『君戀しやと、呟けど。。。』

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『涙 その四』

2006-07-21 00:04:00 | 小説『時に落ちる』番外編
 本能寺の変が起こった一年後、我が友、文長(ふみなが)が戻ってきた。
 彼は、ほぼ一年もの間、眠り続けた。
 やがて彼も目を覚まし、元通りの暮らしが再開した。

 世の中は、羽柴秀吉を信長の後継と認めたようだ。
 大阪城を築き、二年後には関白宣下を受け、更に翌年豊臣姓を賜った。
 四国・越中征伐、続いて九州、小田原と続き、遂には最後の大敵、後北条氏を下し天下を統一する。秀吉は長きに渡って続いた、戦国の世を終わらせたのである。

 でも、私には関係がないと思っていた。
 大坂からは遠く、小さな村は戦さが始まっても、すぐには連絡が届かない。
 秀吉の軍は次第に膨れ上がり、百姓の兵など必要がなくなっていったのだろう。やがて様々な政策の果てに、豊臣秀吉という男は病死した。
 次は、徳川の世がくる。
 それを子らに伝えることはできない。
 関東圏に本拠地を持つ徳川とは、縁(えにし)が生まれる筈もなかった。
 まさか仁の仕事が、声の掛かるきっかけになるとは思ってもみなかった。

 この時代の子供たち。
 長子が武士になりたいと云った。
 次男は仁の許で、医学の勉強をしたいと云った。
 それぞれが大人になろうとするなかで、この時代を充分に生きてくれたらいいと思った。
 天下分け目の決戦と云われる関が原の戦いも、やがて終わる。
 秀吉が死んだら、再び戦さの世が始まった。
 どうして、話し合いでは済まないのだろう。
 この時代の常として、人の命を簡単に奪う。
 侍を夢みてしまうのは、本当に仕方がないことなのだろうか。

 大坂冬の陣の折、礼は参戦した。
 そこで軽い負傷を追い、自身の治療を施した。
 それを見た徳川の家来が、何故そんな方法を知っているのかと訊ねたそうだ。父が医者で、見よう見まねで覚えていたことだと話したという。
 回りまわって、その話が茶臼山に陣を置いた徳川側近の耳にまで届いた。

 私たちは、何も聞かされることなく駿府へ移るように命令された。
 文長も同様だ。
 正体がバレると困ると反対したものの、火傷のせいで信長本人だと気付く者は誰一人いなかった。数年前、帰蝶を亡くしていた文長は今更殺されても構わないとも云った。
 皆で住み慣れた村を離れ、引越しをする。
 用意された場所は、立派な診療所だった。

 人の命を大切にするのは同じだからと、仁は働くことを決めた。
 一番上の緑と次男の孝、そして末娘の若菜が手伝う。
 私と文長は表には出ず、薬草摘みや薬作りをした。
 駿府は、後に家康が住む土地だ。
 まだ夏の陣が始まる前に、家康の中には青写真は出来ていたということだ。

 その夜、嫌な予感が走った。
 言葉には出来ない、予感。
 翌朝、目が覚め診療所の前を掃きに行くと、そこに礼が死んでいた。

 きっと、深夜の予感があった時だ。
 あの時、出て来ていれば礼は死なずに済んだかもしれない。
 子の弔いをするなんて、逆縁の不幸を受けるなんて信じたくなかった。
 涙は涸れることはないと思った。
 来る日も来る日も、礼を思って泣いた。
 その年の冬、流行り病で若菜も逝った。
 我が子の死を見届ける。
 そんな不幸が私を襲う。
 心が闇に覆われる、そう思った時だった。

「一緒に泣いて、一緒に立ち直ろう。家康という男は戦さのない世の中を作る。それを知っている俺たちは、幸せなんじゃないか」
 仁のその言葉は、大きかった。
 そうだ、徳川政権の発端は家康であり、豊臣の滅亡は間もなくだ。
「若菜は可哀想だったね。でも礼は好きなことをさせてもらって本望なんじゃないかな。俺たちには、まだ緑も孝もいるよ。あの子たちのためにも笑ってやろうよ」
 何ヶ月振りかに、はっきりと見た仁の顔。
 お互い、年をとったね。
 子を亡くした哀しみは、私だけのものじゃない。
 一緒に、乗り越える。
 周りを見ると、みんなの顔もあった。
 私には家族がいる。
 召されるのは年の順じゃない。
 先に逝った子のために、供養するのも私の仕事かもしれない。

 幸せに暮らした数年間。
 人生は、山と谷で帳尻を合わせているみたい。
 嫁いだ緑にも、近く子が産まれるだろう。どん底を知れば当たり前の幸せが、かけがえのない幸せに思える。
 私はまた前を向いて生きてゆく為に、みんなの手を取った。

              【了】
                     著作:紫草
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