オスマン・トルコの17代皇帝ムラト4世(在位1623-1640年)は、煙草が大嫌いだった。この皇帝はオスマン・トルコ歴代皇帝の三分の二と同じく酒は大好きなくせに(アル中の皇帝さえいた)、煙草を目の敵にし、喫煙の風習が帝国全土に広まるのを苦々しく思っていた。同じく神学者たちも、煙草は酔わせる作用があるから酒と並び禁忌にすべきものとの見解を示していた。そこへ首都イスタンブールに大火事が起こり、原因は煙草の火の不始末と推定された。1635年のことだった。
たちまち神学者たちは皇帝をたき付け、煙草の大弾圧に踏み切らせる。喫煙者はもちろん、煙草の売買を行った者も死刑対象とされた。煙草の禁令が出て一年後には、少なくとも一万人が処刑されたと見られる。死刑囚の鼻に穴を開けてひもを通し、それに喫煙道具を結び付けた姿で大通りを行進させた後、首を刎ねる処刑だったが、喫煙の風習は一掃出来なかった。
煙草禁令が徹底しなかったのは、皇帝直属の近衛兵であるイェニチェリに愛煙家が多く、彼らを殺すことは皇帝自身の没落になるため、喫煙を黙認する他なかったのだ。そんな例外を認めるようでは禁令など効果ない。さらに禁令のお陰で大儲けしたのが、暗黒街の連中だった。彼らは煙草を密輸入し、秘密の喫煙所を設け、取締りの役人たちを買収して愛煙家たちから儲け放題に儲けた。何やら、20世紀アメリカの禁酒法時代とギャングたちを思い出させる。
結局、この禁令は布告から三年ほどでうやむやになり、それに続くムラト4世の死で廃止となり、新帝はカリフとして煙草は禁忌でないと認めた。だが、煙草が禁忌だった期間には数万人もの人々が処刑されたという。皇帝と神学者たちの煙草嫌いが掲げた宗教的正義は、文字通り雲散霧消した。
それにしても煙草はともかく、歴代皇帝を取り巻く神学者たちは酒には寛容だったのは面白い。中には「コーランで禁止されているのはぶどう酒のみであり、他の酒は問題ない」と解釈した学者までいたので、まさにイスラム世界の曲学阿世の輩だ。上の行うところ、下これに倣うはイスラム圏も同じで、皇帝から臣下まで盛大に呑みまくったらしい。「神への信仰を忘れない程度なら、呑んでも構わない」とは理屈も付けようだ。現代でもトルコ人はムスリムなのに、酒には鷹揚であり、トルコには国営の酒造工場まであるほど。敬虔なアラブ人には「トルコ人は堕落したムスリムだ」と批判する者もいるという。信仰深いスリランカ人に、日本人を堕落した仏教徒とそしる人もいるように。
一般信者ばかりか聖職者の中にも、人目に付かなければ戒律破りをやる者がいるそうだ。トルコ滞在をした日本人も、断食月の日中に食事をしたり、こっそり酒を飲んでいるイマーム(導師)や、高利貸しまでやっているウレマ(神学者)を目撃している。堕落した破戒僧はどこにもいるが、トルコの諺にこんなものもある。
「ウレマ(神学者)様の説教のとおりに行うがよい。だが、御自身がなされるようには絶対やるな」
※参考:「イスラムからの発想」講談社現代新書、大島直政 著
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たちまち神学者たちは皇帝をたき付け、煙草の大弾圧に踏み切らせる。喫煙者はもちろん、煙草の売買を行った者も死刑対象とされた。煙草の禁令が出て一年後には、少なくとも一万人が処刑されたと見られる。死刑囚の鼻に穴を開けてひもを通し、それに喫煙道具を結び付けた姿で大通りを行進させた後、首を刎ねる処刑だったが、喫煙の風習は一掃出来なかった。
煙草禁令が徹底しなかったのは、皇帝直属の近衛兵であるイェニチェリに愛煙家が多く、彼らを殺すことは皇帝自身の没落になるため、喫煙を黙認する他なかったのだ。そんな例外を認めるようでは禁令など効果ない。さらに禁令のお陰で大儲けしたのが、暗黒街の連中だった。彼らは煙草を密輸入し、秘密の喫煙所を設け、取締りの役人たちを買収して愛煙家たちから儲け放題に儲けた。何やら、20世紀アメリカの禁酒法時代とギャングたちを思い出させる。
結局、この禁令は布告から三年ほどでうやむやになり、それに続くムラト4世の死で廃止となり、新帝はカリフとして煙草は禁忌でないと認めた。だが、煙草が禁忌だった期間には数万人もの人々が処刑されたという。皇帝と神学者たちの煙草嫌いが掲げた宗教的正義は、文字通り雲散霧消した。
それにしても煙草はともかく、歴代皇帝を取り巻く神学者たちは酒には寛容だったのは面白い。中には「コーランで禁止されているのはぶどう酒のみであり、他の酒は問題ない」と解釈した学者までいたので、まさにイスラム世界の曲学阿世の輩だ。上の行うところ、下これに倣うはイスラム圏も同じで、皇帝から臣下まで盛大に呑みまくったらしい。「神への信仰を忘れない程度なら、呑んでも構わない」とは理屈も付けようだ。現代でもトルコ人はムスリムなのに、酒には鷹揚であり、トルコには国営の酒造工場まであるほど。敬虔なアラブ人には「トルコ人は堕落したムスリムだ」と批判する者もいるという。信仰深いスリランカ人に、日本人を堕落した仏教徒とそしる人もいるように。
一般信者ばかりか聖職者の中にも、人目に付かなければ戒律破りをやる者がいるそうだ。トルコ滞在をした日本人も、断食月の日中に食事をしたり、こっそり酒を飲んでいるイマーム(導師)や、高利貸しまでやっているウレマ(神学者)を目撃している。堕落した破戒僧はどこにもいるが、トルコの諺にこんなものもある。
「ウレマ(神学者)様の説教のとおりに行うがよい。だが、御自身がなされるようには絶対やるな」
※参考:「イスラムからの発想」講談社現代新書、大島直政 著
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ジェームスは、エリザベス女王の廷臣だった、煙草好きのウォルター・ローリーを死刑にしましたが、ひょっとすると、煙草嫌いも多少関係したのかも?
ロマーノフやジェームス1世も煙草嫌いとは知りませんでした。教えて頂いて、ありがとうございます。
ペルシャのアッバースですが、この王様も大の酒好きでしたね。
シャーといえ、元来トルコ系なので、酒好きの性質はあるのかも。ムガルのバーブルもそうでした。
仰るとおりパーレビ時代のイランは、かなり世俗的なイスラム国家でした。テヘランでは女性はまずチャドルを着けてなかったそうです。
欧州から遠いイランならともかく、トルコで原理主義が台頭すると一番困るのは欧州なのに。
三国志演義では主人公である劉備は、酒は人心を惑わすから禁止しようとします(義弟の張飛は特に酒癖が悪いとされています)。
しかし、彼の腹心の一人の簡擁は、それならば、邪淫で人心を惑わす○器を持っている、すべての男女を取り締まりしなければならないのではと諌言し、禁酒令は実行されなかったのですが。
mugiさんも仰るとおり、禁酒に反対した簡擁自身もお酒は嫌いではなかったと思います。
そして今回のエントリーでもありますが、君主自身が煙草嫌いであったとしても、それを補佐・実行する者は煙草嫌いであるかではなく、政敵を潰す口実や、裏で暴利を挙げるよう、利用するだけでしょう。まさしく、「手段が目的」となるのでしょう。
「上に政策あれば、下に対策あり」とは支那人に限った事ではないでしょうけど。程度の問題でしょうか??
張飛の酒癖の悪さは有名で、それで部下に寝首をかかれましたね。
禁酒宗教の開祖ムハンマドの真の目的は、酒の販売を独占していたユダヤ商人の影響力排除と見る学者もいます。
ムラト4世の喫煙者弾圧で処刑されたのは、庶民の喫煙者か雑魚の犯罪者が大半でしょう。巨悪は無事だったのは禁酒法時代と変わらない。イスラム、キリスト世界で似たような法が出てくるのは面白いです。
日本の生類憐れみの令は悪名高いですが、庶民はほとんど処罰されず、適用されたのは武家階級がほとんどで、処刑された者も至って少ない。もし、中国皇帝がトルコのように煙草禁令を出したら、処刑される者はトルコどころではなかったでしょう。