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その弐拾分
三人で会った、その夜。
真帆と精一から、主に真帆からではあったが、様々な内容の話を聞かされた。
そこで初めて、二人に血縁関係はないと知る。その場で精一がはっきりと断言した――。
それにしても、たった一日でこうも人間の人生が変わるとは思ってもみなかった。
精一も、恋をするような感覚に近いほど焦がれた水帆と一緒にいることが信じられないと言い、今後、自分が体を使って働くということが信じられないともいう。
それはそうだろう。
ソファに座っているだけで、ハンコとペンしか持たない重役だった。
それなのに、どうしてあんな場所で呑んだくれていたのかと水帆が訝しむと、真帆の方が気付いた。
「お父さん…… 滝川さんとは何処で会ったの?」
真帆の言葉に精一が苦笑いを浮かべ、
「嫌でなければ、お父さんと、そう呼んでくれないか」
と言った。
「どちらにしろ、結婚したらお父さんだろ」
水帆の言葉に、それもそうだと三人で笑い合った。
この三人で家族になる。
そう思うと、それぞれの胸が熱くなる。
「本土の居酒屋に入ったら、そこで呑んでたんだよ。いきなり本名で名指しされて頭に血がのぼったな」
その答えに真帆が呆然としてしまっている。当然だろう。水帆も事情が分かった後では、何故という言葉を嫌というほど飲み込み続けている。
穏やかに時間が流れていく。
「飛島君と真帆がDNA検査をして欲しいとやってきたね」
その時、いろいろと考えてしまったのだと精一は言う。そして、まさかと思いながら聞いた内容に、もう一度だけでもいいから会いたいと長年思っていた水帆の存在を、知ってしまった。
「人を不幸にするばかりだった人生に嫌気が差していた。会社だって息子の私より別の男に社長を譲るような、そんな腑抜けに見えるのだろう」
そして、せめて一目会いたい、という思いにかられ港町まで来たものの、島に渡る勇気の出ないまま居続けていたのだと。
「水帆の母親だって私に会うことがなければ、あんなに早く命を落とすことはなかっただろう。君を産んで死んだと聞いた。知っているのは、それだけだ」
精一の瞳は渇いていたが、遠くを見るようにその視線は彷徨った。
水帆は決して口外してはならない、と言われていた葛城の伯父の話を思い出した。
「違いますよ。母と会ったことで貴方の、お父さんの人生を狂わせてしまったのだと、今ならそう思います」
水帆は静かに語る。
精一に、そして真帆に聞かせるために。
「末期癌でした」
それでも医師の家系である葛城は何もすることなく死を待つ選択をしたくなかった。そして父親の、水帆にとっては祖父の望みを聞くかわりに母も自由をもらった。
「それが、お父さんとの出会いに繋がった、あの温泉地を訪れることだったんです」
精一の瞳に涙が浮かんだ――。
小さな島の診療所は年代もののコンクリートでできている。
医師は診療所にいることが当然なので、居住空間は渡り廊下を通って隣の一戸建てになっている。島に渡ってくれる医師は少ない。少しでも快適に暮らして欲しいと島なりの最新設備が整っている。
島民は決して裕福なわけでも、贅沢をしているわけでもない。その中からお金を出し合い長い年月をかけて揃えたものに、真帆も精一も驚きを隠せないようだ。
一泊留守にしたからといって何か変わるわけではない。大型冷蔵庫から作り置きのアイスコーヒーを取り出しグラスに注ぐ。
対面式のキッチンからリビングに座る精一を見る。元はソファがあったのだが、古いしスプリングも弱っていたので片付けてしまった。今は大きなラグの上に卓上机が置いてある。
グラス三つを運び、牛乳も並べた。
「ガムシロなんてないですよ。苦いのが駄目なら普通に砂糖を入れて下さい」
精一の前にグラスを置きながら、そう言うと彼はグラスだけを受け取った。真帆は勝手に牛乳を足している。
そして水帆も座りこみ、再び話し始める。
To be continued. 著作:紫 草
HP【孤悲物語り】内 『溺れゆく』表紙