扇風機の羽の真ん中をおさえるひねくれ者の日記

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JW1.5世の自分が生きてるのを不思議に思う、ひねくれ者の日記です。

惹かれあう力

2006-09-05 18:43:44 | Weblog
物事というのは不思議なもので惹かれあう力があるように感じます.............

例えば、一つのモノを見つけるとします。
興味を持った場合、それについてもっと詳しく知りたいと感じます。
しかしその情報が意図せずに向こうからきてくれるという感覚です。

これはおいらはよくあることなので気になっているのです。

人間のすることには「流れ」があるというのはクリスチャンでも信じられていることです。
聖霊というのは「フォース(流れ)」であり留めておくことができません。
よってより多くのフォースを得ようとするのであれば努力しなくてはなりません。
そしてその努力というのは継続的に克つ細心の注意を払って自分がその流れの元に行く必要があるのです。

これは川を見るとよくわかると思います。
川というのは流れですが、水が留まることはほとんどありませんよね。
水車というのは川が流れないと機能しません。
それと同じで人間が聖霊を得るためには川の流れに近づきそこから自分ですくい取らなければならないのです。

クリスチャンとしての考えを少し書きましたが、聖霊ではない「流れ」というのも人間同士の間であるような気がするのです。

これは人間的な考えでしょうし、聖書的な考えから離れ、明らかに間違った考え方なのかもしれません。
またおいらの主観で書くことですので当然に間違っていることが前提にあることを理解した上で読んでください。

最初に書いたことをおいらはよく経験しています。
偶然にしてはできすぎている状況に面して、ドラマチックな経験をすることが多いのです。
私の神からの「過分のご親切」である可能性はおいらの知っていることの中ではもっとも有力な候補ですが、こんなおいらに親切を施してくださるというのは痛み入る思いです。

また神のご意志に全く関係のないおいら個人の楽しみに関してもそのような「惹かれあう力」が作用しているように感じることがあります。
もしかしたら自分が知りたいと願うことを神が導いてくださることがあるのかもしれませんし、そのようにしてくださっている可能性は否定できません。

さらに可能性としては、今までそのモノを意識せずに生活していてある時点で気になり始めると様々な情報であふれていたりするのかもしれません。
そのような機会がある度に自分の世界観がもっと広くなり、逆にリアルな世界は小さく感じるようになる感覚に陥ります。
知れば知るほど多くのモノには意味があり、なにを起点として興り、何を理由に発展したのか?、今の形態に落ち着いたのはどうしてか?が理解できてよりもっと知りたいと感じるようになるのです。
そして多くのモノは共通して人間が作ったモノです。
同じようなモノが世界の至る所で作られたり、考え出されたりして改善、改良されています。
違う言葉を話していても、違う人種でも同じモノを使うことがあることを考えると世界というのは狭いと感じることがあるのです。

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