所謂先進国で死刑制をとるのは、米国と我が国である。死刑についてブロガー及び寄せられるコメントでも様々な意見があり、死刑賛成派と反対派の見解は平行線のままとなっている。ネットでは前者が多数派に感じるが、心なしか最近のマスコミの風潮は後者の勢いが強いと感じられる。
何年も前、絞首刑を執行した刑務官の民放のインタビューを観たことがある。それまでは死刑制度など露疑ったこともなかったが、刑務官がいかに大変な職業なのか、初めて知った。処刑の前、死刑囚には饅頭が与えられるそうだ。その後の態度は囚人により異なり、観念して死刑に臨む者、野獣のような唸り声を上げ、必死に抵抗する者もいたという。後者なら執行官もかなり苦労を感じるだろうが、静かに処刑場に向かう者を誘導する仕事も苦悩は計り知れない。たとえ引かれ者の小唄的な強がりがあるにせよ、死に行く者を見送るだけでその心労は察するに余りある。「首斬り浅右衛門」でも触れたが、現代と価値観の違う時代でも「頭がボーッとのぼせて、大変な疲れを覚えます」との告白は意味深い。
サウジアラビア初代国王イブン・サウードに関する面白いエピソードがある。ある時、王の許に自分の夫を殺した男を死刑にしてほしいと直訴した女がいた。聞けばその男はナツメヤシの実を取っていた際、誤って木から落ち、下にいた彼女の夫を死なせたと言う。王は賠償金で解決しようとしたが、女は加害者への死刑を主張し譲らなかった。そこでサウド王はこう宣告する。
-お前の主張を認める。お前の夫を殺した男を、夫が座っていた所に縛って座らせて置くから、お前が木から落ちて殺すがいい。聖なる法はそのように命じているのだから。しかし、それが嫌なら、ディーヤ(血の代金)を選びなさい。
サウド王に直訴した女はディーヤを選んだという。これは過失だが、通り魔のような明確な意思を持つ殺人なら、遺族はどう対応したのだろう。イスラム圏のサウジなら、シャリーア(イスラム聖法)に基づく判決も望めるが、現代日本では論外だ。少なくとも日本の死刑制は犯罪被害者のためではなく、国家の治安維持のためにあるのだから、加害者、被害者の事情は考慮の外なのだ。
日本では多数の死刑支持派の主な理由は、死刑制廃止により犯罪が増加することへの恐怖や懸念があるはずだ。ただ、死刑制度の存在が犯罪抑止効果となるのか、支持派と廃止派の意見はかなり隔たっている。
意外に知られていないが、日本は平安時代、ほぼ350年間に亘り事実上死刑停止をしており、この歴史を紹介したサイトもある。停止の背景に怨霊への恐怖や仏教思想が挙げられるが、他の仏教国でこれだけ長く死刑停止をしていた国はない。死刑廃止で日本は世界に先駆けていたのだ。だが、治安の悪化した平安末期、治安維持を実行した武士の台頭により死刑復活、現代に至る。死刑廃止の実験は大失敗だったとなる。
作家・辺見庸氏は河北新報に毎月「水の透視画法」というコラムを寄稿しているが、4月22日に死刑反対の意見を述べていたので、一部抜粋したい。
-犬や猫の殺処分に怒り涙を流す者たちが、人間の絞首刑に泣きもしないのはどうしてなのか…この国には所謂Societyという意味での社会はあるのだろうか。社会という概念は本来、「個の尊厳」を前提するものではなかったか。それは殺人を犯した者の国家による“抹殺”を全く意味しない…欧州連合(EU)がとうに死刑制度を廃止し、国連総会も死刑執行の停止を求める決議を採択したのに、日本が応じようともしないのは、もっぱら世間の意を体し、その情緒を煽るマスコミ、特にTV・メディアにも一因があるのではないか…
死刑廃止派の意見は大抵このようなものであり、その根拠は「世界の潮流」「国家が個人の命を奪うのは蛮行」というもの。世界の潮流といえ、旗振り役は欧州と人権団体、イスラム圏では死刑廃止は潮流となっていない。3月末、河北新報はイラン、パキスタン、ブータンの選挙に触れ、「“西側標準”が絶対ではない」と題した社説を書いていた。もちろん正論だが、死刑廃止には世界の潮流と“西側標準”を絶対の根拠とする。
いかに極悪人でも人間の命を絶つのは残酷であり、野蛮だろう。死刑執行官の心労は想像を絶する。しかし、死刑廃止となれば凶悪犯をどう扱うのか、廃止派は具体案を示すことに熱意がない。恩赦なしの終身刑若しくは懲役半世紀も考えられるが、罰則強化の方向を示せば人権主義者は早々厳罰主義反対の金切り声を上げるのだ。
唯々諾々“世界の潮流”に従い死刑廃止、そのくせ凶悪犯への罰則強化は見送り、治安は一向に良くならない社会こそずっと野蛮ではないか。死刑制度をとうに廃止しているEUにも復活を望む声が絶えぬし、治安の良さではそれが未だにある日本やイスラム圏に劣るという事実を無視すべきではない。
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何年も前、絞首刑を執行した刑務官の民放のインタビューを観たことがある。それまでは死刑制度など露疑ったこともなかったが、刑務官がいかに大変な職業なのか、初めて知った。処刑の前、死刑囚には饅頭が与えられるそうだ。その後の態度は囚人により異なり、観念して死刑に臨む者、野獣のような唸り声を上げ、必死に抵抗する者もいたという。後者なら執行官もかなり苦労を感じるだろうが、静かに処刑場に向かう者を誘導する仕事も苦悩は計り知れない。たとえ引かれ者の小唄的な強がりがあるにせよ、死に行く者を見送るだけでその心労は察するに余りある。「首斬り浅右衛門」でも触れたが、現代と価値観の違う時代でも「頭がボーッとのぼせて、大変な疲れを覚えます」との告白は意味深い。
サウジアラビア初代国王イブン・サウードに関する面白いエピソードがある。ある時、王の許に自分の夫を殺した男を死刑にしてほしいと直訴した女がいた。聞けばその男はナツメヤシの実を取っていた際、誤って木から落ち、下にいた彼女の夫を死なせたと言う。王は賠償金で解決しようとしたが、女は加害者への死刑を主張し譲らなかった。そこでサウド王はこう宣告する。
-お前の主張を認める。お前の夫を殺した男を、夫が座っていた所に縛って座らせて置くから、お前が木から落ちて殺すがいい。聖なる法はそのように命じているのだから。しかし、それが嫌なら、ディーヤ(血の代金)を選びなさい。
サウド王に直訴した女はディーヤを選んだという。これは過失だが、通り魔のような明確な意思を持つ殺人なら、遺族はどう対応したのだろう。イスラム圏のサウジなら、シャリーア(イスラム聖法)に基づく判決も望めるが、現代日本では論外だ。少なくとも日本の死刑制は犯罪被害者のためではなく、国家の治安維持のためにあるのだから、加害者、被害者の事情は考慮の外なのだ。
日本では多数の死刑支持派の主な理由は、死刑制廃止により犯罪が増加することへの恐怖や懸念があるはずだ。ただ、死刑制度の存在が犯罪抑止効果となるのか、支持派と廃止派の意見はかなり隔たっている。
意外に知られていないが、日本は平安時代、ほぼ350年間に亘り事実上死刑停止をしており、この歴史を紹介したサイトもある。停止の背景に怨霊への恐怖や仏教思想が挙げられるが、他の仏教国でこれだけ長く死刑停止をしていた国はない。死刑廃止で日本は世界に先駆けていたのだ。だが、治安の悪化した平安末期、治安維持を実行した武士の台頭により死刑復活、現代に至る。死刑廃止の実験は大失敗だったとなる。
作家・辺見庸氏は河北新報に毎月「水の透視画法」というコラムを寄稿しているが、4月22日に死刑反対の意見を述べていたので、一部抜粋したい。
-犬や猫の殺処分に怒り涙を流す者たちが、人間の絞首刑に泣きもしないのはどうしてなのか…この国には所謂Societyという意味での社会はあるのだろうか。社会という概念は本来、「個の尊厳」を前提するものではなかったか。それは殺人を犯した者の国家による“抹殺”を全く意味しない…欧州連合(EU)がとうに死刑制度を廃止し、国連総会も死刑執行の停止を求める決議を採択したのに、日本が応じようともしないのは、もっぱら世間の意を体し、その情緒を煽るマスコミ、特にTV・メディアにも一因があるのではないか…
死刑廃止派の意見は大抵このようなものであり、その根拠は「世界の潮流」「国家が個人の命を奪うのは蛮行」というもの。世界の潮流といえ、旗振り役は欧州と人権団体、イスラム圏では死刑廃止は潮流となっていない。3月末、河北新報はイラン、パキスタン、ブータンの選挙に触れ、「“西側標準”が絶対ではない」と題した社説を書いていた。もちろん正論だが、死刑廃止には世界の潮流と“西側標準”を絶対の根拠とする。
いかに極悪人でも人間の命を絶つのは残酷であり、野蛮だろう。死刑執行官の心労は想像を絶する。しかし、死刑廃止となれば凶悪犯をどう扱うのか、廃止派は具体案を示すことに熱意がない。恩赦なしの終身刑若しくは懲役半世紀も考えられるが、罰則強化の方向を示せば人権主義者は早々厳罰主義反対の金切り声を上げるのだ。
唯々諾々“世界の潮流”に従い死刑廃止、そのくせ凶悪犯への罰則強化は見送り、治安は一向に良くならない社会こそずっと野蛮ではないか。死刑制度をとうに廃止しているEUにも復活を望む声が絶えぬし、治安の良さではそれが未だにある日本やイスラム圏に劣るという事実を無視すべきではない。
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興味深いサイトのご紹介、有難うございました!
私も紹介されるまで、鳩山法相の実家や事務所が中核派に爆破されていたとは知りませんでした。これを報じないマスコミも腐りきっていますね。極左集団はマスコミにも食い込んでおり、報復が恐ろしくて報道出来ないのかも。
「法務大臣が死刑執行をしないのは、死刑囚の祟りにより次の選挙で落選するからだ」とは職場で聞いたジョークですが、実は暴力集団の報復に原因がありそうですね。イタリアがヨーロッパ議会で、続いて国連で死刑廃止運動の推進者だった背景も、マフィアの影響があったのかもしれません。「赤い旅団」が有名ですが、この国の極左勢力も悪名高い。
社会的影響力のある大臣さえ躊躇うのならば、裁判員制度は一般庶民には危うい面があると感じました。もしかすると、国民への体のよい負担転化のために、この制度が設けられたのでしょうか
ジャーナリストの方が書かれた死刑に関する記事です。
http://diamond.jp/series/uesugi/10033/?page=2
>>じつは、確定囚が100人を超えたといっても、実際に執行可能な死刑囚は限られている。
極左暴力集団や組織犯罪の関係者ですと、法務省の関係者に報復の恐れがあるので執行しにくい、との事だそうです。鳩山法相の実家が中核派に爆破されていたとは知りませんでした。よその国なら非合法化されているであろう中核派は実に寛大な環境で反政府活動をやって騒いでいるのだから情けない。
また、死刑執行で重要な証人を失う恐れがあったりする例(麻原のような場合)や、古い事件の場合証拠が怪しく、冤罪の可能性があるのでできないとか。
なるほど鳩山法相が慎重に死刑執行を考慮した、と言う発言が出てくるわけですね。
しかし報復の可能性を考えると裁判員制度は大丈夫なんでしょうか???
物が落ちた程度の被害で、幸いでしたね。住まいさえ無事なら、地震も何とか乗り切れます。
私も陪審員制度について浅学であり、それに関する報道を熱心に見ているのではありません。
ただ、これまで目にした新聞記事やTVから受けた印象では、いかに大変であるか、その点を強調する印象の方が強かったです。家族や友人も同じようなことを言っており、私個人の感想ばかりではないと思います。
貴方の仰るように、これまで刑事事件の判決はプロに一切判断をお任せしていたのですが、自分も関与する可能性があるのが陪審員制度です。一般国民が望んだはずではないのに、何故この制度が導入されるようになったのか、これも不可解です。何故陪審員制度を日本でも始めることになったのか、その意図は何でしょうね?アメリカがやっているから?
新たな制度が始まるといえ、実感が薄いというか、陪審員になった自分のイメージも浮かびませんね。おそらく心のどこかで、凶悪事件の陪審員になることはまずないだろうと、イージーな楽観があるのだと思います。
>マスコミの陪審員制度に関する報道って、ネガティブな面を強調し過ぎる傾向があると思われませんか?
すいません、あまりTV見ないので
どんなネガキャンか知らないですw
新聞の記事はポジティブなのが多いような?
>冤罪は確かに問題です。ただ、所謂プロの裁判官も誤った判決を下すし、人間だからミスはある。
そうそう、いままでだってあったろうし
今後も無くならないでしょう。
で、今までは自分以外の人間がそれをしていたのが
まさに「自分」が無実の人間を殺す判断をする可能性に
置かれるのが陪審員制度なんですよ。
いままで「死刑廃止すべし」と
一度も思ったことがない私ですが、
現場に当事者として死刑を判断するのが
厳しいと今は感じているので
「むむむ...」とね、
ならざるを得ないというか
「疑わしきは罰せず」になりそうでね。
まあ、司法関係の方々御苦労様wと
他人事が楽ではありますが、制度は始まりますね。
奥様のご実家は築館でしたか!もし、被災に遭われたのなら、一日も早い回復を願うばかりです。
陪審員制度には、様々な意見がありますね。未経験ゆえの不安もかなりあるのでしょう。
ただ、マスコミの陪審員制度に関する報道って、ネガティブな面を強調し過ぎる傾向があると思われませんか?
TV特集では、大変さ不便さばかりが取り上げられるように感じています。そして、一般人が判決を下すのは好ましくないと言わんばかりの流れに誘導するような。河北新報の「声の交差点」にも、「素人が判決を下すのは如何なものか」との投稿がありました。
冤罪は確かに問題です。ただ、所謂プロの裁判官も誤った判決を下すし、人間だからミスはある。「裁判の重みを感じてほしい」とは、マスコミの裁判制度に対する発言ですが、無責任報道を垂れ流すマスコミ風情の説教には苦笑させられます。
国民も司法制度に不満なら関る他ないでしょうし、それが嫌ならこれまでどおり専門家に任せる以外ないでしょうね。
>こんばんは、スポンジ頭さん。
阪神と違い人口過疎地帯といえ、今回の地震被害が予想以上に大きかったのは驚くばかりです。
地震の恐ろしいのは、後になるほど震災が拡大することであり、自然災害には成す術もありません。
大岡忠相の時代なら日本に限らず冤罪はさぞ多かったと思われますが、疑わしきにどう対応するのか、難しい問題がありますね。
犯罪被害者が増加するなら、死刑も止むを得ないと思います。犯罪抑止に即効の対策法がないのが、頭の痛いところです。
誰が死刑執行対象となるのか、その基準がよく分りません。先にエントリーにした連合赤軍の山岳ベースリンチ事件の永田など、未だに処刑されてませんね。
瞬間的に掛かった力が阪神大震災を超える地震だったようですが、mugiさんのところは被害がないようでなによりです。救助作業に当たられている方々や避難されている方々が一日も早く日常の生活に戻られるよう願ってます。いきなり平穏な生活が崩れるのはやりきれません。
ちなみに死刑に関してはルイージさんがおっしゃっているように冤罪の可能性があるので(名奉行の大岡忠相も3分の1は冤罪だったと言ってます)、その点釈放なしの終身刑で対応するべきかとも思ったのですが、却って犯罪被害者が増加したと言う例もあるとかで、被害者数を考えると必要だと思いました。
ところで本日は宮崎勤の死刑が執行されたんですね。事件発生から20年とは長い…。
最近死刑について考えるのは
自分が陪審員になった時、死刑を求刑できるか?
です。
裁判って当然ドラマのように犯行当時の映像が
流れる訳では無いですよね?
物証や状況証拠、証言等を多角的に判断して
求刑する訳じゃないですか?
もしもですよ?もしも、冤罪だったら......
これはすごくきついです。
無期懲役ならばお金や謝罪で
許される(ない)かもしれませんが
死んでしまえばクチナシですからね。
なので最近は「死刑は必要か?」
の問いに答えられないです。
ご心配、有難うございました。被災者の方々が一刻も早く元の生活に戻れるよう、願っています。
「なぶ」るの訓読みで知られる「嬲」に、音読みもあるとは知りませんでした。さすが「嬲」の歴史豊富な大陸国家に相応しい字です。
性犯罪は軽いと言われますが、たとえ「強姦致死傷罪」でも「死刑」対象外なのですね。そもそも“致死傷罪”とは殺人と認めたくない処置に感じられます。これは男性によるよしみで性犯罪をこう処理するのかとも勘ぐりたくなりますが、少年犯罪でも傷害致死罪が適用されますね。集団で2時間もボコボコにして、殺人罪ではなく“傷害致死”が、今の日本の現状。
貴方の集団強姦犯への死刑シュミレーション、面白く読ませていただきました。
死刑廃止論者に福島瑞穂のような女弁護士もおり、日頃女性の人権を声高に言う割に、性犯罪加害者に対しては及び腰の姿勢となるのは、やはり弁護士稼業ゆえ?性犯罪被害女性より強姦犯の人権の方がよほど大事なのでしょうね。彼女は少年凶悪犯にも甘かったし、女性の人権など体のよい口実なのです。
数年ほど前、仙台で幼い少女中心に暴行を繰り返した20代の男に、無期懲役の判決が下されました。
この事件の報道を見た私の叔父は「切れ!切ればいいんだよ」と言ったので、周囲は笑いました。しかし娘2人いる父親からすれば、当然の心境です。実際にナニを去勢するのは、現代は人道上まず認められませんが、これは実に効果があると思われませんか?多分アメリカだったと思うのですが、刃物で切断するのではなく、薬物投与で性欲を減退させ、萎えさせる方法が他国にあるとTVで知りました。出所後は常に発信機を付けさせ、居場所が分るようにする…これって文明の利器を活かしたいい処罰だと感じましたよ。
刃物でなく薬で、元凶をダメにする「宦官の刑」を、私は日本でも取り入れてほしいと思います。
で、本論、長いです(言わなくても長い私がことさら「長い」と言っているので、とにかく長いですが、読み応えのあるようにガンバリますのでよろしくお願いします)。
「嬲」には「なぶ」るの訓読みが一般的でしょう。調べてみると音読みもある、ということは、峠とはちがい、あの大陸にももともとあった字ということになります。それはともかく、「嬲」の字から想定されるものは何か。まあ、私がカキコしていることからも想像されるとおり、男多数による女一人又は少数に対する強姦、すなわち輪姦であります。
性犯罪、就中強姦罪は親告罪であり、被害者側の告発なくしては立件できないというのが大前提ですが、輪姦に関する限りは被害者の告発なくして立件できるようです。法的には「集団強姦罪」(4年以上の有期懲役)および「集団強姦致死傷罪」(無期または6年以上の懲役)の規定が現在は整備されているようですが、これらの最高刑には「死刑」があってしかるべきと考えます。
これを持ち出すことで、死刑廃止論者の出鼻は完全にくじかれることになるでしょう。四の五の言ったら「被害女性の人権はどうなる!」で終わりです。強姦罪については、極めて再犯率が高いため、現在の矯正施設では更生困難である以上、強姦の中でも悪質性の高い輪姦-集団強姦については、死刑があってしかるべきです。
悪質性の高い強姦に死刑を導入すべきという思想は、少子化対策に反しません。当たり前のことですが確認すると、男が1年に300人の女とエッチした場合、最大300人全員妊娠する可能性がありますが、女が1年に300人の男とエッチしても、原則そのうちの1人の子供を妊娠する(それが双子だったり三つ子だったりする例はあるものの)だけだからです。現在の日本における強姦件数は年間2000件程度で、このうち集団強姦の占める割合は半分もいかないでしょう。特に集団強姦犯の死刑によって、被害者女性の悪夢のような経験から解放のきっかけが得られれば(何しろ犯人はもう三途の川の向こうなのだから)、多少なりとも男「性」不信が緩和され、セックスに対して積極的になれるかもしれない→妊娠、出産の可能性が少しでも高まるかもしれないのですから。
お気遣いを有難うございました。あれだけの大地震だったので、やはり新潟でも揺れたのですね。
幸い私の住む仙台市青葉区の被害はあまりなかったのですが、ニュースを見て県北に甚大な被害が出たのを知りました。隣国だけでなく国内の迅速な復旧対策を願いたいものです。
幼いお子様が2人もおられるのなら、家庭が第一ですよね。まずは子育てに専念され、落ち着いた時、ネットで和まれて下さい。
私も「死刑賛成派」です。外国と連帯する賛成派の正体は、人権の衣をまとった反日組織が殆どだと思っています。
今朝(日付は変わりましたが)の地震、ご無事とのこと安心しました。新潟でも揺れを感じ、はっとしましたが何事もなく、すぐに速報を観て規模の大きさにびっくりしました。一日も早い復旧をお祈りするばかりです。
私事ですが、しばらくご訪問させて頂けないかもしれません。また、落ち着きましたら読ませて頂きます。
ちなみに私は「死刑賛成派」です。
私も無差別殺人のような凶悪犯は、死刑が相応しいと思います。
死刑がダメなら、懲役300年のような終身禁固にするならともかく、廃止派はそれさえ口にしない。昔、職場の上司が犯罪には起こる前の対策も必要だと言っていましたが、ならば防犯カメラを町に取り付ける監視社会はケシカランと反対するのがマスコミ。
↑にも挙げましたが、人権派文化人のドキュソは半端じゃないですね。「個の尊厳」の前提に被害者や遺族のそれは対象外のようで。
絞首刑される凶悪犯より、犬猫の方がマシと思う人が大半なのに、「個の尊厳」とは安っぽい偽善の極みですね。
今朝方の地震には驚かさせました。30年前の宮城県沖地震の再来かとヒヤリとさせられましたね。
幸い我が家ではこけしが倒れた程度で、その他は無事でしたし、土曜日で安心しました。
日本全国、地震は何処でも起きるので、やはり防災対策は必要なのでしょう。
本日の朝、東北地方で大きな地震がありましたが、mugiさんは大丈夫でしたでしょうか?
(お亡くなりになられた方も、いらっしゃるようですね)
本当に、地震は恐ろしいものですね。
私は死刑賛成派ですが、殺人等の凶悪事件を犯した罪を償うのに、死刑に代わるものがない以上、仕方がないと思っています。
(無期懲役刑でも、生きていれば、数年で必ず出られますから)
私は、行過ぎた情状酌量も、どうかと思っております。罪を犯した以上、罪を償うのは当然で、罪を犯した人間の事情や心情、更生よりも、まず、その罪を贖う事が必要だと思います。
(罪を犯した人間が、言訳等で、贖罪の機会が失われる事の方が、社会的にマイナスだと思っております)
ま、私のようなドキュソは、弁護士会だけでなく、裁判官の世界にも、少なくないようで、、、。