扇風機の羽の真ん中をおさえるひねくれ者の日記

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JW1.5世の自分が生きてるのを不思議に思う、ひねくれ者の日記です。

Music with Sweetheart No.30 2008.12.29

2008-12-29 23:55:55 | Music iPod&iTunes&Audio
Matsuyamaに通院の為に行ってきました..........................................

2008.12.29はDTMについて知りたくて島村楽器エミフル松前店で聴きたいことがあったのですが、同行人数が多くて何も出来ませんでした。
非常に残念でなりませんな。
2008.12.29に同行したMemberは同じ車両では3人、別行動隊が4人でMatsuyamaに行ってきた訳です。

5分程度寄ることが出来ました。
というより5分で出来ることと言えばなんでしょうかね。
3分ならばカップラーメンが出来るという素晴らしいTimeですが、実際に人が行動する際に5分というのは実質的に何も出来ないTimeです。
Quantum Leap Pianoが無いか少し調べたのですがね。
同行人が未成年な為に見守る必要があったんですな。
そしてこの同行人は非常にGame好きです。
ところがGameにも幾つか種類があるのをご存じでしょうか?
まず単純に家庭で行うGame、そしてGame CenterでするGameです。
おいらはGame CenterでGameをすること自体がお金をドブに捨てる行為だと考えています。
それはぬいぐるみなどの対価を得てでもそう考えています。
ぬいぐるみには価値があるかもしれませんがね。
原価を考えるならば相当廉価な作りの悪いモノだということは明白です。
百発百中ならばまだしも完璧に物事を行える人間というのは居ませんからね。
1つのぬいるぐみに投資する金額が500円とかになると愚かだと思うんですよね。
「一円を笑う者は一円に泣く」のです。
「一円を侮るモノは一円に苦しむ」んですよ。
人形というのは確かに価値があるモノはあります。
芸術性の高い完成度の高いモノはお金を払ってでも欲しいと思います。
でも賭け事の様に取れる可能性を試すようなお金の使い方をおいらは望みません。
これはCrane Gameに関してです。
ではただMonitorに合わせてKeyなりControl Bar、Touch Monitorを操るという種類の何も得られないGameに関してはどうでしょうか?
確かに一般教養や常識、勉強になる種類のモノはあります。
今回同行した子がこの種のGameのRepeaterなんですな。
しかし

「これってGame Centerでお金を払ってまでする価値のあるGameなの?」

という疑問があってこれに対するおいらのAnswerは決まって「No」でした。
確かに物事の勉強をCharacterを通して学ぶ価値はある程度はあるのかもしれませんな。
でも学ぶのに効果的なのは物事を総観し、確認し繋がりを確かめながら学ぶことの方が理解は増しますし効果的です。
この種のGameというのは次々にRandomな質問が繰り出され、頭の回転が良く知っている人しか全てを楽しむことが出来ません。
まして中学生なのですから、資力も限られてきます。
そしてこれらに使うお金を貯めるならば本当に必要なモノや自分が欲しいモノを手に入れられるという事実を無視する行為だと思うんですな。

Gameで得られる知識というのは費用対効果では最低なLineを辿るのは間違いないでしょう。
闇雲に物事を行っているのであれば尚更です。
計画的に物事を知ろうとせずに行き当たりばったりに物事を行うことは愚かなことだと思えてなりません。
知りたいことがあるならば一直線に物事を把握する様に努め、分析し道を割り出し辿るべきであるというおいらの中での行動理念があります。
「はい」は「はい」を、「いいえ」は「いいえ」を意味しなければなりません。
関わるなら責任が発生しますし完遂させねばなりません。
まあおいらはお金を出しませんがね。
昨今の中学生の金銭状況というのは大人のおいらなんかよりも遙かにRichなんですよね。
これって我が家でも起こっていたのですから、間違いないでしょう。
お金を与えれば事が済むというのは非常に大きな間違いですよね。

ここまでGameで引っ張りましたが、なぜこのような事を書いたのかというとGameに付き合った時間が1時間半程度あったんですよね。
それに対して楽器屋さんには5分程度しか居られなかったというのが情けなかったんですよ。
Gameが無料ならばこのようなことを書きませんけどね。
「浪費」だとおいらは考えていますので嫌なんですよね。
それとGame Centerの爆音で流されるAnnounceには嫌悪感さえ感じます。
耳を塞いでいても聞こえるぐらいの爆音ですので耳が悪くなるのではないかと心配してしまうぐらいです。
パチンコには入ってやったことはありませんが、商店街を通っていると前を通ります。
パチンコ店のお客さんの人数が数名で商店街に一件ならばおいらが店の前を通る際にDoorにお客さんが入ったり出たりした際に開くのに遭遇する可能性はかなり低いでしょう。
しかし商店街にはかなりの数のパチンコ店がありますし、相当数の博打打ちが出入りしています。
そうなると開いているDoorからパチンコの音量をある程度把握できます。
あれぐらいの騒音に慣れているのであればGame Centerで行われるAnnounceの音量というのは納得できますな。

おいらは音を大切に生きていきたいと思っています。
これは音だけではなくおいらの心に響いてくるモノ全てで思うんですよね。
字であったり、言葉であったり、声などでも考えています。
前向きにそして効果的で健全な創造活動に敬意を払って生きていきたいんですよ。
そうなるとまず自分が持っているモノを最善の状態にしておかねばならないでしょう。
その一つが耳なのです。
これを理解しておきながら拘束されるというのは苦痛です。
これはこの子自身も把握している所なんですけどね。
どうしても誘惑に勝てない様なんですな。
でもこの子を預かっているのですからおいらはこの子を見守る責任がある訳です。
関わっていますからね。
物事を完遂させる必要があった訳です。
関わらないのであれば関わりません。
この辺りは確り線を引いておかねばならないでしょう。

おいらが無価値なモノだと感じているモノに1時間半付き合わされて、おいらが価値があると感じていることで数分で嫌悪感を表される際の心情というのは理解していただけるでしょうか?
おいらは無価値だと感じていても他の人の自由意志には敬意を示したいと思っていますので嫌悪感を示すというのは考えられません。
よって殆ど条件を付けない状態で1時間半というおいらからすれば「無駄で無価値な」時間を過ごしたことになりますね。
では同じだけの時間とまでは言いませんが、多少の時間を提供してくださっても良いと思うんですよね。

現在の日本の大人は子供に安易にモノを与えすぎて居るんですよ。
よって自分の都合しか考えない思考になっている様に感じます。
自分が行いたいことが全てなんですな。
まあね。
おいらが一人で行けばいいだけの話なので一人で行きたいモノです。
とにかく2008.12.29のこの記事はエミフル松前店の島村楽器で調べたいことが殆ど調べることが出来なかったことが残念でならないと言うことを書きたかったんですよね。
まあ、おいらは馬鹿で愚かですがResearchしたいことを5分という時間をMaxに生かして知る努力をしたことは間違いありませんし、把握は出来ました。
Quantum Leap Pianoに関してはもっと商品数の多い店に行かなければ無いということなのでしょう。
もしかしたらElectric Pianoの関連商品として別の棚に置かれている可能性もありますけどね。
また来来週の通院の際に見られたらみようと思います。

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