、原住民の奴隷化を当然視する時代でラス・カサスの存在は異例だが、このような人物は至って少数だった。
佐倉哲エッセイ集 征服の踊り---アイデンティティーの喪失---」という記事がある。佐倉氏も元クリスチャンで、記事から一部引用する。

「メキシコのインディオの人々に「征服の踊り」という民族ダンスがある。それは、スペイン人がマヤ文明やアステカ文明を壊滅し、先住民を奴隷化し、メキシコにおける征服者となったこと忘れないためインディオが踊るダンスである。踊り手はスペイン人に似せた仮面をかぶり、左手に十字架、右手に剣をもって、聞く者の心をえぐるような、もの悲しいリズムにあわせて、十字架と剣を、「これを取るかそれともこれか」、というようなしぐさで交互に突き出しながら踊り歩く。これを見物するインディオの人々の顔が悲しい。私はこれを見て、いつも涙を禁じ得ない。

 このやり場のないような悲しみはどこからくるのだろうか。それは彼等を奴隷にし、彼等の文明のアイデンティティを捨てさせ、彼等を地獄に落とした、その張本人の西欧キリスト教文明が、彼等の救世主となったことである。そうわたしは思う。西欧キリスト教文明が純粋な悪であったら、インディオにもまだ救いはあったであろう。しかし精神的経済的援助を、その西欧キリスト教文明の善意に頼らざるを得なくなったとき、彼等に救いの道は閉ざされてしまったのだ…
「征服の踊り」の深い悲しみは、自己の救いの根拠を自己の文明のなかに見い出すことができなかった者の悲しみである。わたしには、そう思えてならない…

 もし日本がスペインやポルトガルに征服されていたら、「日本文明」という名で現代人が思い出せるものは、あの偉大なアステカの遺跡とは比べものにならないほどみすぼらしい、城跡の石垣だけというようなことになっていたかもしれない。少なくとも、日本文明が今とは似てもにつかぬものになり果てていたことは疑う余地もない

 このエッセイを読んだ人の感想があり、一か所を除いて同感だった。私は日本人クリスチャンを可哀想とは決して思わないし、逆に彼らに寄生されている一般日本人の方が哀れではないか。

これを読むと、熱心で敬虔な日本人クリスチャンが何だかかわいそうになって来ました。彼らを率いる牧師は、海外の宣教師学校で勉強した日本人か、あるいは欧米人宣教師です。牧師は日本人古来の宗教を、悪霊の住処だとか、邪教として否定する。さらには日本文化そのものを劣ったものと看做し、それを駆逐してキリスト教文化(という名の欧米文化)にとって代えようとする。日本人クリスチャンは日本人古来の霊性と誇りを否定され、キリスト教文化を賛美するように教育される…
 ある意味、日本人クリスチャンとは現代のインディオかも知れません。かつての日本の帝国主義がかわいく見えるほど残酷。悪魔サタンが全裸で逃げ出すほど邪悪。(2011-03-23(水)18:42 通りすがり@もはや通りすがりでもない)

◆関連記事:「インカ帝国展

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7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (クッキングホイル)
2012-07-24 23:23:51
全くの話、新大陸への侵略者、キリスト教徒が行ったことは人間のすることではありませんね。しかも、彼らが喜んでいないのであれば改宗したはずがない、などと現代人がそう考えているなどとは、恐ろしいことです。キリスト教教育恐るべしですね。

ところでFC2のコメントの引用の仕方なのですが、IEであればコメントを表示した状態で「表示」メニューの「ソース」というのを選んで表示してください。他のブラウザでも同じ機能があるはずです。そうして、該当のコメントを探していただいて、その上あたりにあるタグに「~」というのがあります。xxxxは数字です。

そうして、記事のアドレス + "#" + commentxxxx でそのコメントへの参照となります。

http://cookingfoil.blog106.fc2.com/blog-entry-156.html#comment2095

のようにすればOKです。参考になさってください。
返信する
Unknown (クッキングホイル)
2012-07-24 23:28:01
すいません記入に失敗していますね。
全角文字で入力します。

その上あたりにあるタグに

</ul><h4 id=”commentxxxx” class=”sub_title”>タイトル</h4>

というのがあります。xxxxは数字です。

失礼しました。
返信する
侵略布教 (秀和)
2012-07-24 23:39:13
新大陸に侵入したキリスト教徒は、現地における宗教の既視感に目を見張ったそうです。パンとワインの一種の聖体拝領があり、礼拝堂に十字架があったりした。キリスト教の要素に異教から盗んだ以外の物はないけれども、彼らには全ての宗教が半兄弟だとわからないことが悲劇でした。

この最悪の一神教は世界の文明を一元化し富を収奪するのに適している上 「人間は所詮善いものになれない…」と神の前に崩れ落ちた挙句、自分の力で起き上がる事を嫌うのです。だから信者の人間性が底なしに朽ちる。

日本がスペインやポルトガルと南蛮貿易を続けていたら、インカ帝国の様になっていたかも。幕府が新興国オランダと組んだのもかの2国と敵対していたのもあるでしょう。1533年インカ帝国が滅ぼされた10年後にはポルトガルがもう日本へ上陸し、じき日本人奴隷の海外流出が始まっていたようです。

 
最近暇な時にコーランを読んでいますが『アダムの原罪』『イエスの復活』等、キリスト教に有利なインチキが悉く否定されています。嘘くさいものも含め「ナイス啓示」と思う箇所が多い。(イエスは処刑前に替え玉に替えられアッラーが助けたとの事)

イベリア半島の再征服が終わった1492年に新大陸の殺戮が始まったのはやや象徴的。キリスト教の神は幻覚であったというアッラーの炎で忌まわしいクズの文書は焼いてしまいましょう。

コーラン2-79: 災いあれ、自分の手で啓典を書き、僅かな代償を得るために、「これはアッラーから下ったものだ。」と言う者に。
4-171: 啓典の民(キリスト教徒)よ、… マリヤムの子マスィーフ・イーサーは、只アッラーの使徒である。… 「三(位)」などと言ってはならない。止めなさい。それがあなたがたのためになる。
4-157: だが彼らはイーサーを殺したのでもなく、十字架にかけたのでもない。
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クッキングホイルさんへ (mugi)
2012-07-25 21:11:22
 仰る通りスペイン人に限らずアングロサクソンが新大陸で行った蛮行は、「悪魔サタンが全裸で逃げ出すほど邪悪」です。これは今なお続いており、アフガンやイラクでも似た様な振舞いをしているはず。かつては「バイブルか剣か」でしたが、最近は「援助」というかたちをとるようになり、より巧妙になってきました。

 FC2ブログのコメントの引用の方法を教えて頂き、有難うございました!何年ネットしても情けないことにPCオンチなので、「表示」メニューの「ソース」など使ったこともありません。これで一発で引用できますね。
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RE:侵略布教 (mugi)
2012-07-25 21:21:32
>秀和さん、

 全ての宗教が半兄弟だと理解できる一神教徒なら、殆ど無信仰に近いでしょう。他宗教を認めたら一神教ではなくなるため、自分たちの宗教と似た要素があれば、“異端”として根絶を図る。ユダヤ、イスラムのような一神教とキリスト教が決定的に違うのは「原罪」という概念があること。異教徒からは本当にクラいし、知るほど魅力を感じさせられません。

 私も前に日本人奴隷の海外流出について触れた「宗教の衣をまとった帝国主義」という記事を書いています。キリスト教徒が日本やトルコのの帝国主義や性奴隷を糾弾するのも、己の歴史的犯罪行為をかわす狙いがあるはず。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/716f2edecd271926abc19438f81041b8

 コーランではイエスを「マリヤムの子イーサー」と表現しているのは面白いですね。もっともイスラムも処女懐妊は認めています。コーラン2-79はムスリム神学者にも当てはまりますが。

 キリスト教よりマシにせよ、イスラムも真っ先に侵略布教をしています。中世インドは十字軍とは比較にならないほど広範囲で長期に亘り、イスラムの侵攻を受けました。未だにガズナのマフムードは野蛮人侵略者の代名詞になっており、コーランにも過激な文句があります。

9-29. アッラーも、終末の日をも信じない者たちと戦え。またアッラーと使徒から、禁じられたことを守らず、啓典を受けていながら真理の教えを認めない者たちには、かれらが進んで税〔ジズヤ〕を納め、屈服するまで戦え。
9-113. 多神教徒のために御赦しを求めて祈ることは、仮令近親であっても、かれらが業火の住人であることが明らかになった後は、預言者にとり、また信仰する者にとり妥当ではない。

 ↑の多神教徒とはメッカのアラブ軍ですが、ヒンドゥーなど典型的な多神教徒。それ以前のインドに同化してしまった異民族侵略者と違った。未だにこれが宗教対立の怨念になっているのです。
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一神教という病気 (秀和)
2012-07-25 23:25:59
イスラム教の場合、メッカの封鎖戦略を受けて戦い(ジハード)に転じたのが後世の侵略に理由を与えたのでしょうね。

精神科医ジークムント・フロイトはユダヤ教・キリスト教を精神病の一種と断じました。「神が入ってくる」はれっきとした精神病の症状としてあるのです。(イエス、マホメットを統合失調症患者(旧名:精神分裂病)と判ずる人もいる)
  
妄想型統合失調症ではその妄想について議論することは全く効果が無く、誰かの説得で変更できる類のものではありません。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の啓典は継続する訂正困難な妄想を引き起こす病気の元とも言えるのです。
最も混乱をきたし、一人の人間としての感覚を障害するのが新約聖書。クリスチャンの語る神は「悪魔」に置き換えても全く違和感が出ないですね。
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RE:一神教という病気 (mugi)
2012-07-26 22:16:41
>秀和さん、

 コーランには一応こんな文句があります。

2-190. あなたがたに戦いを挑む者があれば、アッラーの道のために戦え。だが侵略的であってはならない。本当にアッラーは、侵略者を愛さない。

 理屈と膏薬は何処にも貼れるので、イスラムに限らず他宗教も侵略の口実に「宗教」を利用するのです。正義やら自由、民族自決等を掲げて。

 見えないモノが見え、聞こえない声が聞こえたならば、明らかな精神疾患者でしょうね。一般人ならキチガイ扱いですが、大宗教家となると、様々な尊称で呼ばれます。ムハンマドはヒラーの洞窟の入り口に生えていた幻覚作用のあるキノコを食べていたと言うクリスチャンもいますが、彼らにこそヤク中が多いような。

 旧約聖書はエログロナンセンスもあって結構面白いのですが、新約となるとまるでつまらなく感じます。私が異教徒ということもあるでしょうけど、新約で面白かったのはヨハネの黙示録くらいです。学生時代、これをSF的として私に勧めた人物がいましたが、これを鵜呑みにしている原理主義者は不気味。
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