その一の続き
Maeda Takashiなる者は極例と思う方もおろうが、先日、パスタファリアン(空飛ぶスパゲッティ・モンスター教団の信奉者)のブロガーからコメントがあり、当然その人もアンチ・キリスト傾向だった。件の人物のリンク先に「キリスト教の問題点について考える」というブログもあり、「かつて伝統的教派のキリスト教会で洗礼を受け入信し、25年間在籍しましたがやめました」と自己紹介している。このブログの記事「東京大学卒のクリスチャン」は興味深かった。こちらの管理人にもクリスチャンから反論というよりアラシが来るらしく、記事の一文を抜粋したい。
-このブログに寄せられるクリスチャンからの反論はグロテスクな皮肉や嫌がらせを上回るものは一つとしてありません。見事なほど低劣で見るに耐えないようなものばかりです…
また「東京大学卒の~」には、「自分から依頼ごとをしておいて身勝手な条件を出す、不見識もいいところ」のメールが送られてきたことも書かれていた。棄教者ということで現信徒から攻撃されていると思われるが、似た様な体験なら端から異教徒の私もある。在日ドイツ人ハウプト・ホルガー氏のHPに「マザー・テレサ、スーパー物乞い」というコラムがあり、それに着想を得て書いたのが、駄記事「マザー・テレサの実像」。
それまでの私はマザーへの称賛一辺倒の報道ばかり見ていたため、ホルガー氏のコラムは目からウロコだった。しかし、「マザー・テレサの実像」には、想像した以上の反響があったことに私自身驚いた。真っ当な意見もあったが、グロテスクな皮肉や嫌がらせはもちろん、低劣で見るに耐えないようなコメントもあった。一例を挙げたい。
何をムキになっている?(風に寄せて)
2010-01-05 01:48:10
マザーの議論の前に、何をムキになっているのかよく分からない。他人の意見にも冷静になれないようなあなたは、マザーテレサを否定することで、これを読む人たちに何を伝えたいのか。所詮、ドイツ人ジャーナリストのコピー程度の文章を書いて、じゃあ、何をあなたはされるのか。
誹謗中傷の海で溺れる哀しいあなた。
「風に寄せて」の翌日20:37の4度目のコメントに、「ここのご主人は、中国に対して謝罪し続ける覚悟でもあるのかと疑問を持ちます…」の一文があったため、私もこれをネタにし、「中国に対して謝罪し続ける覚悟」の記事を書いた。この一言だけで「風に寄せて」の正体が知れる。この者は「同志」の言葉も使っており、左派クリスチャンではないかと私は見ている。
ムキになってアラシをしてきた「風に寄せて」の類なら対応もしやすいしが、今年2月後半Nobなる自称一カトリック信者のコメントは、愕然とすると同時に信仰の行きつく先の恐ろしさを覚えた。Maeda Takashiや「風に寄せて」と異なり、一応言葉遣いは丁寧だが、己はブログを開設せず異教徒のそれに何度も長文の説教を繰り返す厚かましさには不快だった。初来日でマザーが日本を、「物は豊かでも、心が貧しい国」とこき下ろしたことへの擁護と思われるが、「キリスト教の私見」の題のNob氏のコメントで、私の関心を引いた個所を抜粋したい。
-ところでキリスト教では「心を貧しくせよ」と教えています。キリスト教世界では「心が貧しい」はほめ言葉です。私たちの心は結構豊かです。小学校以来多くの知識を身に着けてきました…こんな不確かな誰も証明できない知識を心に多く持つことは心の貧しさに反します。だからこそ戦国時代に布教されたキリスト教は滅びたのです。
本来この世の不条理と人生の無意味性に苦しむ私たちにこの世を生きる光を与えることが布教なはずで。それは無償の下心ないものでないと他人の心にはしみこまないものです。代償を求め、下心を持った善行は必ず挫折するものです。
もっとも私たち生身の人間が心を底から貧しくすることはそれは困難ですが。だからこそ無心に祈るのです。祈ることは神に願うことではなく、己の心を貧しくすることです。徹底的に貧しくなると私たちは神から浄化されます。私たちはついつい自分を主張してしまいます。あとで「しまった」と思うことが日々何度繰り返すことでしょうか。心が浄化され、ニコニコと他人の言うことを素直に聞くことができればと願いますが、残念。
その三に続く
◆関連記事:「ローマの退廃」
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“異教を否定しつつ改宗者を増やす”独善宗教を異分子として弾圧したローマ帝国は、うっかり自身がそれを呑み込み [ローマ国教化:4世紀]、“異教徒を殺しつつ強制改宗する” 有害侵略宗教を世界デビューさせる事となったのです。
政治的な植民地的侵略の尖兵となった「キリスト狂」に侵されなかった国はおそらく日本だけ。
それは「キリスト狂」の侵略者的役割を見抜いた秀吉と家康の鎖国という英断によるものだった。地理的にも恵まれていましたが。日本には伝統宗教があれば十分です。
クリスチャンのブログを見ると、未だにローマを憎んでいることが分かります。在日ドイツ人のホルガー氏もHPで書いていますが、一部引用します。
-キリスト教信者は、自分達の教会こそ最大の犯罪者なのに、ローマ時代のキリスト教殉教者の役割をこれまでずっと強調してきました。しかし、実際はキリスト教の為に死んだ人の数は極めて少数でした。
-殉教者の多くは狂信者で、ローマの神々の神殿、祭壇や彫刻等を糞尿で汚すなどの無礼な行為や冒涜を行っていました。十六世紀末期、日本人はキリスト教信者に対し、ローマ人と同じ経験をしました。九州では、キリスト教の熱狂信者が、「偶象破壊」として仏教の崇拝物や経典を壊したり、仏塔を解体して薪にし、バテレン(伴天連、キリスト教宣教師)の風呂の燃料にしました。
http://www.hpo.net/users/hhhptdai/kyoukaihanzai.htm
「未信者は呪われている」という教義はイスラムも全く同じだし、中世インドもイスラムの侵攻に散々苦しめられました。しかし、一神教徒に支配され続けたインドが民族宗教を維持したのは感心します。
この甘い蜜が異教破壊、信者の腐敗・傲慢の諸原因です。
耶蘇教は確かに日本でも寺社仏閣を破壊し、秀吉・幕府も態度を変えました。イエズス会宣教師の一人は尋問で植民地化の企てがあった事を白状しています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%82%BC%E3%83%83%E3%83%9A%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%82%A2%E3%83%A9
イスラムは侵略はしても宗教の強要はないのですが、
キリスト狂は自身に都合の良い作文を「神の言葉」として使うので非常に傲慢で腐り切っているわけです。
もし初詣で宣教集団を見掛けたら侮蔑の念を向けましょう。鎖国なしに日本国の存続はあり得なかったかもしれません。
九州など実質的に耶蘇教の植民地状態だったのですが、日本のマスコミはやたらキリシタン弾圧のことばかり強調する。貴方の紹介された転びバテレンも欧州なら確実に惨殺されている。以前、コメンターのshiretokoさんから興味深いことを教わりました。
―日本の学者の唱える「大殉教」は何万人ものキリシタン殺戮を想像させるが、1612年の禁教令発布から鎖国後の1642年までの30年間に、バテレンとキリシタンを合わせ602名が殺されたに過ぎない。東北から九州まで日本各地で処刑されたキリシタンやバテレンたち、拷問の末死んだ者、「元和の大殉教」と称される55人もすべて含めての話である…(日本の知恵 ヨーロッパの知恵 松原久子著 三笠書房より)
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/8e3f182083d11af7fd972db3384e9f8d#comment-list
>>イスラムは侵略はしても宗教の強要はない
イスラムも結構宗教の強要はしていました。もちろん耶蘇に比べれば寛容でしたが、日本でイスラムのイメージが悪いのも、知識人や文化人に耶蘇が多いことも影響しているはず。
私自身は初詣で宣教集団を見たことはありませんが、連中が神社に押しかけていたことをネットで初めて知りました。鎖国なしに日本国の存続がありえなかったことに私も同意します。
http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99
http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88
http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E6%95%99%E7%9A%87
http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E3%83%99%E3%83%8D%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%83%8816%E4%B8%96
アンサイクロペディアの紹介を有難うございました。キリスト教の解説は大いに笑えます。
-キリスト教(切捨徒教・基督教)は、アジテーションの天才であったイエス・キリストが開いた宗教。「自らの目的を果たすためなら何でも切り捨てる徒党の宗教」という意味でこう名づけられた。古くは戦争で蹂躙した相手国の国民の首をことごとく切捨御免していた事からもこの名がつけられるにふさわしいと歴史が証明している。そのため、一般的には蔑称とされる。歴史を見ればわかるように、これが現存する最も長い歴史を持ったテロ組織である…
現法王がハリー・ポッターシリーズを批判していたとか。「反キリスト教的な魔術・魔法使いを普通のものとして受け入れさせる巧妙な仕掛けに満ちている」そうで、もうアホ、マヌケの範囲を超えており笑えません。
http://cookingfoil.blog106.fc2.com/blog-date-201108-4.html
http://www.47news.jp/movie/international_national/post_2447/
クッキングホイルさんのブログからやって来た元クリスチャンです。聖書と現実のギャップに長らく苦しんだ末、今では完全にキリスト教徒は決別しています。
私は仕事の傍ら、歴史の研究(第2次世界大戦前後の宗教に起因する紛争や抗争等が主要テーマ:ファシズムをカトリック系の政治運動として捉えている)をしています。ヒトラーは「熱烈なカトリック」であると公言していて、彼はローマ法王ピウス12世と仲良しでした。ヒトラーの反ユダヤ政策はカトリックの教えを実践しただけのことで、反英・反米はやはりカトリックの教え(反フリーメーソン:ユダヤ人の謀略国家・ソ連だけでなく、ユダヤ人に操られてユダヤの世界支配戦略に与するフリーメーソン国家とも戦う「世界ユダヤ主義との闘い」はドイツの責務、とヒトラーたちは主張していた。)に由来するものです。
ヒトラーがソ連に攻め込んだとき(バルバロッサ作戦)、ピウス12世はこれを「反共十字軍」として認可し、参加した枢軸軍将兵を祝福しました。この話題をクリスチャンの前ですると大変なことになります。いつだかこのテーマで小講演を行ったところ、カトリックの学校を卒業したと称する人物が質疑応答のときに、難癖を付けてきました。どのような展開になったかは詳しく説明するまでもないものであると思いますが、まったく議論が成立しないんです。挙句の果てには、私が正しくキリスト教を理解していないからこのような根拠のない「妄想」が出てくるのだとも言われました。徹底的な反撃も考えましたが、キリスト教の人に逆らうと本当に何されるかわからないということを経験上知っていたので、「時間切れ」で逃げることにしました。(学生時代、キリスト教福音派の人たちを怒らせて宗教裁判にかけられ、その後陰湿かつ執拗な嫌がらせをされたことがあります。また、私がラス・カサスの本を読んでいるということを神父に言いつけたカトリックもいました。)キリスト教の影響下にある人と議論を戦わせることは非常に危険なことです。アメリカでは裁判に巻き込まれたり、暗殺されたりすることもあります。このような人たちと決別できて本当に良かったと思っています。
年始の宣教集団は一度鎌倉で見た気がします(鶴岡八幡宮)。
元旦からやる事かと顰蹙の目を買っておりましたね。キリスト教がローマ帝国時代の作り話と分かった今、また鎌倉で心からの侮蔑の目を向けて来ようかと思っています。
外国にはURLだけで凄いこんなサイトもあるらしく
白黒はっきり言いたがる外人さんによる忌憚なき意見が交わされているようです。
http://www.jesusneverexisted.com/
世界の穏健で健全な一年のためにはキリスト教にご退場願うのが一番です。
2~3年くらい前だったか、ТV(NHKだった?)でアルメニア正教とギリシア正教の聖職者同士が殴り合うのを見ましたが、今回は乱闘にまで発展しましたか。キリスト教の聖職者が、右の頬を打たれると左右の頬を殴り返すのは笑えます。それでもクリスチャンは、何処にも最低の聖職者や宣教師がいる、彼らはキリストの教えを忘れただけと擁護します。