2008.12.30は毎年恒例の餅搗きでした...........................................
毎年恒例といっても今年は日付が違ったんですよね。
例年は12.29に行っています。
昨年は書きませんでしたが、行って写真も撮っていたようです。
写真のDataはMacintoshの中にありましたので間違いありませんし、写真を見ると昨日のことの様に思い出せます。
今日は搗いたり練ったりした数は15臼ぐらいですかね。
2時45分ぐらいから参加して7時ぐらいまで手伝いました。
一般家庭の餅搗きとおいらが関わっている餅搗きとは根本的に搗く数が違います。
多分ですが、少なくとも30臼ぐらいは毎年ついているでしょう。
ということで今回も練りに練ったり15臼という感じです。
餅搗きというのは「搗く」というImageが強いですよね。
でも重要なのは搗く前に行う練る作業なんですよ。
この前処理を丁寧に行うかどうかで餅の質そのものが決まってきます。
んでおいらは納得できないと他の人の作業でも見たくないんですよね。
ということで昨年からこの練る作業だけはおいらが納得いくまで行う様になっているようです。
昨年は筋トレしていなかったので直ぐに息が切れていましたが、今年はここ最近は行っていないとは言え1ヶ月前までは毎日の様に行っていた筋トレの効果は明白で疲れや息切れはほとんどしませんでした。
おいらはChristianですので「鏡餅」とは縁が無い生活を送りたいと願っています。
しかしこの家庭では鏡餅を作るんですよね。
可能であればおいらやおいらの家族が関わった餅搗きではなく他の人が搗いた餅を鏡餅にしていただきたいんですけどね。
この家庭では鏡もちを搗くのは終わり前なんですよ。
つまりおいらが餅搗きに関わっている時に作られる訳です。
どのTimingかは向こうのさじ加減ですので何も言えませんし、向こうが勝手に決めることです。
でもその餅を搗くのは嫌なモノですね。
おいらは平然と物事を行う様にしていますがね。
正直関わりたくありません。
鏡餅というのは神に捧げる種類のモノですからね。
他の宗教を肯定することに繋がりかねない事態な訳です。
よっておいらはおいら自身の神に捧げる仕事を行い続ける態度を切らさない様に物事を行いましたな。
まあ、基本的にほとんどの活動は神の名に恥じない行動を取る様に努力していますし、神に栄光を帰すことが出来れば幸いだと考えながら生活する様にはしていますけどね。
餅搗きの話は別にどうでも良いんですよ。
おいらの中に渦巻く闇や心情や心理に関して書くSeriesなのですから書いていこうと思います。
一年と一括りにしても感じ方が違いますね。
人というのは一つ一つのEventによっても一年の感じ方が異なります。
Eventという点でも今年はいろいろと有りまして変化の多い年になりました。
この点で良かったのはかなり自分自身の活動の価値をある程度は認識できる様になってきたという点でしょうかね。
今の心理状態で思い返すと過去のことは結構な価値を持つモノが多いことに気が付いているところです。
というより不当な扱いを受けていたのだと良く解りますね。
自分の評価というのは10段階評価で5ぐらいだと認識し、更にそこからMinus2するのがおいらの中では適正だと言えると考えています。
他人からの評価というのは特にこの法則は適応すべきだと思いますね。
多くの人は自分自身のことを高く評価しがちなんですよ。
低すぎてもいけませんし、高すぎてもいけません。
ということで10段階評価で中ほどに位置する5とし、更に他人の評価となるとそこから更にMinus2をするのが適正であるとしたのです。
これは一般的な人に対しての自己評価基準です。
Identityを構築できていない場合はそもそもがこの10段階評価ではMinus100ぐらいつきますからね。
多少なりとも貢献できているということを感じることが出来たのであれば、そして感謝の言葉を貰えたならば自分自身の評価を適正に得るべきです。
まず基本的ですが、難しい点で評価基準を「±0」から始めなければなりません。
これは強制的に行うべきです。
自分を低く見過ぎてはなりません。
自分で-を付けるというのは本当に簡単です。
特に日本の場合は減点法が常識で加算されるべき部分があっても無視され軽視されますよね。
そしてそのような非常に不公平な採点基準で付けられた点数で全ての価値が決まる様になっているのです。
よってこの「±0」からのStartというのはそれだけで非常に大きな挑戦となるかもしれません。
加えて認識しなければならない点としてIdentityを構築できない際にはこのことを思いに留めておいていただきたいですね。
10段階評価で5以下というのは非常に評価が低いと言うことです。
自分の価値を全て否定するのではなく他の人から得られた評価を「強制的に」+1とし、自分の中での評価を「強制的に」+1とするべきです。
これは少なくとも自分が起こしたActionに対する結果によって自然発生的に起こる種類のモノだと考えていただいても構いません。
人から心からの感謝の言葉を貰うと言うことは感謝の言葉を発した人が自分自身のActionに対して高く評価しているという点も忘れてはならないでしょうね。
人が感謝の言葉を発するというのはよっぽどでなければありません。
なぜならば世間の風潮として褒めたり、感謝したりすると言うことは自分よりも上かもしくは同等だという認識があるからです。
Prideが高い人や口だけのお世辞を言う人は感謝の言葉を心から発することはまずありません。
物事を適正に評価できる人間というのはおいらの人生でも片手で数えるぐらいしか居ませんから非常に少ないのが現状でしょう。
また平均的な人でも感謝を表す習慣というのが無い場合が少なくありません。
よって感謝を表されるということだけで強制的に自己評価を+1するというのは妥当なことだと言えるでしょう。
そして行動によって良い結果が得られたならばその結果を自分の中で適正に消化してやらねばならないことも加え”ねば”なりません。
これも強制評価として取り入れなければならないのです。
自分が関わらなくても物事は進んだと考え、評価しないという習慣を断ち切らなければならないということですな。
自分が払った労力には自分の多くの要因を含んだ「資産」を用いているのですから「評価しない」ということや「-」という評価は適正ではないのです。
断っておきたいこととしてこれは「自意識過剰」ではありません。
「適正な評価」の一環なのです。
ということで少なくとも良い成果を得られた場合に最低Lineである「評価2」という結果を納得させねばならないんですな。
これをするまでにおいらは結構掛かりました。
「評価2」というのは自尊心のない人間やIdentityの無い人間にとっては「高すぎる」評価ですが、安心できるのはこの評価が相当低い部類にはいるということでしょうかね。
そもそも殆どの人が自分の評価を10段階中で「10」や下手したら200ぐらいいっている人が居るのですからね。
後は仕事が出来るようになりたいですね。
今行っている仕事は両親の活動のSupportですので両親におんぶに抱っこして貰っている状態なんですよ。
よって次の目標は両親に頼らなくても働ける仕事を行うことでしょうかね~。
自己評価を適正に行って生きていきたいモノです。
毎年恒例といっても今年は日付が違ったんですよね。
例年は12.29に行っています。
昨年は書きませんでしたが、行って写真も撮っていたようです。
写真のDataはMacintoshの中にありましたので間違いありませんし、写真を見ると昨日のことの様に思い出せます。
今日は搗いたり練ったりした数は15臼ぐらいですかね。
2時45分ぐらいから参加して7時ぐらいまで手伝いました。
一般家庭の餅搗きとおいらが関わっている餅搗きとは根本的に搗く数が違います。
多分ですが、少なくとも30臼ぐらいは毎年ついているでしょう。
ということで今回も練りに練ったり15臼という感じです。
餅搗きというのは「搗く」というImageが強いですよね。
でも重要なのは搗く前に行う練る作業なんですよ。
この前処理を丁寧に行うかどうかで餅の質そのものが決まってきます。
んでおいらは納得できないと他の人の作業でも見たくないんですよね。
ということで昨年からこの練る作業だけはおいらが納得いくまで行う様になっているようです。
昨年は筋トレしていなかったので直ぐに息が切れていましたが、今年はここ最近は行っていないとは言え1ヶ月前までは毎日の様に行っていた筋トレの効果は明白で疲れや息切れはほとんどしませんでした。
おいらはChristianですので「鏡餅」とは縁が無い生活を送りたいと願っています。
しかしこの家庭では鏡餅を作るんですよね。
可能であればおいらやおいらの家族が関わった餅搗きではなく他の人が搗いた餅を鏡餅にしていただきたいんですけどね。
この家庭では鏡もちを搗くのは終わり前なんですよ。
つまりおいらが餅搗きに関わっている時に作られる訳です。
どのTimingかは向こうのさじ加減ですので何も言えませんし、向こうが勝手に決めることです。
でもその餅を搗くのは嫌なモノですね。
おいらは平然と物事を行う様にしていますがね。
正直関わりたくありません。
鏡餅というのは神に捧げる種類のモノですからね。
他の宗教を肯定することに繋がりかねない事態な訳です。
よっておいらはおいら自身の神に捧げる仕事を行い続ける態度を切らさない様に物事を行いましたな。
まあ、基本的にほとんどの活動は神の名に恥じない行動を取る様に努力していますし、神に栄光を帰すことが出来れば幸いだと考えながら生活する様にはしていますけどね。
餅搗きの話は別にどうでも良いんですよ。
おいらの中に渦巻く闇や心情や心理に関して書くSeriesなのですから書いていこうと思います。
一年と一括りにしても感じ方が違いますね。
人というのは一つ一つのEventによっても一年の感じ方が異なります。
Eventという点でも今年はいろいろと有りまして変化の多い年になりました。
この点で良かったのはかなり自分自身の活動の価値をある程度は認識できる様になってきたという点でしょうかね。
今の心理状態で思い返すと過去のことは結構な価値を持つモノが多いことに気が付いているところです。
というより不当な扱いを受けていたのだと良く解りますね。
自分の評価というのは10段階評価で5ぐらいだと認識し、更にそこからMinus2するのがおいらの中では適正だと言えると考えています。
他人からの評価というのは特にこの法則は適応すべきだと思いますね。
多くの人は自分自身のことを高く評価しがちなんですよ。
低すぎてもいけませんし、高すぎてもいけません。
ということで10段階評価で中ほどに位置する5とし、更に他人の評価となるとそこから更にMinus2をするのが適正であるとしたのです。
これは一般的な人に対しての自己評価基準です。
Identityを構築できていない場合はそもそもがこの10段階評価ではMinus100ぐらいつきますからね。
多少なりとも貢献できているということを感じることが出来たのであれば、そして感謝の言葉を貰えたならば自分自身の評価を適正に得るべきです。
まず基本的ですが、難しい点で評価基準を「±0」から始めなければなりません。
これは強制的に行うべきです。
自分を低く見過ぎてはなりません。
自分で-を付けるというのは本当に簡単です。
特に日本の場合は減点法が常識で加算されるべき部分があっても無視され軽視されますよね。
そしてそのような非常に不公平な採点基準で付けられた点数で全ての価値が決まる様になっているのです。
よってこの「±0」からのStartというのはそれだけで非常に大きな挑戦となるかもしれません。
加えて認識しなければならない点としてIdentityを構築できない際にはこのことを思いに留めておいていただきたいですね。
10段階評価で5以下というのは非常に評価が低いと言うことです。
自分の価値を全て否定するのではなく他の人から得られた評価を「強制的に」+1とし、自分の中での評価を「強制的に」+1とするべきです。
これは少なくとも自分が起こしたActionに対する結果によって自然発生的に起こる種類のモノだと考えていただいても構いません。
人から心からの感謝の言葉を貰うと言うことは感謝の言葉を発した人が自分自身のActionに対して高く評価しているという点も忘れてはならないでしょうね。
人が感謝の言葉を発するというのはよっぽどでなければありません。
なぜならば世間の風潮として褒めたり、感謝したりすると言うことは自分よりも上かもしくは同等だという認識があるからです。
Prideが高い人や口だけのお世辞を言う人は感謝の言葉を心から発することはまずありません。
物事を適正に評価できる人間というのはおいらの人生でも片手で数えるぐらいしか居ませんから非常に少ないのが現状でしょう。
また平均的な人でも感謝を表す習慣というのが無い場合が少なくありません。
よって感謝を表されるということだけで強制的に自己評価を+1するというのは妥当なことだと言えるでしょう。
そして行動によって良い結果が得られたならばその結果を自分の中で適正に消化してやらねばならないことも加え”ねば”なりません。
これも強制評価として取り入れなければならないのです。
自分が関わらなくても物事は進んだと考え、評価しないという習慣を断ち切らなければならないということですな。
自分が払った労力には自分の多くの要因を含んだ「資産」を用いているのですから「評価しない」ということや「-」という評価は適正ではないのです。
断っておきたいこととしてこれは「自意識過剰」ではありません。
「適正な評価」の一環なのです。
ということで少なくとも良い成果を得られた場合に最低Lineである「評価2」という結果を納得させねばならないんですな。
これをするまでにおいらは結構掛かりました。
「評価2」というのは自尊心のない人間やIdentityの無い人間にとっては「高すぎる」評価ですが、安心できるのはこの評価が相当低い部類にはいるということでしょうかね。
そもそも殆どの人が自分の評価を10段階中で「10」や下手したら200ぐらいいっている人が居るのですからね。
後は仕事が出来るようになりたいですね。
今行っている仕事は両親の活動のSupportですので両親におんぶに抱っこして貰っている状態なんですよ。
よって次の目標は両親に頼らなくても働ける仕事を行うことでしょうかね~。
自己評価を適正に行って生きていきたいモノです。