本能寺の変が起こった一年後、我が友、文長(ふみなが)が戻ってきた。
彼は、ほぼ一年もの間、眠り続けた。
やがて彼も目を覚まし、元通りの暮らしが再開した。
世の中は、羽柴秀吉を信長の後継と認めたようだ。
大阪城を築き、二年後には関白宣下を受け、更に翌年豊臣姓を賜った。
四国・越中征伐、続いて九州、小田原と続き、遂には最後の大敵、後北条氏を下し天下を統一する。秀吉は長きに渡って続いた、戦国の世を終わらせたのである。
でも、私には関係がないと思っていた。
大坂からは遠く、小さな村は戦さが始まっても、すぐには連絡が届かない。
秀吉の軍は次第に膨れ上がり、百姓の兵など必要がなくなっていったのだろう。やがて様々な政策の果てに、豊臣秀吉という男は病死した。
次は、徳川の世がくる。
それを子らに伝えることはできない。
関東圏に本拠地を持つ徳川とは、縁(えにし)が生まれる筈もなかった。
まさか仁の仕事が、声の掛かるきっかけになるとは思ってもみなかった。
この時代の子供たち。
長子が武士になりたいと云った。
次男は仁の許で、医学の勉強をしたいと云った。
それぞれが大人になろうとするなかで、この時代を充分に生きてくれたらいいと思った。
天下分け目の決戦と云われる関が原の戦いも、やがて終わる。
秀吉が死んだら、再び戦さの世が始まった。
どうして、話し合いでは済まないのだろう。
この時代の常として、人の命を簡単に奪う。
侍を夢みてしまうのは、本当に仕方がないことなのだろうか。
大坂冬の陣の折、礼は参戦した。
そこで軽い負傷を追い、自身の治療を施した。
それを見た徳川の家来が、何故そんな方法を知っているのかと訊ねたそうだ。父が医者で、見よう見まねで覚えていたことだと話したという。
回りまわって、その話が茶臼山に陣を置いた徳川側近の耳にまで届いた。
私たちは、何も聞かされることなく駿府へ移るように命令された。
文長も同様だ。
正体がバレると困ると反対したものの、火傷のせいで信長本人だと気付く者は誰一人いなかった。数年前、帰蝶を亡くしていた文長は今更殺されても構わないとも云った。
皆で住み慣れた村を離れ、引越しをする。
用意された場所は、立派な診療所だった。
人の命を大切にするのは同じだからと、仁は働くことを決めた。
一番上の緑と次男の孝、そして末娘の若菜が手伝う。
私と文長は表には出ず、薬草摘みや薬作りをした。
駿府は、後に家康が住む土地だ。
まだ夏の陣が始まる前に、家康の中には青写真は出来ていたということだ。
その夜、嫌な予感が走った。
言葉には出来ない、予感。
翌朝、目が覚め診療所の前を掃きに行くと、そこに礼が死んでいた。
きっと、深夜の予感があった時だ。
あの時、出て来ていれば礼は死なずに済んだかもしれない。
子の弔いをするなんて、逆縁の不幸を受けるなんて信じたくなかった。
涙は涸れることはないと思った。
来る日も来る日も、礼を思って泣いた。
その年の冬、流行り病で若菜も逝った。
我が子の死を見届ける。
そんな不幸が私を襲う。
心が闇に覆われる、そう思った時だった。
「一緒に泣いて、一緒に立ち直ろう。家康という男は戦さのない世の中を作る。それを知っている俺たちは、幸せなんじゃないか」
仁のその言葉は、大きかった。
そうだ、徳川政権の発端は家康であり、豊臣の滅亡は間もなくだ。
「若菜は可哀想だったね。でも礼は好きなことをさせてもらって本望なんじゃないかな。俺たちには、まだ緑も孝もいるよ。あの子たちのためにも笑ってやろうよ」
何ヶ月振りかに、はっきりと見た仁の顔。
お互い、年をとったね。
子を亡くした哀しみは、私だけのものじゃない。
一緒に、乗り越える。
周りを見ると、みんなの顔もあった。
私には家族がいる。
召されるのは年の順じゃない。
先に逝った子のために、供養するのも私の仕事かもしれない。
幸せに暮らした数年間。
人生は、山と谷で帳尻を合わせているみたい。
嫁いだ緑にも、近く子が産まれるだろう。どん底を知れば当たり前の幸せが、かけがえのない幸せに思える。
私はまた前を向いて生きてゆく為に、みんなの手を取った。
【了】
著作:紫草
彼は、ほぼ一年もの間、眠り続けた。
やがて彼も目を覚まし、元通りの暮らしが再開した。
世の中は、羽柴秀吉を信長の後継と認めたようだ。
大阪城を築き、二年後には関白宣下を受け、更に翌年豊臣姓を賜った。
四国・越中征伐、続いて九州、小田原と続き、遂には最後の大敵、後北条氏を下し天下を統一する。秀吉は長きに渡って続いた、戦国の世を終わらせたのである。
でも、私には関係がないと思っていた。
大坂からは遠く、小さな村は戦さが始まっても、すぐには連絡が届かない。
秀吉の軍は次第に膨れ上がり、百姓の兵など必要がなくなっていったのだろう。やがて様々な政策の果てに、豊臣秀吉という男は病死した。
次は、徳川の世がくる。
それを子らに伝えることはできない。
関東圏に本拠地を持つ徳川とは、縁(えにし)が生まれる筈もなかった。
まさか仁の仕事が、声の掛かるきっかけになるとは思ってもみなかった。
この時代の子供たち。
長子が武士になりたいと云った。
次男は仁の許で、医学の勉強をしたいと云った。
それぞれが大人になろうとするなかで、この時代を充分に生きてくれたらいいと思った。
天下分け目の決戦と云われる関が原の戦いも、やがて終わる。
秀吉が死んだら、再び戦さの世が始まった。
どうして、話し合いでは済まないのだろう。
この時代の常として、人の命を簡単に奪う。
侍を夢みてしまうのは、本当に仕方がないことなのだろうか。
大坂冬の陣の折、礼は参戦した。
そこで軽い負傷を追い、自身の治療を施した。
それを見た徳川の家来が、何故そんな方法を知っているのかと訊ねたそうだ。父が医者で、見よう見まねで覚えていたことだと話したという。
回りまわって、その話が茶臼山に陣を置いた徳川側近の耳にまで届いた。
私たちは、何も聞かされることなく駿府へ移るように命令された。
文長も同様だ。
正体がバレると困ると反対したものの、火傷のせいで信長本人だと気付く者は誰一人いなかった。数年前、帰蝶を亡くしていた文長は今更殺されても構わないとも云った。
皆で住み慣れた村を離れ、引越しをする。
用意された場所は、立派な診療所だった。
人の命を大切にするのは同じだからと、仁は働くことを決めた。
一番上の緑と次男の孝、そして末娘の若菜が手伝う。
私と文長は表には出ず、薬草摘みや薬作りをした。
駿府は、後に家康が住む土地だ。
まだ夏の陣が始まる前に、家康の中には青写真は出来ていたということだ。
その夜、嫌な予感が走った。
言葉には出来ない、予感。
翌朝、目が覚め診療所の前を掃きに行くと、そこに礼が死んでいた。
きっと、深夜の予感があった時だ。
あの時、出て来ていれば礼は死なずに済んだかもしれない。
子の弔いをするなんて、逆縁の不幸を受けるなんて信じたくなかった。
涙は涸れることはないと思った。
来る日も来る日も、礼を思って泣いた。
その年の冬、流行り病で若菜も逝った。
我が子の死を見届ける。
そんな不幸が私を襲う。
心が闇に覆われる、そう思った時だった。
「一緒に泣いて、一緒に立ち直ろう。家康という男は戦さのない世の中を作る。それを知っている俺たちは、幸せなんじゃないか」
仁のその言葉は、大きかった。
そうだ、徳川政権の発端は家康であり、豊臣の滅亡は間もなくだ。
「若菜は可哀想だったね。でも礼は好きなことをさせてもらって本望なんじゃないかな。俺たちには、まだ緑も孝もいるよ。あの子たちのためにも笑ってやろうよ」
何ヶ月振りかに、はっきりと見た仁の顔。
お互い、年をとったね。
子を亡くした哀しみは、私だけのものじゃない。
一緒に、乗り越える。
周りを見ると、みんなの顔もあった。
私には家族がいる。
召されるのは年の順じゃない。
先に逝った子のために、供養するのも私の仕事かもしれない。
幸せに暮らした数年間。
人生は、山と谷で帳尻を合わせているみたい。
嫁いだ緑にも、近く子が産まれるだろう。どん底を知れば当たり前の幸せが、かけがえのない幸せに思える。
私はまた前を向いて生きてゆく為に、みんなの手を取った。
【了】
著作:紫草