ここ2年ほどは本も避けて生活していました.....................
本を読むことをしないと言うことはなんて愚かな行為なのだろうとは思います。
iPadやMacでは読んでいるのですが、読書というのは学を身に付ける手段なのだと分かります。
漫画やアニメ、映画、バラエティー、音楽番組、YouTube、動画配信などだけを見ていると明らかに馬鹿になっているな〜と自分自身で分かりました。
これは言葉にも出ています。
言葉遣いが今最悪に悪くなっています。
わざとやっている部分もあるのですが、短絡的な雰囲気が出ているような気もします。
それと情が薄くなってしまっているのも感じます。
先日、叔父が亡くなりました。
その際に叔父とその家族への配慮が全く出来ない自分自身に驚きました。
失礼なことを平気で言ってしまう自分がいたのです。
なぜこのようになってしまったかは明白に物理的な本を読む数が減ってしまったと言うことが言えると思います。
そして運動などでストレスも発散がなかなか出来ないのもあるのでしょう。
言葉遣いというのは自分で見てきた言葉の結果だと言えるでしょう。
ということで言葉や姿勢、思考、考え方を矯正していけるように読書をしていきたいモノです。
基本的に読みたいモノから読み、他は読める時に読む事が継続出来る肝のようです。
上品で綺麗な言葉遣いというのにも憧れていますね。
ということで語彙を増やして綺麗な言葉を目指します。
iPadやMacなどのDigitalでも読むと書いているのですが、正直な話をすると内容がザルをすり抜けるように感じています。
せっかくの読むという労力に対して実が詰まっていないすかすかの果物をがっかりしながら食べているような気になるのです。
心の充足感が全く感じられないんですよね。
しかし協会はiPadを推しています。
Digital重視に移行している現在の状況をわたしは全く納得出来ず、受け入れられていない部分があります。
本を読むと言うことは充実感を味わえるはずなのに、なぜこのように空っぽだと感じるのでしょうか。
わたしなりに考えてみました。
本というのは物理的な触感を楽しみながらも読んでいると思うのです。
ただ、これが出来ていないんですね。
それとめくっていき、読む量が減っていくのが物理的に確認しながら読めるのが大きいと思うのです。
物理的な雑誌や本を手に入れてそれをベースに勉強をしていきたいとず〜っと考えてきました。
空虚な感じが堪らなく辛く悲しいのです。
努力していこう。
読んだ内容というのは語るのが一番心に残ると言いますな。
他にここ最近は何か動画やテレビ、音楽が流れていないと本を読むモチベーションが保てなくなってきました。
これは習慣によって本を読めるようにしなければなりませんな。
わたしは集中して読みたい方でしたが、最近は何事に対しても「どうでも良い」という感じにしていましたので、余計に心に入らないようになっていました。
これって環境構築を失敗していると言っても良いのでしょうね。
わたしの部屋はモノが多すぎるので断捨離したいと取り組んでいるところです。
これはまた別で書こう。
本を読むことをしないと言うことはなんて愚かな行為なのだろうとは思います。
iPadやMacでは読んでいるのですが、読書というのは学を身に付ける手段なのだと分かります。
漫画やアニメ、映画、バラエティー、音楽番組、YouTube、動画配信などだけを見ていると明らかに馬鹿になっているな〜と自分自身で分かりました。
これは言葉にも出ています。
言葉遣いが今最悪に悪くなっています。
わざとやっている部分もあるのですが、短絡的な雰囲気が出ているような気もします。
それと情が薄くなってしまっているのも感じます。
先日、叔父が亡くなりました。
その際に叔父とその家族への配慮が全く出来ない自分自身に驚きました。
失礼なことを平気で言ってしまう自分がいたのです。
なぜこのようになってしまったかは明白に物理的な本を読む数が減ってしまったと言うことが言えると思います。
そして運動などでストレスも発散がなかなか出来ないのもあるのでしょう。
言葉遣いというのは自分で見てきた言葉の結果だと言えるでしょう。
ということで言葉や姿勢、思考、考え方を矯正していけるように読書をしていきたいモノです。
基本的に読みたいモノから読み、他は読める時に読む事が継続出来る肝のようです。
上品で綺麗な言葉遣いというのにも憧れていますね。
ということで語彙を増やして綺麗な言葉を目指します。
iPadやMacなどのDigitalでも読むと書いているのですが、正直な話をすると内容がザルをすり抜けるように感じています。
せっかくの読むという労力に対して実が詰まっていないすかすかの果物をがっかりしながら食べているような気になるのです。
心の充足感が全く感じられないんですよね。
しかし協会はiPadを推しています。
Digital重視に移行している現在の状況をわたしは全く納得出来ず、受け入れられていない部分があります。
本を読むと言うことは充実感を味わえるはずなのに、なぜこのように空っぽだと感じるのでしょうか。
わたしなりに考えてみました。
本というのは物理的な触感を楽しみながらも読んでいると思うのです。
ただ、これが出来ていないんですね。
それとめくっていき、読む量が減っていくのが物理的に確認しながら読めるのが大きいと思うのです。
物理的な雑誌や本を手に入れてそれをベースに勉強をしていきたいとず〜っと考えてきました。
空虚な感じが堪らなく辛く悲しいのです。
努力していこう。
読んだ内容というのは語るのが一番心に残ると言いますな。
他にここ最近は何か動画やテレビ、音楽が流れていないと本を読むモチベーションが保てなくなってきました。
これは習慣によって本を読めるようにしなければなりませんな。
わたしは集中して読みたい方でしたが、最近は何事に対しても「どうでも良い」という感じにしていましたので、余計に心に入らないようになっていました。
これって環境構築を失敗していると言っても良いのでしょうね。
わたしの部屋はモノが多すぎるので断捨離したいと取り組んでいるところです。
これはまた別で書こう。