扇風機の羽の真ん中をおさえるひねくれ者の日記

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JW1.5世の自分が生きてるのを不思議に思う、ひねくれ者の日記です。

Mind Darkness No.13 2009.02.13

2009-02-13 23:55:55 | Depression,Melancholy & Thought
いろいろと考えるんですけどね..............................

人との関わりというのは本当に大変なのだと考えています。
人との関わりというのは一方向ではありません。
しかし殆どの場合に一方的に話をしていることが少なくない訳です。
要求というのは確かにありますよね。
でもその要求が満たされるかというと他の人に期待している場合に全く期待できません。
100%に限りなく近いPercentageを推移する訳ですよ。
金の延べ棒の純度は99.9999%と銘打たれています。
このPercentageと同じほどの純度で他の人への欲求というのは満たされることはないでしょう。

おいらは継続的にそして能動的に接することによってでしか「信用」というのは構築されていかないということを確信しています。
そしてこちらの要求を相手に行って貰うには「等価交換」という基準なんかよりも大きな代償を払うことが少なくないでしょうね。
まず物事を行う前にたくさんの伏線を張っておかなければならないんですよ。
100%の信用を得るにはその数と同じぐらいに、つまり100回は接して代償を払って勝ち得る覚悟が必要になります。
おいらは人と関わるに当たってはそれぐらいの覚悟がなければ駄目だと考える質です。
一方的な要求だけではなく、Interactiveな要求の達成を得る必要があるはずです。
それと接してきた際の物事の行い方の純度も関係してくるかと思います。
目的を達成するまでの努力を理解して貰う必要があるんですな。
経験したことというのは殆どの場面で理解を得られます。
つまり物事を行う「手際の良さ」や「工夫」並びに「理解度」、「仕事の速さ」等を考慮して人というのは計られねば成りません。
この辺りの理解を出来ない人間というのは一方的な要求をしている人が多いはずです。
その要求は相手に叶えて貰って当然だと考える事が少なくないんですな。
このような人の要求というのは叶えられることはまず無いでしょう。
その辺りのことを理解せずに叶えられないことへの愚痴を平気で言うようになります。
愚痴というのは大凡のことでは悪口になります。
悪口を言う人というのは信用が無くなっていきます。
悪循環なんですよね。

では理解している人が物事を行う際にどのように行動するのでしょうか。
とにかく継続的に接することを目的とするのです。
直に会っていなくても間接的にでも相手宅に行ったことを印象づけるのは非常に大きな効果が期待できるでしょう。
「単純接触」が多ければ多いほど人というのは好印象を持つようになります。
これはどんなに悪い人でも良い所というのが必ずあるからなんですよね。
そしてそのような接触頻度が高いほど人の本質というのは見えるようになっていきます。
口で言うのは簡単ですが、行って会話するというのは本当に大きなことです。
それに接触する為の労力というのは相手が思っている以上に大変なことが少なくないのです。

「継続は力なり」という言葉は真実です。

間接的に相手に伝わるというのは本人以外の相手方の家族が覚えている必要があります。
しかし家族は直接的に印象がないので忘れることが多いんですよね。
つまり目的相手が居ない際に伝えてくださいと言って伝言が伝わることは相手の家族が覚えてくれなければならないんですよ。
回りくどい書き方をしますが、相手方の家族が覚えるとなると最低でも2回は本人が留守で相手方の同一の家族に伝言を言付ける必要があります。
そうなると大変な労力でしょう。
例え何かのついでに行くとしても精神的体力というのはかなり消耗します。

継続性を維持することの必要性は書くまでもないかも知れませんがね。
そして相手に会えたとして、本題を切り出すことは直ぐには出来ません。
Appointを取って伝える気満々でも相手はまずこちらの近況や相手方の近況、健康問題、近頃の話題などをしてからでないと話にならないかも知れません。
一回目はこのような話に終始することになるでしょう。
二回目でも同様な展開になることは少なくありません。
話題というのは相手の関心事の量だけある訳ですから、こちらのことを話すのは相手が「なぜ来るのか」という疑問が発生してからでないと機会がないのです。

ここで単純接触の最大の強みが発生してきます。
会話をすればするほど相手は自分のことを話すのですから、相手側のことを理解し把握することも可能になります。
そして親近感が湧いてくるようになるんですよ。
要求というのは人には沢山あります。
それが本人のことを思って要求することでも相手は受け付けてくれない事が少なくないんですよね。
そういったことを把握してから物事を行っていかねばならないでしょう。

人というのは面倒な生き物です。

感情を持ち、各々が全く違った価値観、背景、知識、理解力、識別力、把握力を有しているのですからね。
そしてそれらを知っていく内に必ず人間臭さや悪い所が見えてきます。
悪い所をCoverできるぐらいに良い所があれば良いんですがね。
そのような人間というのは非常に少数です。
おいらが知っている人間の中には10本の指で数えきれるぐらいしか知りません。

まあおいらも悪い所だらけですし、Coverできるどころではありません。
人のことを書く前に自分の悪い所を直さなければならないのは書くまでもないでしょうね~.................
人間というのは本当に厄介なモノなのだと考えさせられます。
それにもっと親しい人間というのを作っていきたいと思うのですが、おいらは人の好意に甘えるということが少し前までは出来なかったんですよね。
こちらが払う努力や金銭的負担はそれほど問題ではありません。
それはおいらの見地では当然のことだからです。
でもここ最近は少し甘えることが出来るようになってきました。
ちょっと進歩することが出来るようになってきたんでしょうかね。
もう少しおいらの弱い所も晒して理解して貰いたいとも思いますしね。

おいらの目下の課題は

・自分自身が全てを負担するのではなく相手にも負担して貰う
・相手が行ってくださる好意を素直に受け止めて心からの感謝を言う

ということでしょうかね。
おいらはPresentなどを貰うと「必ず返さなければならない」という制約が発生する性格ですからね。
もう少し気楽に甘えて受け取りその場では素直に感謝の言葉を言うようにしたいと思います。
お礼はいつでも良いのだと理解できるようになったのは最近ですからな。
少し肩の荷が下りた気分です。
でもおいらに益を得させて下さった方が益を被るのは当然のことだとおいらの中で定められています。
最善を尽くして物事行っていきたいモノです。

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