その①の続き
スターリンの時代といえば大量粛清が悪名高いが、中共は本家ソ連に先駆けて共産党員の大量粛清を行っていたのだ。毛沢東は「AB(アンチ・ボルシェビキ)団」摘発に乗り出し、逮捕と拷問を繰り返し敵対する(若しくはしそうな)者を検挙していった。自分はAB団と自白させられた者はさらに他人の名前を一ダース以上も挙げるので、犠牲者数はうなぎ上りになるのは当然だ。AB団攻撃に参加しない者は自身がAB団分子と見なされる。
共産党支配地では、おぞましい拷問が至る所で行われた。ある県だけでも120種類の拷問があり、さらに新しい拷問が考え出される。「仙人弾琴(仙人が琴を弾く)」という名称を持つ拷問もあった。男の性器に針金を通してその両端を被害者の耳から吊るし、拷問者がその針金を弦に見立ててかき鳴らす、というものだった。殺人も日常茶飯事で「どの県でも腹を切り裂いたり、心臓を抉り出す例があった」。項羽の時代と同じく生きながら穴埋めされた人々も多数いるので、派手に万人坑をやったのは中共である。また、自殺者も夥しかった。
中共は宣伝工作の巧みさでも国民党を圧倒していた。アメリカ人ジャーナリスト、エドガー・スノーのルポ『中国の赤い星』くらい共産党のイメージアップに貢献したものはない。毛沢東はスノーのインタビューに虚実入り混ぜて答えていたが、彼くらい策謀に長けた者なら一介のジャーナリストを煙に巻くくらい他愛無いものだろう。期せずして、スノーは中共の御用記者となってしまった。
スノーは『赤い星』で名を挙げたが、この本を読んで延安に来た多数の若者たちはその後の人生を狂わせられる。彼らは理想に燃えて来たものの、延安はどこも不平等と特権だらけだった。実態に失望しても脱出するのもままならない。毛は「整風運動」と称し、絶えず思想改造会議や吊し上げ目的の群集集会が開かれた。群集の前に引き出され自白させられる集会の恐怖は耐え難いものだった。洗脳と恐怖の支配により、若い志願入党者はロボット化してしまう。
1944年に延安に取材に来た重慶の特派員は共産党員の不気味な画一性に気付いた。ある質問をしても同じ様な回答しか返ってこず、しかも異口同音に「党は自分たちの考えについて何ら直接的コントロールはしていない」と言ったそうだ。
延安でいい暮しを満喫していたのは特権階級だけだった。食事すら階級に応じて三つの食堂があり、衣類も差があった。その特権制度が日本人共産党員や捕虜にまで及んだ。彼らの中でリーダー野坂参三はただ一人性交まで許されており、毛沢東は女性同志を提供したのだった。毛はソ連人にも抜け目なく若く美しい女性党員を与える。女を提供するのは現代も続いており、日本人は官民共に狙い撃ちされているではないか。
権力闘争に敗れた共産党幹部は悲惨だった。家族親族にまで累が及ぶのは20世紀になっても変わりなく、幼い子供までがいじめの対象となり、毛沢東は高笑いしながらそれを見ていたという。寄ってたかって迫害を好むのは中国人の性質らしい。
毛は抗日よりも政敵排除、蒋介石打倒に血道を挙げ、若い入党志願者には思想教育で蒋介石に対する憎悪を徹底的に植え付けた。また、彼くらい政敵を様々誹謗中傷して貶めた者もいない。絶えず敵を作り出す姿勢は、現代の反日教育に見られるように、その後中共の基本姿勢となった。
アメリカにも極めて共産党寄りの記者はいたが、第二次大戦後取材したアメリカ人記者さえも農村での虐殺による恐怖支配に触れて「このような状態は他の共産地域では見たことがない」と報告している。十年に亘り在中国大使を勤めたソ連外交官も、国民党の残酷さは共産党には遠く及ばない、毛沢東による初期の弾圧だけで殺害された国民の数は国共内戦の犠牲者数を上回るだろう、と機密文書で記した。
毛沢東の粛清はスターリンのそれを数だけでも遥かに越えたが、ソ連と違うのは公開式で群集に見るのを強制したことだ。
国共内戦に勝ち抜いて中国の覇者となった毛沢東は、国民に禁欲と耐乏生活を強いる一方、自身は贅沢な暮しを心行くまで楽しんだ。次々若い女性を「選妃」と して提供させるのは、某半島の「喜び組」もこの制度に倣ったのか。共産体制でただ一人の百万長者だったのも酷似している。美食をしながら常に医者を侍らせ 健康管理も抜かりない。
それにしても、毛沢東とは何たる怪物だろう。彼の前では同胞はさほど殺していないヒトラーなど全くの小物だ。スターリンでさえ残酷な処刑を人民に見せなかった。下巻にはさらにおぞましさの連続だろう。
よろしかったら、クリックお願いします。
スターリンの時代といえば大量粛清が悪名高いが、中共は本家ソ連に先駆けて共産党員の大量粛清を行っていたのだ。毛沢東は「AB(アンチ・ボルシェビキ)団」摘発に乗り出し、逮捕と拷問を繰り返し敵対する(若しくはしそうな)者を検挙していった。自分はAB団と自白させられた者はさらに他人の名前を一ダース以上も挙げるので、犠牲者数はうなぎ上りになるのは当然だ。AB団攻撃に参加しない者は自身がAB団分子と見なされる。
共産党支配地では、おぞましい拷問が至る所で行われた。ある県だけでも120種類の拷問があり、さらに新しい拷問が考え出される。「仙人弾琴(仙人が琴を弾く)」という名称を持つ拷問もあった。男の性器に針金を通してその両端を被害者の耳から吊るし、拷問者がその針金を弦に見立ててかき鳴らす、というものだった。殺人も日常茶飯事で「どの県でも腹を切り裂いたり、心臓を抉り出す例があった」。項羽の時代と同じく生きながら穴埋めされた人々も多数いるので、派手に万人坑をやったのは中共である。また、自殺者も夥しかった。
中共は宣伝工作の巧みさでも国民党を圧倒していた。アメリカ人ジャーナリスト、エドガー・スノーのルポ『中国の赤い星』くらい共産党のイメージアップに貢献したものはない。毛沢東はスノーのインタビューに虚実入り混ぜて答えていたが、彼くらい策謀に長けた者なら一介のジャーナリストを煙に巻くくらい他愛無いものだろう。期せずして、スノーは中共の御用記者となってしまった。
スノーは『赤い星』で名を挙げたが、この本を読んで延安に来た多数の若者たちはその後の人生を狂わせられる。彼らは理想に燃えて来たものの、延安はどこも不平等と特権だらけだった。実態に失望しても脱出するのもままならない。毛は「整風運動」と称し、絶えず思想改造会議や吊し上げ目的の群集集会が開かれた。群集の前に引き出され自白させられる集会の恐怖は耐え難いものだった。洗脳と恐怖の支配により、若い志願入党者はロボット化してしまう。
1944年に延安に取材に来た重慶の特派員は共産党員の不気味な画一性に気付いた。ある質問をしても同じ様な回答しか返ってこず、しかも異口同音に「党は自分たちの考えについて何ら直接的コントロールはしていない」と言ったそうだ。
延安でいい暮しを満喫していたのは特権階級だけだった。食事すら階級に応じて三つの食堂があり、衣類も差があった。その特権制度が日本人共産党員や捕虜にまで及んだ。彼らの中でリーダー野坂参三はただ一人性交まで許されており、毛沢東は女性同志を提供したのだった。毛はソ連人にも抜け目なく若く美しい女性党員を与える。女を提供するのは現代も続いており、日本人は官民共に狙い撃ちされているではないか。
権力闘争に敗れた共産党幹部は悲惨だった。家族親族にまで累が及ぶのは20世紀になっても変わりなく、幼い子供までがいじめの対象となり、毛沢東は高笑いしながらそれを見ていたという。寄ってたかって迫害を好むのは中国人の性質らしい。
毛は抗日よりも政敵排除、蒋介石打倒に血道を挙げ、若い入党志願者には思想教育で蒋介石に対する憎悪を徹底的に植え付けた。また、彼くらい政敵を様々誹謗中傷して貶めた者もいない。絶えず敵を作り出す姿勢は、現代の反日教育に見られるように、その後中共の基本姿勢となった。
アメリカにも極めて共産党寄りの記者はいたが、第二次大戦後取材したアメリカ人記者さえも農村での虐殺による恐怖支配に触れて「このような状態は他の共産地域では見たことがない」と報告している。十年に亘り在中国大使を勤めたソ連外交官も、国民党の残酷さは共産党には遠く及ばない、毛沢東による初期の弾圧だけで殺害された国民の数は国共内戦の犠牲者数を上回るだろう、と機密文書で記した。
毛沢東の粛清はスターリンのそれを数だけでも遥かに越えたが、ソ連と違うのは公開式で群集に見るのを強制したことだ。
国共内戦に勝ち抜いて中国の覇者となった毛沢東は、国民に禁欲と耐乏生活を強いる一方、自身は贅沢な暮しを心行くまで楽しんだ。次々若い女性を「選妃」と して提供させるのは、某半島の「喜び組」もこの制度に倣ったのか。共産体制でただ一人の百万長者だったのも酷似している。美食をしながら常に医者を侍らせ 健康管理も抜かりない。
それにしても、毛沢東とは何たる怪物だろう。彼の前では同胞はさほど殺していないヒトラーなど全くの小物だ。スターリンでさえ残酷な処刑を人民に見せなかった。下巻にはさらにおぞましさの連続だろう。
よろしかったら、クリックお願いします。
中国大陸の海岸線に目を凝らすと、そこに肥え太った男の横顔がシルエットとして浮かんできます。朝鮮半島の手を伸ばし、今にもバナナのような日本と、サツマイモのような台湾を掴み取ろうとしている。何故かこの横顔が、毛沢東に見えて仕方がない。あたかも、現在の東アジア情勢を暗示しているかのようです。
言わずもがなですが支那人に顕著な特徴は、その尋常ならざる利己主義でしょうか。仮令、肉親であろうと必要とあらば饗宴の肴にし、また、累代の仇敵であろうと金さえ払えば助命する。支那人はアッラーやヤハウェ(実は同一の神ですが)を崇拝する者たちも比肩し得ぬほど信仰心に篤い国民です。奴らが伏し拝む唯一絶対の名は「マネー」。シュール・レアリスト(超現実主義者)ならぬ、シュール・プラグマティスト(超実利主義者)といったところでしょうか。
毛沢東はまさに、支那人たるべくして生まれた支那人。マルキシズムめいた国号は偽りの看板。内実は古来より連綿と続く旧弊な専制君主国家そのものです。だが、毛も歴代の皇帝と同じく、易姓革命を目論む政敵たちとの暗闘に腐心した。そして、政争に敗れた者たちは本人のみならず、一族郎党に苛烈極まる運命が待っていた。また膨大な数の無辜の民も、冤罪を着せられ同様の運命を辿りました。支那人の甚だしい加虐趣味に加え、多分に見せしめ的な意味合いから、毛の犠牲者は地位から転落し、財産を没収され、生命を絶たれていった。ひょっとすれば支那人の悪名高いカニバリズム(食人風習)は、無念の血を吸い続けた大地が齎す呪縛なのやも知れません。
マオは共産主義を徹底利用して中国の覇王になりましたが、貧しい庶民出で、共産主義の理想を信じた若者は悲惨でした。
『マオ』の著者ユン・チアンの前作『ワイルド・スワン』を以前読みましたが、著者の父は共産党員でも中国人に珍しく賄賂を受け取らず、職権乱用もしない頑固な“清官”でしたが、文革時代に糾弾され、壁新聞で連日人格攻撃されたそうです。著者も「すぐ収賄に染まるのは中国人の病的な習慣」と書いてました。
たとえ共産党政権が崩壊しても、またマオと同じ様な者が専制君主に納まるでしょう。
また、概してイスラムは好戦的と思われがちですが、第二次大戦後を見ただけでもむしろ中共の方がより多く紛争を起こしています。中共はウイグルの弾圧を続ける一方、アラブとは連帯するしたたかさ。アラブ諸国もトルキスタンの弾圧は見て見ぬフリをしてますし、唯一同系民族なので関心を示すトルコにも、様々な工作で封じ込めを図ってます。
本人ならず妻の一族まで抹殺する九族皆殺しなどの蛮行を生んだのは中国くらいです。
中国の悪名高い食人風習については、以前私も記事にした事があります。「喫茶」ならぬ「喫人」のおぞましさ。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/e44ac2fbabb8cc5d0d500b2276f2c62a
マオに限らず、歴代の中国の権力者やスターリン、ポルポトなどが異常な虐殺できたのも、すべて民主国家でなかったからだと思います。インターネットで炎上中のノ某大統領と北の将軍様の違いもまさしくそれであり、独裁者であれば選挙も国民も意識せず、何でもできます。恐らく、こういう言い方は正しくないかもしれませんが、ヒトラーにしても、政権獲得時と、独裁者時の行動もやはり、同じような原因であるように思えます(しかし、それでも、ヒトラーは最初、民主的に選ばれましたが、中国は有史以来、一度も民主主義がない国ですね)。
それでは、イギリス人何故、インド等の植民地で謀略の限りを尽くせたかというのも、それも要因の一つではないかと思います。植民地の支配を決定したのも、被支配地の地元民ではんく、本国人であるからだと思えます。加害者を弁護するようで申し訳ないですが、イギリス本土人の内、どれだけインド等の植民地の実情を知っていたか。疑問に思えてなりません。
(どこかの島国では、併合した土地でも、開拓して選挙権すら与えたのは、凄いですね。でも、それは当時、同じ国民に限り、外国人を例外にするのが、何故差別なのか、理解に苦しみます。)
我が国を非難する本国人、外国人は何故か、この点もスルーですね。そして、マンセー派ではないにしても、小泉首相を独裁者と呼んだり、その手法を違法と呼ぶのか理解できません(小泉首相は合法な選挙で選ばれたのであり、それに異を唱えること事態、民主主義を否定する事になりかねない、と思います)。そして、有史以来、一度も民主主義がない中国を弁護する事は理解できません(親中は民主主義を否定するのみに限らず、自由経済すらも否定している事に理解出来ない事に、私は不思議でなりません)。
あくまでもマオはそうして、中国のエッセンスが凝縮されたものでしょうけど。果たして、それを肯定するもの真意は、簡単に透けて見えてくるように思えます。
人治社会では、権力を失った瞬間に法の解釈変更が行われ全てを失います。
だから終身独裁か世襲で保身を図り敵は族滅しなければ安心できません。
法の解釈権を握る人物に睨まれれば無実でも破滅し逆におもねれば何を
しても安泰なので汚職天国になります。
法治なくして自由も平等も民主主義も資本主義もありません。
最悪なのは、中国や朝鮮は国際社会にまで彼らの人治社会を持ってくる
ことで、19世紀の列強であれば同じ土俵(実力行使)で迎え撃てましたが、
現在ではそれは出来ず苦労します。
国連の五常任理事国のうち、唯一選挙制がないのが中国。西隣りの大国が民主主義体制を曲がりなりにも維持してるのとは対照的。
イギリスはインド独立を“主権の禅譲”と呼んでいるそうです。つまり、様々な民主主義体制を伝授し、インド人も学び成長したから政権を渡したのだ、の意味です。独立の言葉を使いなくない真意がバレバレ。
ただ、他民族、他宗教国家で、軍事政権やクーデターもなく民主主義体制を取っている方が稀有だと私は思いますね。同じく独立後のパキスタンなどはまさにその連続。ヒンドゥーとイスラムの違いのよい例です。
インドがイギリス支配を許したのは、ムガル帝国の弱体化で内部分裂の極みにあったからです。ムガルの全盛期なら、イギリスはここまで我が物顔できなかった。様々な藩主国同士が争っていたので、付け込まれました。マハーラージャーたちは自分たちの支配権維持のため、イギリスと手を組んだので、イギリス側もやりやすかった。他民族、他宗教国家の弱点です。
いつの時代も御用学者や曲学阿世の者がいますから、親中連中はたっぷり鼻薬を嗅がされているのではないですか。
頂くものも頂かず、心底から友好を願って活動してるなら度し難いお馬鹿さんですが、お人よし日本人にはこの種が少なくないでしょう。
小泉首相が本物の独裁者であったら、真っ先にご機嫌を取るのが独裁者呼ばわりした連中だと思います。
仰るとおり中国、朝鮮のような儒教圏では人治社会では法など当てにならず、権力者の法解釈がそのまま絶対法となりますね。
それ故「面従腹背」が処世術となってきますね。人間社会は何処でも大なり小なり面従腹背が見られますが、中国はそうしなければ、一族破滅の可能性が高い。
問題なのは中国、朝鮮のような国は国際社会との協調など、必要に迫られない限り無視する上、この先もこの姿勢に変化は望めないことです。