その一の続き
トルコ南部にシリアが隣接、隣国は不仲の常でこの両国も関係は良好とは言えない。トルコのエルドアン政権は今なお治まる気配もないシリア内戦の反体制派を公然と支援しているのは知られている。昨年6月、ロイター通信はアラブ外交官の話として、過激派流入を防ぐためサウジとカタールがシリア反体制派民兵に4月頃から給料を支払っていると報じたが、これにトルコの組織も加わっているという。オスマン帝国解体後、中東諸国が大同団結出来ないのは昔からだが、それが内戦を長引かせている。
シリアの国内事情は複雑であり、人口の約1割程度に過ぎない少数派アラウィー派が大統領以下軍部の要職を占めるのがアサド政権なのだ。アラウィー派とはイスラムでも少数派シーア派の分派だが、輪廻転生を認める教義がイスラム各宗派との際立った違いとなっており、他宗派から殆ど異端視されている。シリアは多数派スンナ派アラブ人の他にクルド人やキリスト教徒も混在する多民族・多宗教国家である。内戦はマイノリティによる長期支配への不満が爆発したかたちだが、反体制派も一枚岩にほど遠い。
シリアに劣らぬほどトルコも多くの民族や宗派が混在しているのが実情で、この国が主張するような単一民族国家とは呼べない有様。国民の99%がムスリムと言われるが、少なくともその1割はシーア派と考えられている。トルコにもアレヴィー派と呼ばれるシーア派がおり、彼らがシリアのアラウィー派と繋がりがあるのか、今のところは不明。
一応トルコにも国勢調査らしきものはあるが、シーア派住民はスンナ派と名乗ることも少なくないという。少数派特有のタキーヤ(信仰隠避)もあるにせよ、彼らからすれば自分たちこそスンナ派、つまり正統派という認識があるのだ。日本人研究者が見た所では、正真正銘の異教徒よりも宗派違いのムスリムを敵視する傾向が強いそうだ。
以前の記事にも書いたが、19世紀から活発化したアラブ民族主義はシリアの民族主義運動家が主だった。これを当時のオスマン帝国が弾圧したのは書くまでもないが、彼らは秘密結社をつくり抵抗を続けた。独立後のシリアの歴史教科書は彼らを特筆、宗主国の残虐行為を強調する。トルコ側も「アラブ反乱」のような独立運動を“アラブの裏切り”と苦々しく見ている。当然周辺諸国への4世紀に亘る支配を謝罪することはしない。
ハタイ県が典型だが隣国ゆえトルコとシリアも国境問題を抱えており、複雑な経緯を経てトルコ領に編入されるも、係争は消滅してはいない。これが民族主義に結び付くのは書くまでもなく、領土以外でも中東諸国では内政干渉紛いのことは珍しくない。トルコ政府が反体制派を支持したように、シリアもトルコの反体制側を密かに支援している可能性は高い。
何処でも内戦は陰惨なものだが、2013年5月15日付けのブログDarknessの記事は惨い。管理人は「敵の心臓を食う兵士にあったのは、「戦争の狂気」ではない」と言い、「狂気があるのではない。憎悪がある」と断言する。敵の心臓を食うとはムハンマドの時代さながらだが(※ムハンマドの叔父ハムザは敵に肝臓を食われた)、21世紀でも内臓食いが再現されたとは慄然とさせられる。しかも行ったのはシリア反体制側。
「そもそもイスラムは寛容なのである。シリアはサラディンの遺徳が生きている」等の能天気な意見もあったが、Darkness管理人の「戦争が始まって恨みが募ったのではなく、むしろ積もり積もった恨みが戦争で爆発的に解放されている」という見解が的を得ている。
トルコのデモはここまで深刻な事態にはならないと思う。シリアと違い多数派支配体制であり、少数派に支配されるという屈辱的で憎悪を募らせる状況にはない。それでも地政学的に隣国の影響を受けるし、暫くは国内の不安定化が続くだろう。
マスコミやネットではトルコやシリアの有様を讃え、それに対し日本は…と言う輩もいるが、その類に限って国内で安穏とした暮らしを享受する階級というのも滑稽な現象だ。Darknessから引用するが、「君臨しようとする少数派は、必ず報復される。傲慢になった少数派は、いずれ憎悪の中で殺されていく。必ず憎しみの対象になって、国内が混乱したときに激しい報復を受けることになる」のだ。 かつてのアルメニア人虐殺がそうだったように、このパターンは人類史で普遍である。
トルコのデモ弾圧に懸念を表明した米国に対し、トルコ外相が「このような出来事は他の先進国でも起きている。トルコは4流の民主主義国家ではない」と反論したのは私も胸がすく想いだった。日本の大人しすぎるデモは世界的に見て4流かもしれないが。
◆関連記事:「門戸を開放」
「シリアの民族主義運動家」
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今novinite.comを読んでいたら、Bloombergという米国の経済通信社が、面白い国情比較をしていることが分りました。有徳指数とでもいうか、どの国が最も退廃的で、悪徳への性癖が強い国家であるか、ということを調査したようです(http://www.novinite.com/view_news.php?id=151596)。以下が、その内容です。
Bloomberg通信社が、世界の57カ国に関して、悪徳にどの程度走りやすい国民性を有しているか?という指標で比較している。
世界で最も貧しい100カ国の一つと言われるZambiaが、実は世界一の有徳国と評価された。他方で、チェコ国が、最も退廃的(悪徳社会)と評価された。
成人一人当たり酒類消費量、シガレット消費量、年間の麻薬使用量(国民15--64歳の年齢層の中での麻薬使用%)、ギャンブルによる損失額のGDP比・・・これら4つの指標が、分析の基礎数字として採用された。
それぞれの指標に関して、一番指標値の高い国家は25ポイントの点数を与えられる。指標値が最低の国家は0ポイントとなるのだ。各指標ごとのポイントが集計されて、最終的な成績が決まる。
合計点数64.5ポイントと最も点数が多かったチェコは、悪徳への性癖が最も強い国家となり、これに次ぐのが、スロベニア、墺、アルメニアとなった。
ブルの点数は54で、上記4カ国に次いで、5番目の悪徳社会とされた:成人一人当たり年間アルコール消費量が11.4L、シガレットは2822本、ギャンブルでの損失額はGDP比0.82%。なお、麻薬消費についてはアンフェタミン年間使用が1%、大麻が2.5%、コカインが0.6%、エクスタシーが0.7%である。
ギリシャの点数は49.2点と10位、他方で、トルコは、18.7点と49位(注:要するに、上記のザンビア57位にかなり近い点数で、トルコこそはこの東欧、バルカン地方では、有徳の国、ということだ。)。
トルコに比べて、「虐殺」を糾弾しまくっているアルメニアは、ブルよりも1段上の4位の「悪徳国」であるという事実も、この記事で分かる。他国を批判ばかりして、「被害者面」を国際社会に訴える、異常性癖の国家(隣国も似ている)は、自らは悪徳にまみれているのです!アジア、米国、などに関して、この記事が言及していないのが残念ですが。
http://feedproxy.google.com/~r/zerohedge/feed/~3/0MMD1RPaA-E/story01.htm
に全リストがありました。
なかなか面白いですが、南米諸国がおしなべて「有徳」で???です。
酒は量じゃなくて、アルコール量(酒量×度数)にすべきじゃないの?とか、ギャンブルや麻薬って裏社会のものが支配的なダメダメな国の場合はどこまで把握できるの?とか、ハイリスクな金融商品ってギャンブルでしょとか疑問点がありますね。
アジアでは韓国やタイはあるのに日本や中国はありません。
韓国は19位ですが、酒とタバコがかなり多くギャンブルは普通ですが、麻薬は「ウソだろ」というくらい断トツで低い値です。
日本は酒(6L/人程度)と麻薬は低レベルですが、タバコは多く(2000本/人程度)、ギャンブルはパチンコを入れるかどうかで全く変わりそうです。
検索で元の表が見つかるとは、気が付かなかった。アルコールに関しては、もちろんビールと、ウイスキーなど度数の差が大きいから、こういう場合のLとは、純粋のアルコールに換算して年間○Lという計算になっているはずです。チェコとかドイツは、ビールを大量に飲むから、結局はL数が多い。
ギャンブルも、比が多いから、何らかの形で、推計されているのでしょう。さほど怪しい順位には見えません。
確かに残念なのは、日本とか中国がないことだけど、ギャンブルについては、パチンコ、競艇、Lotoなどの公営宝くじまで入れれば、日本も大きくなるかも。とはいえ、GDPにマイナス影響となるのか??との疑問も出る。結構GDPに貢献しているかも。
麻薬に関しても、意外と世界の麻薬情報は、米国の諜報機関などが、正しい推計をしているはずだと思う。
だけど、なぜザンビアのことがよく分るの(貧乏国の統計はどの程度正確なのか?)??とか、やはり突っ込みたくなりますね。
よく欧米諸国の経済通信社が国情比較をしますが、ランキングには?が結構多いですよね。ザンビアというと一般日本人にはなじみが薄いし、成人一人当たり酒類消費量はムスリムが多いから?と思い、wikiで調べたら、「イスラム教とヒンドゥー教が25%-49%」でした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%83%B3%E3%83%93%E3%82%A2
mottonさんが全リストをリンクされてますが、キリスト教国が大半でした。イスラム世界では酒飲みが多いとされるトルコでも、やはりキリスト教圏よりは飲酒量は低い?トルコ人の飲酒をアラブ諸国は非難しますが、麻薬取締にトルコはアラブより厳しいはずです。もっともトルコマファアは欧州に麻薬を売って稼ぎます。
意外だったのはチェコでした。そして反トルコが国是となっているアルメニアは堂々の4位!ブルより酷かったのは笑えます。韓国がアルメニアにもすり寄っているのは不快です。
そしてパチンコは無視できません。日本の新聞は絶対に報じませんが、韓国は禁止しており台湾も同じです。もっとも最近の若者にパチンコ離れが出てきたのは大変結構だし、仙台でもパチンコ店の閉店が見られます。
ザンビアのような貧国の情報が分かるのは、宣教師の報告もあるのからも。
全リストのリンクを有難うございました!一般に日本では知られないチェコがトップと言われても、ピンときませんね。そして南米諸国がおしなべて「有徳」なのは私も信じられません。メキシコが51位?メキシコを実質的に支配しているのは麻薬組織のはずですが。
「殺戮大陸メキシコ」というサイトはグロ映像満載です。
http://www.bllackz.com/2010/11/blog-post_5173.html
韓国も麻薬汚染が進んでいるのですか?日本もこの先アブないかもしれませんが、パチンコがギャンブルなのは明らかです。未だに巨大産業だし、GDPに貢献だけでなく自己破産のようなデメリットも多いのです。
チェコに関して、小生もさほど勉強したわけでもないけど、3度ほどはプラハに行ったこともあるし、共産圏時代のことは少し知っているので、勝手にご紹介します。
チェコ人の偉いところは、スラヴ系というと、文化的には少し遅れて、粗野で、近代技術でも、遅れている国が多い中、最もドイツ化したスラヴ族として、しかも中欧の先進地域に位置し、ハプスブルク帝国の屋台骨を支えていたことから、丸で他のスラヴ族とは違うというところでしょう。ダントツの先進国で、共産主義時代も、実質生活水準は、恐らく東欧圏第一と見られていました。
もっとも、社会主義という制度がよほど合わないためか、国民の退廃振りもすごく進んでいた。シュコダという、元来は進んだ乗用車だったのが、共産主義の中では一切の改良、改善もなされず、どんどんトヨタとか、日本車にも追い抜かれて、ダメな車になって行ったのは、哀れだった。生産台数も、全く増えなかった。
社会主義体制が嫌で嫌で、国民は、仕事にやる気を一切出さず、退廃的となった。懐疑主義の塊となって、一切の向上心を失い、最小限の豊かさを追求した。
だから、他の共産圏に比べて、ビールもおいしかったし、酒場の食べ物もそれなりにおいしかったけど、従業員のやる気は見られないし、皆が最小限しか働く意欲も失っていた。
根源を言えば、小生の推測では、ナチスと戦う意欲もなく、無血開城、戦後は、ソ連が出てきて共産党政権を押し付けられても、誰も戦わず、プラハの春で少しは抵抗したけど、それでも本気で血を流す市民は、ほとんど出現しなかった。要するに、戦争もしない自国人の弱さに、個人主義の嫌らしさに、市民が絶望していて、それで、自分さえよければよいとか、ビールを飲めれば良いとか、自分の車は技術力で完璧に補修するけど、シュコダの車を改善する意欲は見せないとか、ダメ国民になった。
自由化後に、少しは良くなっていると思っていたけど、最近首相が汚職事件で失脚したし、ある意味ブルと同じで、まともな国には未だになれない模様。もちろん、中欧の国ですから、ブルに比べれば、相当良くなっているはずだけど、こういう調査の時に、国民性として、デカダンだ・・・と出てしまうようです。
でも、自由にしゃべれるし、個人の才能も発揮できる時代ですから、社会主義時代に比べれば、ずっと良くなっているはずです。個人的に知ったチェコ人は、割合に文化人で、善良な人が多かった気がするし、才能のある人も多いと思う。今後は、遅れを取り戻して、最前列へと登れる国と思う。
共産主義時代のチェコの社会を教えて頂き、有難うございます!チェコといえば「プラハの春」の他に、ボヘミアンガラスが知られていますよね。このような工芸品を生み出すほどなので、高度で洗練された文化があるのは想像がつきます。共産主義時代の東欧圏で、生活水準が最も高いのは東ドイツと思っていたのですが、チェコだったのですか?室長さんのコメントにあるようにドイツ化したこともあるようですね。
シュコダというチェコの車は初めて知りました。そういえば東独にもトラバントがありましたね。誕生時点では進んだ乗用車でも、共産主義体制の悲しさでどんどん西側に後れを取った車です。それでも東独国民には贅沢品でもありましたが。
同じ東欧のスラヴ系国家でも、チェコとポーランドは対照的ですよね。ナチスに殆ど抵抗もしなかったチェコと、蟷螂の斧でも立ち向かった後者。第二次世界大戦前、チェコは英国から見捨てられた経緯があるにせよ、ポーランドは絶望的な状況でも闘っています。チェコ人は東欧の文弱の民だった?もっとも、ポーランドについても私はよく知りませんが。
余所のことは見えますが、今の日本も文弱とデカダン気味になっているかもしれませんね。
やはり日本ではシュコダの名前は知られていないのですね。
シュコダは、ナチスが作ったVW(フォルクスワーゲン)と似て、空冷エンジンを後部(普通の車のトランクルーム)に置きます。寒冷な欧州で、まだ、クーラントが発達していなかった、一昔前の車のエンジンとしては、空冷エンジンが、冬でも一発でエンジンがかかるし、クーラントが不要という利点があった(ただし、エンジン音が大きいという欠点も)。後部エンジン、後輪ドライブというのは、前部エンジン、後輪ドライブという、普通の車よりは、前から後ろにつなげるシャフトという、重い鉄製部品を省けるので、軽量化にも効果がある。要するに、シュコダの発想はVWをまねたものです。外観は、シュコダは平ったく、丸みを帯びたVWと異なりますが。
他方、あなたも知っている、トラバントは、2サイクルエンジンで、同じく空冷、車体は一種のプラスチック(ただし、ボール紙みたいな、怪しげなもの)で軽量。まず、2サイクルというのは、ガソリンに潤滑油を混ぜて「混合燃料」を作らないと動かないので、GSでは、ガソリンを入れてもらう時に、同時に潤滑油を買って、ガソリンと同時にこの潤滑油を手で入れていました(日本では、昔のGSに、混合油の蛇口があったけど)。面倒ですし、混合比率も「勘」です。潤滑油代も安くはなかった。
ともかく、2サイクルというのは、元来がオートバイ用の簡便なエンジンで、普通の4サイクルに比べると、部品点数が半分と、安く製造できるという長所があるけど、乗用車用にはふつう使わない。振動とか、うるさい音に問題があったし、スムースな運転には向かない。車体がボール紙系の粗野なプラスチックというのも、安っぽすぎる。
要するに、シュコダとトラバントなら、旧共産圏でも、皆がシュコダを欲したけど、シュコダの生産台数が少なくて、購入が難しかった。
そういえば、東独では、トラバントの上級車両として、Wartburg(ヴァルトブルク)という車種もあった。これは3気筒だけど、2サイクルなので、4サイクルに換算すれば、6気筒に相当するのですが(トラバントは、2サイクル2気筒エンジン)、さすがにクラウンなどの日本車に比べて、やはり安物でした。何しろガソリンに潤滑油を混ぜる必要がある。
小生宅の近くに居住していた東独人は、このヴァルトブルクをしょっちゅう手入れしていたけど、小生のトヨタ・コロナを羨ましそうに見ていた。
ある東独人は、小生に、西独は貧しい人でもVWという素晴らしい車を買えるけど、我々はトラバントしか買えない…と嘆いていた。東欧圏の共産党最高幹部は、メルセデスベンツを公用車としていた。
庶民は、できればソ連製のジグリ(フィアット系技術)、次はモスクヴィッチ(これもソ連製、ジグリが増えて、徐々に消えた)、3番目にシュコダ、4番目にトラバントを欲した。どの車種も、銀行に車購入預金をためながら、約10年は順番を待たなければ買えなかった!!
私は東欧や車に詳しくないこともあり、日本人でもカーマニアならシュコダを知っているのかもしれません。トラバントのことは東西ドイツ統一時に日本でも紹介されたので憶えています。それにしても、トラバントの車体は一種のプラスチックだったとは知りませんでした。ニュース映像でトラバントを見たことがありますが、西ドイツの車に比べ何とも野暮ったいだけでなく安っぽかったのも、そのような事情がありましたか。
ソ連製のジグリも初耳です。技術はフィアット系というのも面白いですね。そのくせ東欧圏の共産党最高幹部は西側の高級車を公用車としていた。
かつて日本のGSに、混合油の蛇口があったことも初耳です。私でも知らないほどなので、今の日本の若者には想像もつかないでしょう。私の愛車は軽自動車ですが、案外トラバントよりも性能がよかったりして。
小生は文系ですが、男というのは、それなりに車の技術などには関心があるのです。
60年代末、日本でもSuzukiは、2サイクルに固執した。ホンダは初めから4サイクルに固執した。鈴木修社長は、2サイクルの簡便性と、それゆえの維持修理の簡単さを評価していた。町のオートバイ屋の技術力、修理用道具なども2サイクルならきちんとこなせるけど、4サイクルになると途端に複雑となり、水冷の必要性も出てくる。水冷だと、冬季に凍結しないようにクーラントをラジエーターに入れる必要性も出てくる。
それでもホンダは、混合油などが不要(排ガスもきれい)で、振動も少なく快適な4サイクルに未来があると、2輪車にも4サイクルエンジンを搭載した。
小生が、72年頃ローマで会った日本のオートバイ屋のおっちゃんは、スズキの小売店経営者で、部品点数が半分で済むし、補修も簡単な2サイクルの時代が今後も続くはずと、今振り返ると無謀な予測をしていた。GSでは、ディーゼル油(軽油)とガソリン(レギュラーと、ハイオク)の2(3)種類しか蛇口が無くなっていって、2サイクルエンジンは、非常用発電機とか、肩掛け芝刈り機など、限られた分野にしか残っていない。今ではホームセンターで、これら特殊用途のため、混合油を缶詰で売っている。
ジグリは、確かFiatで、1960年代初頭に出した古いタイプで、生産を打ち切った型の生産設備を、そっくりソ連が輸入して「ジグリ」というブランドで売り始めたもの。要するに、庶民用の車には、投資資金をかけないというのが、旧ソ連圏の発想でした。それでも、元はFiatということで、4サイクル、水冷のしっかりしたエンジンで、普通のガソリンで走るので、この生産開始と同時に人気が出て、ソ連は従来あったVolga車種の生産を打ち切った。
エリート用には、共産圏どこでも、ほぼメルセデスです。もちろん少量生産の高級車もあったけど、性能が悪く、来賓用にしか用いなかった。ソ連の「チャイカ」という大型高級車は、ブルなどの、他の共産圏でも使われたけど、メルセデスに比べて、性能が劣った(なにしろ、50年代の米車をまねた技術だから)。チェコ人も、社会主義時代に、大型高級車として「Tatraタトラ」という車を作っていた。めったに見られない、チェコ製の大型高級車でしたが、たしか、大型エンジンなのに、空冷、後部エンジンという、シュコダ、VWの古い技術を使っていて、性能が悪かったのか、ブルでも1台程度しか無く、珍しい存在だった。それでも、この車を見ると小生は、驚いたし、見ていて面白かった!こんな車しか作れない遅れた共産圏の技術力に哀れさも感じた。日本では、70年代初めに、既に国内の乗用車生産が確か、今の2倍、約1千万台を記録し、輸出しまくっていた!
競争とか、私企業の自由を認めない共産圏は、ぐんぐんと日本などの新興国(当時)に追い抜かれていったのです。2サイクルの車しか、最後まで作れなかった東独も哀れでした。オートバイエンジンに段ボールのようなちゃちなプラスチック車体のトラバントなど、世界の笑いものでしかなかった!!