トーキング・マイノリティ

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聖地チベット ポタラ宮と天空の至宝展 その②

2010-05-31 21:17:09 | 展示会鑑賞
その①の続き
 後期密教の影響の強いチベット仏教には、明らかにヒンドゥー教起源と思われる神々も少なくない。上の画像はダーキニーと呼ばれる女神で、この特別展で初めて知ったが、一目見ただけでヒンドゥーの女神カーリーを連想した。会場には無料でおみくじを引ける特設コーナーがあり、くじに描かれている神がその人の守り神になるという。試しに私が引いたくじはダーキニーだった。くじの説明には修行者が悟りを開く助けをする智恵の女神とある。超能力を持ち、空を飛べ、踊りも得意。知恵を授けてもらいたい人にはこの守り神とか。ただ、会場の解説文によれば、この女神の機嫌を損ねると食い殺されるそうで、やはりコワい神様。

 展示されている女尊(女神)像は、どれも巨乳とくびれた腰というグラマースタイル、これも明らかにインド様式だろう。失礼ながらモンゴロイドのチベット女性には、こうした体型のタイプは少数だと思われる。修行者の悟りを助ける女神像がそろってナイスバディばかりで、これでは返って煩悩を刺激しないのか、俗人には不思議に感じた。体つきはイカしても、憤怒の表情にドクロが重なった杖を持ち、ドクロが数珠つなぎの首飾り。

 1203年、インド・ベンガル地方にあったインド仏教の最大の仏教寺院で、最期の砦でもあったヴィクラマシラー寺が、ムスリムの軍勢により破壊、多数の僧侶と尼僧が虐殺された。その十年前、既にあの玄奘三蔵も学んだ名門ナーランダ大学も、トルコ系ムスリムにより破壊されている。ヴィクラマシラー寺の破壊で、衰退期に入って久しいインド仏教は滅亡した。
 生き残った仏教僧侶は辺境の地であるチベットに亡命してくる。インド人行者がチベットに来ることもあり、彼らはチベット仏教の発展に貢献したのは書くまでもない。インドの伝説上の行者や大成就者の肖像彫刻も何点か展示されており、いずれもインド人らしく大きな目と高い鼻の顔立ちだった。



 極めつけは上記の「ペルデンラモ騎騾(きら)像」。ペルデンラモという神も初耳なので、ネット検索をしたら吉祥天に当たると書かれているサイトがあった。これが本当ならば、日本では美しい幸福の女神として有名な吉祥天が、チベットでは人間の皮を敷いてラバに乗り、両手に刀の姿に描かれるのか。「仏教に敵対する者はたとえ我が子でも殺して敷皮にする」という伝説を基にしているそうだ。この神も「勝利の女神」としておみくじに入っていた。



 上の画像はカパーラという法具。精巧な細工には目を見張るが、中心部のひび割れた白い部分は何と高僧の頭蓋骨である。高僧の同意を得ているにせよ、人間の頭骨を法具にするという感覚が日本人とはかけ離れている。この特別展を見ても、展示物はとかくドクロ装飾が多い。ダーキニー女神もドクロ杯を持っている。男女合体のような強いエロティシズムと死の象徴が同時に陳列されているのだ。私のようにエログロに興味のあるスケベ根性の者はともかく、日本の仏教美術とのあまりの違いに違和感を覚えた方も少なくなかっただろう。

「第3章:との往来」での解説は興味深い。チベットと中国諸王朝との外交関係を紹介、明の永楽帝や清の乾隆帝はチベット仏教を厚く信仰したと書かれている。特に前者の時代、中国の工房で盛んにチベット向けに仏具が作られたと説明があり、展示物にも中国で制作された工芸品が何点もあった。素人目にも高い芸術性が分かる美術品だが、政治的な意図的を感じたのは私だけではないだろう。
 永楽帝がチベット仏教のパトロンだったのは確かだろうが、熱心な信者だったとはとても思えない。これは乾隆帝も同じだし、この皇帝は「十全武功」(じゅうぜんぶこう)と呼ばれる10回の外征を行い、中国史上最大の領土を獲得した。歴代中国皇帝がチベット仏教の庇護者だったという印象を与える目的だろうか。

「中国チベット文化保護発展協会」や「中国国家文物局」の政治利用目的はともかく、これだけの文化財を見られるのは結構なことだし、中共政府はチベットの文化財を保護発展させる義務がある。実態は「天空の盗まれた至宝」展だったにせよ、破壊されるよりはマシだろう。もっとも贋作で有名な中国だから、国宝級と銘打った偽物を展示してはいないだろうか…そんな疑いもある。

◆関連記事:「ウイグル、チベットは中国古来の領土
 「仏教以前のチベット

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28 コメント

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ローマとチベット (室長)
2010-06-01 11:46:03
mugiさん、
このチベットの仏教秘宝展示は、昨年12月に小生が上野で、古代ローマ帝国展と同日に鑑賞したのと同じもののようです。
「ローマとチベット」と題して論評しました(
http://79909040.at.webry.info/200912/article_1.html)。
 小生も、ドクロがしょっちゅう出てくる異様な仏像類が、秘宝として、珍重されていることに違和感を持ったし、男女合体像にも、世界の宗教の中でこんなものが他にあろうか?と驚いたものです。ヒンドゥー教の画像、群神図類などは、豊かな胸、くびれた腰、などエロチックですから、その流れとは分かるけど。

 そういえば、河口慧海の『西蔵旅行記』では、慧海を匿ってくれた恩人の夫妻も、結構夜はおさかんであったというような記述があったし、チベット仏教は、決して禁欲オンリーの教えではないのかも知れません。
 チベット仏教の僧侶達も、結構妻帯していたのではないでしょうか?

 最近西欧では、カトリック神父達の少年に対する性的虐待行為とかのスキャンダルが、次々に発覚したりして、やはり僧侶もきちんと妻帯させないと危険極まりないという議論のようです。プロテスタント僧侶はかなり前から妻帯を許されているので、性的スキャンダルが少ない。日本も、一休禅師、親鸞をはじめ、主要な僧侶が早々と妻帯して、この問題を解決した。
 カトリックの偽善性も、妻帯許可でけりがつくはずと思う。
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RE:ローマとチベット (mugi)
2010-06-01 21:49:33
>室長さん、

 上記に挙げられた昨年の記事は憶えています。同じ秘宝展が仙台にも来たので是非見たいと思い、博物館に鑑賞に行きました。チベット仏教で何故あれほどドクロ装飾が使われるのか不可解ですし、他の仏教国にはまず見られない特徴かもしれません。男女合体像ならインドのカジュラーホーが有名で、ここを訪れた人のブログ記事も結構あります。
http://www.sekatabi.com/diary/archives/2006/10/post_317.php

 男女合体像はインドが本家でしょうけど、「現世肯定的で、派手で、陽気に見える」と思えませんか?気候の違いもあるのか、チベットのそれはダークな印象がありますね。

 チベットの僧侶は他の仏教宗派と同じく建前は妻帯法度ですが、実際は隠し妻がいた者もあったはず。仏教僧が妻帯、肉食するのは日本くらいだそうですが、妻帯をしない仏教僧もまた少年への性的虐待行為をしているかもしれません。かつての日本の寺院も稚児などは、性的欲望の対象にされることもありました。これも妻帯を許さないという非人間的な戒律から来ているのです。
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後期密教 (shiretoko)
2010-06-02 21:24:44
mugi様お世話になります。インド後期密教では、僧侶が秘密集会タントラのような経典のもとに公然と性行為を行っていました。一つには性エネルギーを有効に使えば、ニルヴァーナに達しやすいから、それを使わないともったいないということらしいですが、私にはよく分かりません。それから、日本に全く後期密教が入っていないのでしょうか?真言立川流、台密にも玄旨帰命壇がありました。部分的には後期密教が日本に入っていたと思います。ただ、後期密教が性行為を認めているのに、チベットで僧侶が妻帯するのが余り見られないのはよく分かりません。

密教の仏像ですが、インドで密教が現れてきた頃、ドラビタ族が力を持ち始め、それで密教の仏像は、アーリア系の容貌からドラビタ系の容貌に変化したと言われています。mugi様が別のコラムで、神仏習合はヒンズー教でもあったとおっしゃいましたが、ヒンズー教の基になったバラモン教(アーリア系)と仏教との間で力をもってきたドラビタ系を取り込む競争があったのではないかと思います。一つには密教という形でドラビタ系を取り込もうとしたのではないか。密教は仏教だけでなく、バラモン教、ジャイナ教にもありました。結果的には、バラモン教(アーリア系)が仏教、ドラビタ系の民族宗教を全部取り込み、仏教に対して勝利したのではないかと思っております。

チベットの仏像がなぜアーリア系の容貌なのかを考えますと、mugi様が示唆された、インドで仏教が滅亡してインドの高僧がチベットに亡命してことが、可能性として大きいと私も思います。

チベットの貴重な文化財、そしてチベット人の宗教精神文化を徹底的に破壊してきた中国共産党政府がこのような展覧会を行うのをみると、中国人の面の皮の厚さに閉口しますが、現状ではどうすることもできません。

こちらのコラムと話が違いますが、別の欄で紹介させて頂きましたカトリックの前司教のブログに面白い記事がありました。

http://mr826.net/psi/catholic/6a295a01306f30593066795e306b753167653059308b

豊臣秀吉から徳川政権に至るキリシタン「迫害」について(特に徳川家康)、徹底的に批判を浴びせています。ここまでくると妄想ではないかと思うのですが、キリスト教徒にとって、自己を正当化できるのはもはやキリシタン迫害しかないのでしょう。この文章を読みますと、ニーチェは正しかったのではないかと思わざるを得ません。彼らキリスト教徒の心の中にはルサンチマンしかないのではないかと思うのです。

これからも宜しくお願い致します。


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雑感 (スポンジ頭)
2010-06-03 19:11:31
 私も以前清朝関係の宝物展でチベット仏教関係の法具を見たのですが、頭蓋骨の上半分をカラフルな色彩で彩り、切り口に細工を施した金を被せたものがありました。仏教関係の道具として日本人の感覚で見ると、非常な違和感がありました。以前テレビで見たチベット仏教のお祭りでも僧侶が人の大腿骨で作った笛を吹いていて、日本人の考える仏教とは異質ですね。このような道具が日本のPCゲームで登場したら、おそらく呪いのアイテムとして表現されると思います。
 そして私も河口慧海の『西蔵旅行記』を抄訳(だったと思います)で読んだことがあるのですが、そこに身分の高い人物の処刑場面の描写がありました。たしか水死させた後、遺体を解体して川に流してしまうのです。日本人からするとグロテスクな話ですが、チベット仏教の死生観とも絡み合っているのでしょうか。

 >>仏教に敵対する者はたとえ我が子でも殺して
 以前アラビアン・ナイトで、改宗した人物が異教徒の父親に改宗を迫り、聞かれずに平然と殺してしまう話があり(ここの辺り記憶モード、読んだ私は仰天)、一神教だからかと思っていましたが、どうもそうでもないですね。過酷な気候で信仰されると一神教でも多神教でも同じ結果になるのかもしれません。
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RE:後期密教 (mugi)
2010-06-03 22:08:04
>shiretoko様、

 現代でもヒンドゥー教には性エネルギーを有効に使うという考えがあるそうです。そのために秘儀のようなことも行われているとも言われていますが、やはり日本人にはよく分からないですね。その一方で息詰まるような禁欲も説いているから、ますます不可解。
 もし日本に後期密教が入ったとしても中国経由になるので、インド後期密教よりはかなり薄められているはず。

 ヒンドゥー教を“ネオ・バラモン”教と呼ぶ欧米人学者もいます。ヒンドゥー教もまた仏教の教義を取り入れて変容、さらにドラビタ系の
土着宗教も取り込み、仏教を圧倒していきました。ヒンドゥー教もよくいえば柔軟で融通無碍な面があり、知識人の教徒もこの宗教にはこれといった定義はないと語っています。
それにしても、ジャイナ教にも密教があったとは知りませんでした。ジャイナ教は仏教と違い、少数派にせよ現代までインドで続いて
いますよね。本当に生き残ったジャイナ教と消滅したインド仏教は好対照です。

 今回の特別展でチベット人行者や高僧の肖像彫刻もありましたが、こちらは明らかなモンゴロイドの容貌をしていました。元からチベットはインドと隣接しているため、仏教滅亡以前からも人の交流はあったはず。チベットには仏教、ヒンドゥー教徒にとっても聖地とされる場所があり、インドの映画監督サタジット・レイがチベットを舞台とした小説を書いています。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/d835977f803cafed79d601bcc07d6d1b

 カトリックに限らず日本人キリスト教徒が日本を非難する口実として、徳川時代のキリシタン迫害を執拗に挙げていますね。仰るとおり、まさに自己正当化するにはこれ以外ないのでょう。しかし、その原因となったのはまずキリシタンによる迫害とテロ、欧州人宣教師の走狗となっていたためであり、キリシタンに一切要因があるのです。しかも、当時の新大陸で原住民へのジェノサイドを重ねていた。元から聖書には「聖絶」の教義があり、ジェノサイド公認、奨励宗教ですから。

 日本のキリシタン迫害など、中国・朝鮮のそれに比べればかなり温いし、欧州の異端審問、宗教対立など同じ一神教のイスラムと好対照です。宗教に帰依すればするほど、妄想が膨らむのでしょうね。ルサンチマンの自尊心を満たすのに、宗教くらい効果的なものはないかも。
 反日キャンペーンを繰り返しながら、日本に居続ける日本人キリスト教徒には心底敵意を覚えます。
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RE:雑感 (mugi)
2010-06-03 22:10:21
>スポンジ頭さん、

 頭蓋骨で作られた法具を間近で見ると、やはり迫力がありましたね。いかに見事な金細工を施されるにせよ、私なら願い下げですが、多くの日本人も同じ思いのはず。以前、仙台市博物館での何かの催しで、チベット仏教儀式で使われたという大腿骨で作られた笛も展示されていましたが、これも強い違和感を覚えました。大腿骨の笛って、どのような音色となるのか不明ですが、やはり気味悪そう。
 日本人でドクロ杯で酒を飲んだのは信長くらいではないでしょうか。信長の残虐性を語る上で、必ず挙げられるエピソードです。

 以前、私の職場の上司が、「鳥葬の国」というフィルムを見たそうで、チベットの高僧が鳥葬される様子を収めたモノクロフィルムだったそうです。ちゃんと鳥が食べやすいように、遺体を切り刻んでおり、これも日本人が見たら死者への冒とくに感じますが、鳥葬は丁重な葬儀であり、これは身分が高い僧侶くらいしか行われなかったとか。

 私もこの特別展で初めて「仏教に敵対する者はたとえ我が子でも殺して敷皮にする」との伝説がチベットにあることを知り、仰天しました。東南アジアの仏教国はここまでではないと思いますが、仰る通り、チベットのような荒涼な地となれば、仏教も苛烈になってくるのでしょうか。そういえば、モンゴルもチベット仏教を受け入れましたね。
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鳥葬の国 (室長)
2010-06-03 23:17:49
 この映画、小生も大昔に見た覚えがある。60年代前半だったような気がするけど、確かに「天然色=フルカラー」でした。
 人間の遺体を、解剖と言うくらいに、内蔵とか鳥が食べやすいように、解体してしまうのです。鳥にとっては、まず内蔵がご馳走で、肋骨とかを真ん中から割きます。腹部も真ん中から穴を開けて、内臓をむき出しにして、鳥が食べやすいようにします。
 真っ赤な血が流れ、太陽がさんさんと照る、乾燥した空気の中、鳥たちが内臓、そして肉を食いちぎる様子を、しっかりカメラで撮影してありました。
 チベットは、高地で、雲も少なく、紫外線も強く、カラーも鮮明でした。
 衝撃的な解体シーン故に、当時話題となったけど、また小生は高校生だったように思うけど、映画館で、強烈に色彩豊かなチベット仏教の寺院とか、仏画とともに、記憶に残っている。
 天然色が鮮やかなことでも、評判だった映画です。
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RE:鳥葬の国 (mugi)
2010-06-04 21:47:43
>室長さん、

 この映画はフルカラーでしたか!上司の話ではかなり前に見ており、私がその話を聞いたのも十年以上も前なので、記憶が曖昧ですが、確かモノクロと言っていたような…
 試しにネット検索してみたら、1958年、「西北ネパール学術探検隊」がヒマラヤ最奥地の調査をしており、その報告書として「鳥葬の国―秘境ヒマラヤ探検記」が出ているそうです。「世界ではじめて奇習“鳥葬”をとらえるなど、日本の野外研究学派の基礎を築く大きな成果をあげた」との解説があり、その時の記録映像でしょうか?
 
 それにしても、カラーでしたらかなりリアルな映像ですよね。それでもリバイバルされたら、やはり見に行くかもしれない(笑)。
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雑感 その2 (スポンジ頭)
2010-06-05 18:45:28
 >>大腿骨の笛って、どのような音色となるのか不明
 私が聞いた時は「ブオォー」と言う低い音だった記憶があります。とりたてて変わった音じゃないのですが、「大腿骨」と聞いた時はギョッとなりました。

 >>ドクロ杯で酒を飲んだのは信長
 これは小説家の潤色で、実際は自分が滅ぼした浅井長政達の頭蓋骨に漆を塗り、金粉をまぶして酒宴の飾りにしただけだそうです。私だったらそれを見ながらお酒など無理ですが、生死が身近にあった当時の人はさほどの事ではなかったのでしょう。ちなみにこの件は「信長公記」に記載されているそうです。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1013499175

 ドクロと言えば、春秋戦国時代の話で、自分を利用した挙句滅ぼそうとした君主を返り討ちにした君主が、相手の頭蓋骨を便器に投げ込んだ、もしくは直接便器として使用した、と言う話があります。また、北欧神話で王に対する復讐のため、王子を密かに殺して頭蓋骨は銀の酒盃に仕立て、歯と眼を装身具に加工して、酒盃は王、歯と眼はそれぞれ王妃と王女に献上したと言う話もあります。北欧の場合は神話ですが、両方とも非業の最期を遂げることが多い時代が反映されているので、気性が異常に激しくないと生き残れなかったのでしょう。
 
 何で聞いたのか忘れましたが、近頃は鳥葬にしても鳥が以前のように死者の肉を食べに来ないのだそうです。人間の体が公害汚染されているので鳥が食べなくなっているのだそうですが、チベットでもそんな問題がぼつぼつ出てきているとは、と驚いた次第です。
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RE:雑感 その2 (mugi)
2010-06-05 21:51:38
>スポンジ頭さん、

 笛の材質を知らなければ気にも留めないでしょうけど、「大腿骨」と意識してしまうと、やはり妙な感覚になるのでしょうね。人間の大腿骨で作られた笛があるのは、もしかするとチベットくらい?

 信長はドクロ杯で酒を飲んだのではなく、単に「首級を髑髏にして、箔濃(はくだみ)にして見栄えをよくしていた」だけだったのですか!正しい情報を教えて頂き、有難うございました。
 信長=ドクロ杯は有名ですよね。何年か前に読んだ堺屋太一の小説でもこの潤色が見られ、側近が「上様の感覚はちと異様や」と言うシーンがありました。

 潤色がドクロ杯程度だった日本と違い、さすが他国は苛烈ですね。大陸あたりならさもありなん、と思いますし、春秋戦国時代に殺害こそされませんでしたが、簀巻きにされて便所に放り込まれ、辱めを受けた人物もいました。北欧神話の話も初耳です。
 敵の息子の頭蓋骨を酒盃に加工せずとも、直接息子の肉を父親に食べさせる話が中国やペルシア神話にありました。シェイクスピアの「タイタス・アンドロニカス」も、母親に息子の人肉パイを食べさせるというおぞましい場面が見られます。

 私もネットニュースで、最近はチベットでも鳥が死者の体を食べなくなったことを見ました。インドで鳥葬をするパールシーも、肝心の禿鷹の数が極端に減り、困っているそうです。
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