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女法王ジョヴァンナ その五

2015-12-04 21:10:20 | 読書/欧米史

その一その二その三その四の続き
2人の間の恋が、どのようにはじまったのかは知られていない。だが、法王が実は女だったと知った時の若者の驚きがどんなであったかを想像し、法王猊下の乳房を愛撫するという、歴史始まって以来のことをする時の、キリスト教徒である彼の心境はどうだったのかと想像する時、誰も思わず、口の端に笑みが浮かぶのを抑えることが出来ないであろう。おそらく、法王のジョヴァンナ、15歳以上も年上だった彼女が先に誘ったであろう

 上記のようにシニカルに描かれているが、今回は前のようにことがうまく運ばなかった。彼女は妊娠してしまったのだ。いかに学識豊かでも、こういうことには彼女は不慣れであり、さらに月満ちる日を計算できるようなことに、当時の人々は全く無知だった。法王の衣は膨らんだ腹部を隠してくれたが、出産の日は突然にやってきた。
 聖ジョヴァンニ・イン・ラテラノ寺院で祝福ミサを行っていた時、ジョヴァンナは陣痛に襲われる。激痛には強い意志力で耐え抜いた彼女だが、ミサの終わり頃、ついに祭壇の前に倒れてしまう。気を失った彼女の法王衣の裾から血が流れ、多くの人々が見守る中、赤ん坊の産声が教会内に響き渡る。

 子を産み落とした女法王は意識が戻ることなく、間もなく死ぬ。法王庁から追放される覚悟で真実を白状したパオロは、子供だけは欲しいと願い、それは叶えられた。その後の親子の消息は知られていない。
 暗黒の中世キリスト教世界でも、これは最大級のスキャンダルであり、ローマ教会はこの全てを全てを闇に葬ったが、民衆の間に伝説は根強く残った。9世紀当時は資料がとても少なく、それも正確ではないという。この短編を書くに当たり、作者は参考にした書物を挙げている。英国の作家ロレンス・ダレルの『女法王ジョーン』、13世紀に書かれた幾つかの年代記、グレゴロヴィウスの『中世ローマ史』等。

 70年代のウーマンリブの猛女連は、法王の座を女にも開放せよとは要求していなかったそうだ。現代のフェミニストは不明だが、日本のクリスチャンやフェミニストの猛女連がそれを要求した話を、少なくとも私は聞いたことがない。彼女らは女系天皇制を常に声高に主張、男系のみというのは封建的、と非難しても、カトリックにはダンマリでは説得力は皆無なのだ。尤も何処ぞの代弁者にそれを求めるのは無駄だが。

 女法王ジョヴァンナの時代、肉欲の罪を犯した女は裸体にされ、互いに鎖でつながれた2人1組で、そういう罪を清めてくれるとされた聖マルチェリーノの墓まで、巡礼するという風習があったという。現代人からは仰天する風習だが、この種の巡礼は夏場と決まっていたのは、せめてもの思いやりであろう、と作者はいう。そんな作者の歴史の見方は意味深い。
歴史とは、現代人の感覚で読んでしまうと、話が一向に進まないだけでなく、少しも面白く無くなってしまうものである。あの時代はああであったかと思って読んでもらうと、歴史は面白いものになるのだ

 塩野七生氏の作品には己の野心のため、男を利用する女が結構多く登場している。処女作『ルネサンスの女たち』は、知略と度胸で男と対等に渡り合った女と、男達の野望に徹底利用された女が描かれている。氏は前者への称賛は惜しまないが、後者、殊にルクレツィア・ボルジアには、「24歳になろうとしていたのに、ルクレツィアは相変わらずの“永遠の少女”でしかなかった」と、実に手厳しい。
 一方で塩野氏は、フェミニストを見る目も厳しい。そのため同性には冷たいという非難を昔からされ続けている。その氏も、女法王ジョヴァンナの伝説には、「同性としてはこれが本当だったとしたら、何と痛快ではないか、と思っている」と述べていた。

『愛の年代記』執筆当時の塩野氏は、イタリア人医師との結婚生活をしていたはずだが、後に離婚している。野心のために男を利用するキャラが登場するのは、作者自身の性格の投影か、と邪推するファンは私だけだろうか。

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