今年のノーベル文学賞はトルコ人作家オルハン・パムク氏
に決まった。トルコの受賞者は彼が初めてらしい。パムク氏は1952年、イスタンブール生まれ。イスタンブール工科大で建築を学ぶが、「一生部屋にこもっ
てものを考えたり、読んだり書いたりしたい」と、途中からジャーナリズム学科へ転じて卒業。22歳で本格的に小説を書き始める。
昨年2月のスイス紙のインタビューで、オスマン・トルコ時代のアルメニア人大量殺害を認める発言をしたとして、国家侮辱罪で起訴されたこともあるそうだ。
私はパムク氏の小説は未読なので作品への批評は出来ないが、彼の受賞にスウェーデン・アカデミーの、選考過程で政治的状況は考慮していないとの公式発表は 全く信じない。『第二次世界大戦回顧録』で受賞したチャーチルがいい例だが、文学賞であれ政治的状況が強く反映されるのは知られている。たとえ優れた作品 をいくら書いたところで、パムク氏がアルメニア人大量殺害を認めない姿勢ならば、受賞は絶対出来なかっただろう。
人気ブログ『マイネ・ザッヘ』の、「軽くなるノーベル賞」 という記事では、ノーベル平和賞のいい加減さを改めて知らしめる内容だった。M.ガンディーがこの賞を取っていないだけで不可解なものだが、裏でイギリス が握りつぶしたのは書くまでもない。何しろイギリスにとってインドの独立運動家は“偏狭なナショナリスト”であり、“国際基準から離れた後進性、特異性” の持ち主だったのだから。文才ではチャーチルよりインド初代首相J.ネルーの方が明らかに優るが、ネルーもまた非受賞者だった。
欧州がオスマン・トルコ時代のアルメニア人虐殺を幾度も取り上げるのは、キリスト教徒アルメニア人に対する同情よりも、内心ではEU加入を認めたくないトルコへの牽制という政治的背景があるのは間違いない。
19 世紀末から第一次大戦時に至るアルメニア人虐殺では、トルコや他のムスリム民族に対しアルメニア人もかなりテロ活動を繰り広げていた。オスマン・トルコが 怒ったのも無理はない。危険分子と見なされ、強制移住させられたのは戦時中なら当然の処置である。アルメニア人が主張する百万人虐殺説はかなり根拠に乏し いとされるが、彼らは中共と同じく誇大に膨らました犠牲者数を繰り返す。恨み骨髄と化しているアルメニア人は第二次大戦後も欧米に着任するトルコ外交官を 狙ったテロを続けているが、このテロを欧米はまず取り上げない。
19世紀のアルメニア人殺害でトルコを散々非難したのは、イギリス首相グラッドストンだった。ネルーの言葉を借りると、「典型的なイギリス人だったグラッドストンは、きれい事の文句やしかつめらしいお題目でそれを飾り挙げ、まるですることなすこと、全て真っ先に神様に相談しているかのような触れ込みであった」人物。道徳を振りかざしてはトルコを糾弾し続けたグラッドストンだが、同時期のインドは史上最大級の飢饉に見舞われ一千万近くの死者が出ていたことには“沈黙は金”の道徳を守る。
第一次大戦後、大戦中の強制移動に伴うアルメニア人の死者は約30万人程度と推定したトルコ政府高官がいた。だが、まもなくその発言は取り消され、21世紀の現代に至るまでトルコ政府は一貫して「虐殺の事実はない」と主張している。ネルーは著書でトルコとアルメニアとの関係を、互いに血みどろの凄惨なテロを繰り返しており、支配下に入ることは生存権を脅かされるものだったと、記していた。
名は忘れたが、ある台湾の映画監督は欧米でアジア映画が賞を取ることの難しさを話していた。アジアの貧しさや社会問題をテーマにすると受けがいいが、普遍的な人間社会を描くならば受賞は難しい、だから欧米の賞は有難がるな、と戒めていた。この監督は台湾人に対して語っていたのだが、これは欧米の賞をやたら尊重する日本人にこそ、知って頂きたい忠告である。欧米の賞を世界的な権威と崇めひれ伏す日本の有識者のウブと滑稽さは、台湾の一映画監督に劣るのを如実に示している。
今月半ば、フランス下院はオスマン・トルコによるアルメニア人虐殺を演説や出版物で否定すれば、1年の禁固刑もしくは4万5千ユーロの罰金を科すという法 案を賛成多数で可決した。フランス国内にはアルメニア系住民が約50万人いると見られ、彼らが積極的なロビー活動を行ったのは明らか。アルメニア人の活動 は欧米に移住した中国、韓国系住民の反日キャンペーンを髣髴させられ、日本としても他人事ではない。
昨年公開された十字軍映画『キングダム・オブ・ヘブン』 の主人公以下の主要登場人物名は面白い。バリアン、ボードワン、ギー・ド・リュジニャン、ルノー・ド・シャティヨン…全てフランス人である。この映画の監 督や役者の大半は英国人だが、製作国の米国よりやはり欧州で評判がよかった。トルコもアラブも未だ十字軍は許しておらず、歴史は他国の古傷を暴くのに利用 されるようだ。
◆関連記事:「虐殺の事実はない」
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昨年2月のスイス紙のインタビューで、オスマン・トルコ時代のアルメニア人大量殺害を認める発言をしたとして、国家侮辱罪で起訴されたこともあるそうだ。
私はパムク氏の小説は未読なので作品への批評は出来ないが、彼の受賞にスウェーデン・アカデミーの、選考過程で政治的状況は考慮していないとの公式発表は 全く信じない。『第二次世界大戦回顧録』で受賞したチャーチルがいい例だが、文学賞であれ政治的状況が強く反映されるのは知られている。たとえ優れた作品 をいくら書いたところで、パムク氏がアルメニア人大量殺害を認めない姿勢ならば、受賞は絶対出来なかっただろう。
人気ブログ『マイネ・ザッヘ』の、「軽くなるノーベル賞」 という記事では、ノーベル平和賞のいい加減さを改めて知らしめる内容だった。M.ガンディーがこの賞を取っていないだけで不可解なものだが、裏でイギリス が握りつぶしたのは書くまでもない。何しろイギリスにとってインドの独立運動家は“偏狭なナショナリスト”であり、“国際基準から離れた後進性、特異性” の持ち主だったのだから。文才ではチャーチルよりインド初代首相J.ネルーの方が明らかに優るが、ネルーもまた非受賞者だった。
欧州がオスマン・トルコ時代のアルメニア人虐殺を幾度も取り上げるのは、キリスト教徒アルメニア人に対する同情よりも、内心ではEU加入を認めたくないトルコへの牽制という政治的背景があるのは間違いない。
19 世紀末から第一次大戦時に至るアルメニア人虐殺では、トルコや他のムスリム民族に対しアルメニア人もかなりテロ活動を繰り広げていた。オスマン・トルコが 怒ったのも無理はない。危険分子と見なされ、強制移住させられたのは戦時中なら当然の処置である。アルメニア人が主張する百万人虐殺説はかなり根拠に乏し いとされるが、彼らは中共と同じく誇大に膨らました犠牲者数を繰り返す。恨み骨髄と化しているアルメニア人は第二次大戦後も欧米に着任するトルコ外交官を 狙ったテロを続けているが、このテロを欧米はまず取り上げない。
19世紀のアルメニア人殺害でトルコを散々非難したのは、イギリス首相グラッドストンだった。ネルーの言葉を借りると、「典型的なイギリス人だったグラッドストンは、きれい事の文句やしかつめらしいお題目でそれを飾り挙げ、まるですることなすこと、全て真っ先に神様に相談しているかのような触れ込みであった」人物。道徳を振りかざしてはトルコを糾弾し続けたグラッドストンだが、同時期のインドは史上最大級の飢饉に見舞われ一千万近くの死者が出ていたことには“沈黙は金”の道徳を守る。
第一次大戦後、大戦中の強制移動に伴うアルメニア人の死者は約30万人程度と推定したトルコ政府高官がいた。だが、まもなくその発言は取り消され、21世紀の現代に至るまでトルコ政府は一貫して「虐殺の事実はない」と主張している。ネルーは著書でトルコとアルメニアとの関係を、互いに血みどろの凄惨なテロを繰り返しており、支配下に入ることは生存権を脅かされるものだったと、記していた。
名は忘れたが、ある台湾の映画監督は欧米でアジア映画が賞を取ることの難しさを話していた。アジアの貧しさや社会問題をテーマにすると受けがいいが、普遍的な人間社会を描くならば受賞は難しい、だから欧米の賞は有難がるな、と戒めていた。この監督は台湾人に対して語っていたのだが、これは欧米の賞をやたら尊重する日本人にこそ、知って頂きたい忠告である。欧米の賞を世界的な権威と崇めひれ伏す日本の有識者のウブと滑稽さは、台湾の一映画監督に劣るのを如実に示している。
今月半ば、フランス下院はオスマン・トルコによるアルメニア人虐殺を演説や出版物で否定すれば、1年の禁固刑もしくは4万5千ユーロの罰金を科すという法 案を賛成多数で可決した。フランス国内にはアルメニア系住民が約50万人いると見られ、彼らが積極的なロビー活動を行ったのは明らか。アルメニア人の活動 は欧米に移住した中国、韓国系住民の反日キャンペーンを髣髴させられ、日本としても他人事ではない。
昨年公開された十字軍映画『キングダム・オブ・ヘブン』 の主人公以下の主要登場人物名は面白い。バリアン、ボードワン、ギー・ド・リュジニャン、ルノー・ド・シャティヨン…全てフランス人である。この映画の監 督や役者の大半は英国人だが、製作国の米国よりやはり欧州で評判がよかった。トルコもアラブも未だ十字軍は許しておらず、歴史は他国の古傷を暴くのに利用 されるようだ。
◆関連記事:「虐殺の事実はない」
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その点で、わが国の国民栄誉賞も危ういもので、2度辞退したイチローが素晴らしく偉く見えます。
今回の記事の関係で、前回見落としていた「虐殺の事実はない」も読んで、共感しました。
西洋列強に領土を侵蝕されたにも関わらずそれを認めて覇権主義を捨て、
政教分離をし民主化して親欧米路線をとって NATO に加わっている。
覇権主義を捨て中華思想を払拭し民主化した親日の中国が隣にあれば
どれほど平和か。
そう思うと、ヨーロッパは贅沢を言えないと思います。
(まあトルコ人との文化的軋轢は大変だとは思いますが。)
映画といえば、ケマルを主人公にしたハリウッド映画が作られることは
あるのでしょうか。萌えるシーンには事欠かないのですが。
仰るとおりネットの発達で、特にノーベル平和賞の実態が知られ、他の賞への権威も疑問視されるようになりましたね。
1988年のアラブ世界初のノーベル文学賞受賞、エジプト人作家ナキーブ・マフムーズ氏も単に作品が優れていたからなのか。彼はイスラム原理主義批判の急先鋒でした。
それでも未だにハクがあるので、貰った人が偉いと疑いもなしに思う方が多数です。
我国の国民栄誉賞は受賞者よりも賞を与える政治家のためにあるようなものですね。
「中国がトルコだったら」との発想は面白いですね。
中国と比較すると、トルコの異色さが浮かび上がります。
紀元前からの覇権国家と、オスマン朝にしても約6百年の歴史では、差がありすぎるのかもしれませんね。
ヨーロッパはビザンチンを滅ぼし、バルカンを支配したトルコを未だ許せないようです。
ケマルが主人公のハリウッド映画ですか。まず、望み薄だと思いますね。
欧米の知識人は例外なく彼を独裁者と断定してますから、評判が悪い。
http://www.cnn.co.jp/business/CNN200610250041.html
やっぱり、こうなりますよね。
あれだけEU加盟条件に次々と高いハードルを要求されれば、当然でしょうね。
エルドアン政権が来年の選挙で苦戦して、より強硬な原理主義政党が台頭しなければよいのですが…
わたしは何人かのトルコ人とチャットをしていますが、やはり、Eu加入のことは少し遠い話と考えているようですね。アルメニア虐殺のことは知っていますが、彼女らとはその話はしません。ちなみに、「貴女が一番嫌いなくには?」と聞くと、たいていが「ギリシャ」ですね。「アルメニア」は、思っていても、口には出しにくいのかも。
何人ものトルコ人とチャットしてるとはすごい。私が知るトルコは、大島直政氏の本によるところがほとんどです。
やはりトルコ人にとって一番嫌いな国はギリシャですか。第一次大戦後に火事場泥棒のように侵攻したのを忘れていないでしょうね。それでも大島氏がギリシアに立ち寄る時、知人のトルコ人からギリシャのシャツを買って来て欲しいと頼まれたそうです。知人もギリシャは大嫌いですが、シャツの質が良いからという理由で。この話は30年以上は昔のはずです。
アルメニアに関しては、あちらが南京を持ち出さない限り口にしない方が無難でしょう。
こちらこそ、来年もよろしくお願いします。