扇風機の羽の真ん中をおさえるひねくれ者の日記

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JW1.5世の自分が生きてるのを不思議に思う、ひねくれ者の日記です。

躓きの原因

2006-09-18 01:21:17 | Weblog
おいらは一応クリスチャンです............

バ○○○を受けた事実は客観的に見ると表面上の薄ーいモノです。
これは人によってかなり変わってきます。
本人によっては大きな事もあり分厚く堅固なモノにもなりえますし、薄皮一枚でオブラートのように溶けやすく意味のない人もいます。
しかしバ○○○マを受けたから円熟しているかというとそうではなく、立派かというと全然立派ではありません。
バ○○○マはスタート地点であり、そこから神との関係が始まるわけです。
またバプテスマを受けているから集会を定期的に行けるわけではなく、バプテスマを受けているから熱心な奉仕者でも無い場合があります。
現においらがそうですからね~。
おいらは鬱病だと診断されてかなり経ちました。
約5年ほどこの病気と向き合っています。
しかしこの病気は一見すると健康そのものに見られて「悪いところがないのになぜ集会を休むのか」とか「奉仕にもでていないらしいよ」と言われてもおいらにはどうしようもありません。
ただ返事できるのは「躓かせて申し訳ない」という言葉しか浮かばないのです。

今日は巡○○問ということで時間を考えてちゃんと起きて、やっとの思いで集会に参加しました。
おいらにしてはかなり努力して行ったはずだったのです。
しかし研究生の方に「日曜日はあまり来ていないですよね。」と言われました。
その言葉の背後にある「不活発な人間」だと言う思惑は当然のように解りました。
早起きして行けるならば這ってでも行きたいのは山々ですが、様々な自己管理を出来ていない現状では無理なんです。

「躓きのもと」になっているのであればおいらはクリスチャンと認識されなくても良いとも考えています。

今までさんざん自分はクリスチャンであり、聖書の教えを守らなくてはならないと自分に言い聞かせながらも守れず、それが今他の人のおいらに対する見方として定着していると言うことをよく感じます。
まあ今までのおいらの行動を見ていればおいらが霊性の低い人間であることは一目瞭然なんですけどね。
だから「何を今更言っているのだろうか?」と感じて「まだおいらにクリスチャンらしいことを期待することをしていたのか?」とも感じます。

姉妹たちには優しい人間だと考えられているらしく、また物事をよく考える人間だと考えられているようです。
正直なことを書くとこのように考えられるのは迷惑でしか有りません。
おいらの基準というのは地を這うようなぐらいに低レベルで、這うどころか地面にめり込んで潜っているぐらいだと表現しても良いぐらいです。

加えて開○者だから「こうあるべきだ」とか「元開○者だから悪いことをするはずがない」とか考えられると迷惑です。
ここでも正直に書きますが、今でもいつかはまた開○○仕に戻りたいと願っています。
しかしすべての人間には前提として不完全で罪を負っているのはクリスチャンとして当然学び、理解しておかなくてはならない事であるはずですね。
人間である以上、罪も犯しますし、間違いも犯します。
それを躓きのもとにするのは正しいのでしょうか?

おいらが自分自身に自分が一番失望しているのですから何が出来るでしょうか?
人間だと認識されなくても良い、只の肉の塊が椅子に有るだけだと考えていただき、無視されても良いし、おいらがけなされても良いのです。
しかしおいらを神の民として認識されていて、神の民として不活発な人間が居ることでその人の中で神の民全体に疑問がわき上がり、神の本当の意図を知ることに支障が出ることを恐れてしまいます。
一クリスチャンとして認識されているのであれば不活発な人間として扱っていただき、割り当てなんかも当てられないようにしてもらえたらとさえ思います。
只神の家に入ることに喜びを見いだし、神の言葉から放されることをの表面的な浅い知識による、浅い知恵として用いるように出来るようになれれば良いのです。
今の世で死に行くおいらがこれ以上何を求められましょう。

ただ祈るのは
他の何者にも増してYHWHに賛美と栄光があること
キリストと従順なみ使いたちの上に神の祝福があること
父と母、妹たち、弟に神からの祝福があること
苦しい兄弟たちの上にあなたからの癒しがあること
努力を払われている兄弟姉妹に祝福があること
ヨナが述べ伝えたニネベのようにすべてに人類が立ち返り神に仕えるようになること
です。

この病気のことを説明しても無駄なことは最近身にしみて感じますし、兄弟の間でさえそのように感じておられる事が解ることがあります。
今日は集会後に写真を撮っていたのですが、不活発な兄弟が最近復帰されつつあります。
その兄弟に言われました。
おいらは今週から参加し始めた「赤ちゃん」を中心に写真を撮っているつもりだったのですが、その兄弟からは「姉妹たちの写真だけを撮っている」と言う認識をされているようです。
そしてそのことが気にいらないご様子です。
弁解するつもりはありませんが、おいらの被写体のメインはブログ扱うような風景や植物になりました。
そして人物の写真はマシなモノ以外はほとんどと言っても良いほどお蔵入りで、見返すこともありません。
「姉妹の尻を追いかけるような軽率な人間」だと認識されると大変な勘違いだと言いたいのですが、言っても言い訳にしか聞こえないでしょう。
黙っておくに超したことはありません。
もしこれが躓きの原因となるのであれば、それは兄弟なのですから神とその人との問題です。
バ○○○マを受けていながらも不活発になった人の原因は往々にして、その人自身の個人研究不足であったり、人を見る際に義にすぎるというしてはいけないことをしているのでしょう。
「自分には緩く、人には厳しい」というのが常識となっている現在の風潮はおいらの肌には合いません。
神との関係に置いては必然と自分に厳しく、人には寛大になっていくモノだからです。

写真については撮った写真は別においらが気に入らなければ差し上げる必要はないと考えています。
撮った人間が納得できない写真を人にあげるなんて失礼極まりないことだと考えても居ますしね。
それにプリントするに当たってはコストがかかってきます。
今まではすべて差し上げてきました。
でもなぜ「撮って!」と言われて不本意ながら撮った写真で更に出来に納得できないモノをプレゼントする必要があるのでしょうか?
それに他の人の顔色をうかがうのにはもう疲れ果てました。
だからおいら自身の家族の写真をなるべく重点的に撮るようにしています。

我ながらなんとすばらしい言い訳なんだと感心しています。
性根の腐った、燃やすしかないゴミであることは明白ですな。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (chomemaro)
2006-09-18 09:14:53
病気に限らず、相手のことを完全に理解することは

無理だよね。私も学生時代、ずいぶんときついこと

人に言っていたような気がする^^;

今は、さまざまな経験をして、随分と人のことに

対する想像力がついたよ。

私もmumuさんのように、自分さえいなければ....

と考えたこともあったなー、最近回復傾向。

この間、○老に、今日の○会では、早く来て

遅く帰れって言ったけれど、そんなこと良いから

10分でも来てねと言われた。

まあ、遅刻魔だから(笑)

完璧を求めて行かないというよりも、良いかも

なーんてね(おばさんったら、開き直り名人)

すみません~~~~~バサッバサッヘ(;・_・)へ



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Unknown (mumu)
2006-09-21 01:36:28
#chomemaroさんへ

この記事を書いたのはいろいろと気持ちを整理するためなのでクリスチャンとしてNGな考え方をつづってしまいました。

こんな記事を読んでくださってコメントまで頂けることに感謝します。

人を批判するつもりは無いんですが、自分に対しては許せない事が多いので、どちらかというとこの言葉たちの刃先はおいら自身に向けられています。



学生時代に関してはおいらは義を振りかざして多くの人を傷つけていたことを今感じています。

それに今でも傷つけていることを知るにあたり辛かったんですよね~.......



おいらも日々学ぶことがたくさんあるのでホントにわずかですが、ミクロン単位で成長しているようです。

想像力、洞察力などは経験がものを言いますよね。

まだまだ精進しなければならないことを痛感し、傲慢になることなく学び続けていきたいと願っています。



理解を示してくださる○老さんなんですね~。

遅刻もこの病気の傾向の一つらしいので仕方がないですよね。

おいらも早く言っても集会5分前が精一杯です。

ほとんどの場合歌が始まる直前もしくは歌っている最中ですから....



開き直るのも必要ですよね。

良い意味で開き直りたいです。
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