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ギリシア人の物語Ⅲ/新しき力 その③

2018-06-15 21:40:13 | 読書/欧米史

その①その②の続き
 第Ⅲ巻では、アレクサンドロスをめぐる女たちへの記述が意外に少なかった。烈女で有名な母オリンピアスよりも父フィリッポス2世の方に筆を割いているし、初めて正式に結婚したロクサネについても、こんな描き方なのだ。
28歳になるこの年まで女の気配さえもなかったアレクサンドロスが、側室にするどころか結婚までしたのだから、絶世の美女であったにちがいないと、これより三百年後も後に書くことになる史家たちは考えたのだろう。だが、アレクサンドロスは、愛人とか側室をもつこと自体が嫌いな男なのである」(373頁)

 あれ、ロクサネと結婚する前、バルシネという愛人がいたんじゃないの?と言いたくなった。短編小説集『サロメの乳母の物語』には「大王の奴隷の物語」というアレクサンドロスの奴隷が亡き主人を語る話が収録されている。物語ではギリシア風の教育を受けた淑やかなバルシネという愛人がいたため、他の女たちにあまり興味を持たないとなっていた。長くなるので愛人のことは単に省略したのだろうか?
 正妻に先立ち男児ヘラクレスを儲けていたが、ついにアレクサンドロスの正式な妃になることはなかった。ロクサネとアレクサンドロスの死後に生まれた王子アレクサンドロス4世と同じく、バルシネ母子も“後継者戦争”により暗殺されている。

 アレクサンドロスが民族融和として、1万人のマケドニア将兵と1万人のペルシア娘との合同結婚式を強行したのは有名だが、そのマケドニア将兵にはこう言っていたという。
おまえたちが国にもどるときは、妻だけでなく、その妻との間に生まれた子もペルシアに残していくこと。それが男子ならば、マケドニア式の教育を授けるから」(411頁)
 アレクサンドロスのこの言葉は初めて知ったが、ケシカラン、種付けだけ果たせばそれでよい、というのと同じではないか、という著者の感想は私も同じだ。これでは民族融和など上手く行くはずもない。

 ラストの「十七歳の夏――読者に」こそ、長年のファンには最も胸を打つ章だったかもしれない。読書メーターには数多くのコメントがあり、やはり他の読者も同じ思いだったのが分って嬉しい。読者に~ではこんな文章があった。
ミリオンセラーには縁はなかったが、出版社の倉庫に返品の山が築かれない程度には本を買ってくれる読者に恵まれたのは、私にとっては最良のサポートになった。組織に属したことは一度としてないので、作品を売る以外に収入の道はない。それで五十年にわたって書きつづけてこれたのは、私の作品を買って読むことで、私が仕事をつづける環境を整えてくれた読者がいたことである……
 あなた方が書物を読むのは、新しい知識や歴史を読む愉しみを得たいと期待してのことだと思いますが、それだけならば一方通行でしかない。ところが、筆者と読者の関係は一方通行ではないのです。作品を買ってそれを読むという行為は、それを書いた筆者に、次の作品を書く機会までも与えてくれることになるのですから」(463頁)

 著者には申し訳ないが、実は私はこの本は図書館で借りて読んでいる。予約時で既に数十人待ち状態だったが、予想したより早く読めた。この他にも塩野氏の本は新書や文庫を除き、『ローマ人の物語』以後買っていない。ハードカバー版は重くて持ち歩きに不便だし、何よりも場所を取る。電子書籍も考えているが、買うには迷いがある。
 初めて私が見た塩野氏の著作は『ローマ人の物語』、友人に勧められたのがきっかけだが、以降すっかりハマった。それ以前から氏の名前だけは知っていたが、イタリア在住ということだけで、どうせ西欧を持ち上げ日本を貶す女作家だろうと思って敬遠していたのだ。

ほんとうにありがとう。これまで私が書きつづけてこれたのも、あなた方がいてくれたからでした」(463頁)
最後にもう一 度、ほんとうにありがとう。イタリア語ならぱ 「グラツイェ・ミッレ」。つまり、「一千回もありがとう」(464頁)
 一読者からもこう言いたい。塩野先生、50年間に亘る作家生活、お疲れ様でした。取材時にはさぞご苦労やトラブルがあったことでしょう。貴女の作品を読むのは至福の時でした。貴女の作品に接していると、主人公たちの生きていた時代に行って間近で観ている気分にさせられました。何時も秀作をありがとうございました。本好きにとって良書に出会えるのは幸せです。長年ほんとうに有難うございます。

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