トーキング・マイノリティ

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フェルメール 光の王国展

2013-03-23 21:09:19 | 展示会鑑賞

 先日、「フェルメール 光の王国展」を見に行った。会場で渡されたパンフレットには次の説明がされていた。
フェルメール全作品37点の複製画を「re-create」。フェルメール作と認識されている全37作品を、フェルメールが描いた当時の色彩を求め、原寸大で鮮やかに再現します。最新の印刷技術が可能にした、フェルメール絵画のだれも見たことがない展示をします。そのほか、フェルメールの画業を知る豊富な資料をわかりやすく展示します。

 複製画展示会ということで、実を言えばあまり期待していなかったが、フェルメールの全作品を制作年代順に鑑賞することは不可能なためフェイクでもいいと思い、観に行った。実際に画集を見たら、予想以上によかった。さすが巨匠の作品は複製画でも素晴らしい。
 殊に実物を見る機会のないフェルメール代表作「真珠の耳飾りの少女」は、やはりよかった。色彩が鮮やかなのがフェルメール絵画の特徴だが、間近で見ると、少女の肌の美しさまで分かる。会場の解説によれば、少女の耳飾りの光は角度からはあり得ないらしいが、来場者でそれに気づいた人はまずいないはず。



 フェルメールの作品でよく知られているのは、「牛乳を注ぐ女」「レースを編む女」の2作品だろう。確か中学時代の美術史教科書だったと思うが、「牛乳を注ぐ女」が載っていた。その時は“太ったおばちゃんの絵”程度の印象だったが、今回改めて見ると、まだ若い女だったのに驚いた。体型こそおばちゃんだが、それ故に存在感がある。おそらく女中を描いた作品と思うが、気品と存在感を備えた人物像である。脇に置かれたパンも、まるで写真のようで美味しそうだった。



「レースを編む女」が思いの外小さな絵だったのは意外だった。レース編みをしている若い女を描いただけでも、気品と存在感を感じさせる絵になっている。着飾った貴婦人が多いイタリアやフランスの絵画と異なり、フェルメールを含めオランダの絵画では市民階級の女たちが中心となっている。無名の庶民の女でも、貴婦人に劣らぬほど品性が感じさせられるのは画家の技なのか?或いはモデルもよかったのか。



 西洋絵画に宗教画は付き物であり、フェルメールもそれを描いている。特に不可解だったのが作品№2の「聖女プラクセディス」と、№33「信仰の寓意」。上の画像は前者であり、一見赤いドレスを着た女を描いた華やかな絵だが、後ろには死体が見え、女は絞った血を坪に注いでいる。今回の特別展で初めてプラクセディスというキリスト教の聖女を知ったが、殉教者の血を坪に注いでいる絵は不気味で、やはり日本人とは感性が違うようだ。
「信仰の寓意」も血塗れの蛇が描かれており、大仰な女のポーズといい、非クリスチャンには寓意がよく分らない。これらの作品には解説もなかったし、ダークな印象しか受けなかった。

 

 №30「恋文」は作品名だけで、不倫の恋を感じさせる絵である。画面下部には洗濯物の入った籠や箒があり、解説によれば籠は恋にうつつを抜かし、家事を疎かにしていることを暗示しており、箒は不倫の象徴となっているとか。日本なら箒は貞操のイメージがあるが、オランダでは違うそうだ。



 上の画像は「窓辺で水差しを持つ女」。私は今回初めて見た作品だが、これもいい絵だと思う。水差しを持つ若い女が窓辺に立ち、これまた品の良さが感じられた。若い女主人か女中頭だろうか…と想像したが、wikiには次の解説がある。
女性は右手を窓枠にかけ、左手でテーブルの上の水差し(純潔や節制の象徴とされる)の取っ手をつかむ。窓の外に水差しの水を捨てようとしているかに見える。テーブルの上の宝石箱は虚栄を表すモチーフである。女性は「節制」を捨て、「虚栄」に走るべきかどうかの岐路に立っているのであろうか。

 生真面目で上品そうな若い女の内心の葛藤を描いたものだったのか??西洋絵画の見方はやはり素人には分らない。今回の特別展の監修が生物学者の福岡伸一氏というのも面白い。複製画でも素晴らしい「re-create」ならば、他の巨匠の作品も行ってほしいものだ。
 2011年11月、宮城県美術館で「フェルメールからのラブレター展」があり、本物のフェルメールの作品が展示されていた。「青衣の女」「手紙を書く女」「手紙を書く婦人と召使」の3点のみだったが、どれも素晴らしかった。

◆関連記事:「フェルメールからのラブレター展

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