◆田母神論文「国を常に支持」が愛国か 081222 朝日新聞 私の視点
ジョン・ダワー米マサチューセッッエ科大教授
38年生まれ。専門は日本近代史。主著「敗北を抱きしめてー第二次大戦後の日本人」でピュリツァー賞受賞。
太平洋戦争の開戦問題は、田母神俊雄・前航空幕僚長の論文「日本は侵略国家であったのか」の核心の一つで、日本が「ルーズベルトの仕掛けた罠」にはまって真珠湾攻撃を決行した、と論じている。
米国にとって「パールハーバー」は記憶から消し去れない出来事だ。01年の9・11米同時テロと、これに続く米国主導のイラク戦争という選択は、その記憶を思いがけず衝撃的な形でよみがえらせた。
米各紙は9・11を真珠湾攻撃になぞらえ、見出しに「インファミー(不名誉)」を掲げた。真珠湾攻撃に対し、当時のルーズベルト大統領が使った「不名誉のうちに生きる日」を下敷きにした表現だ。
ブッシュ大統領もこれに反応し、9・11を「21世紀のパールハーバー」と日記に記した。通俗的なこの連想は、ブッシュ政権による02年9月の「先制攻撃」政策発表、半年後のイラク侵攻というブーメランとなった。真珠湾攻撃も9・11事件も米国に挑む戦争として強く非難した米国が、今度は自らが戦争の道を選択したのである。
米の著名な歴史家アーサー・シュレジンジャーは、「予防的自衛」のブッシュ・ドクトリンは「日本帝国の真珠湾攻撃と驚くほど似ている」とし、「今度は我々米国人が不名誉に生きることになる」と鋭く見抜いた(03年3月)。
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だが、大半の米国人は愛国主義に目を曇らされ、米国の安全への重大な挑戦とする政府側にくみした。戦争は早期に終結し、イラク戦後の体制変革も円滑に進むというブッシュ政権の保証を信じ込んでしまったのである。
ブッシュのイラク戦争は、相手の特質や能力を真剣に考察することなく、戦争をいかに終わらせるかの展望もない「戦略的な愚行」(米海軍史家サミュエル・モリソンの50年代初頭の指摘)という点で、日本による真珠湾攻撃との類似性を想起させる。半世紀以上前に日本が犯した「戦略的な愚行」は今では皮肉にも、もはやそうユニークなことではないようだ。
冒頭の、太平洋戦争の開戦を「ルーズベルトの罠」とする田母神論文の主張は、綿密な検証に耐え得る事実にも論理にも支えられていない。
この主張は陰謀史観そのものだが、米国では半世紀余も前に信用できないとして退けられた2つの説を反映している点は興味深い。
1つは、ルーズベルトの外交政策を非難する孤立主義者が引き合いにした「バックドア・トゥー・ウオー(戦争への裏口)」説。彼らは、アジアへ侵略しナチスドイツと同盟を結ぶ日本を米国がなだめすかすことで戦争を回避できたし、そうすべきだったと論じた。
もう1つは、40年代後半から50年代に吹き荒れたマッカーシズムという政治的魔女狩りの中で唱えられた、「共産勢力」が操っていたとする説だ。
では、日米間の戦争は避けられたのか。これについては日本語と英語の何万ページもの関係文書や学問的研究がある。なぜ、米日間の外交交渉が戦争を食い止められなかったのかについてはいつも論議の対象になるが、陰謀史観はこの問題を説明できない。
米国が、日本の中国侵攻・占領、そしてナチスドイツとの同盟を支持すべきだったとでもいうのだろうか。田母神輪文には、この件に関する膨大な史料をまともに検討した形跡がない。日本の中国支配を単純に肯定するだけで、当時のアジアの危機をいかに解決できたかについてを問いただした形跡もうかがえない。
どこの国でも、熱に浮かされたナショナリストがそうであるように、彼は他者の利害や感情に全く無関心であるかにみえる。中国人や朝鮮人のナショナリズムは、彼の描く絵には入ってこない。
アジア太平洋戦争について、帝国主義や植民地主義、世界大恐慌、アジア(特に中国)でわき起こった反帝国主義ナショナリズムといった広い文脈で論議することは妥当だし、重要でもある。戦死を遂げた何百万もの日本人を悼む感情も同様に理解できる。
しかし、30年代および40年代前半には、日本も植民地帝国主義勢力として軍国主義に陥り、侵攻し、占領し、ひどい残虐行為を行った。それを否定するのは歴史を根底から歪曲するものだ。
戦後、日本が世界で獲得した尊敬と信頼を恐ろしく傷つける。勝ち目のない戦争で、自国の兵士さらには本土の市民に理不尽な犠牲を強いた日本の指導者は、近視眼的で無情だった。
国を愛するということが人々の犠牲に思いをいたすのではなく、なぜ、いつでも国家の行為を支持する側につくことを求められるのか。
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自衛隊の君へ 守るべき「いい国とは何か」 若宮啓文(本社コラムニスト) 081203 朝日新聞
自衛隊幹部を目指して精進しているA君、久しぶりだね。いま、君はとても複雑な心境なのではないかと思い、筆をとりました。
ほかでもない、驚くような懸賞論文を書いて解任された田母神俊雄・前空幕長の一件です。文民統制を踏み外したトップの言動に戸惑うのは当然として、隊員の中には同情の声も少なくないとか。それが大いに気になっています。
「朝日新聞は鬼の首をとったような気分だろう」なんて、まさか君は思っていないだろうね。それどころか、僕らは頭から冷や水を浴びせられた心境です。
数年前、朝日の社説が思い切って有事法制の賛成にカーブを切ったのを覚えていますか。憲法9条を維持しようとの考えは今も変わらないけれど、準憲法的な平和安全保障基本法(仮称)を定めて自衛隊をきちんと位置づけようと提言したのは昨年5月。いずれも僕が論説主幹のころでした。
それもこれも、半世紀に及んだ自衛隊は、いろいろ問題もあるにせよ、旧日本軍と違う民主社会の組織として根を下ろしたと思えばこそ。自衛隊が守るべきはかつてのような国家ではなく、民主国家の日本であり、だからこそ自衛隊と国民の信頼が大事だと考えたのです。そこに降ってわいた今度の論文事件。僕らのショックも大きいというものです。
日本は蒋介石やルーズベルトの罠にはまって戦争した被害者だ。
そんな趣旨で貫かれたこの論文が事実誤認や都合のよい思い込みに満ちていることは、多くの信用ある歴史家が語っているので繰り返しません。どうか、そうした指摘をよく参考にしてください。
僕が問題にしたいのは「日本がいい国だと思えなかったら、誰が命がけで国を守れようか」という意味の田母神氏の発言です。共感する隊員もいるようだね。国を愛すればこその国防だというのはよく分かる。だけど、だから日本が間違いを犯したわけがない、侵略なんかしなかったというのは子供じみていないかな。
2年前の6月、天皇が愛国心に関連して答えた記者会見での言葉を思い出します。
日本では1930年から6年間に要人襲撃が相次いで首相と首相経験者の計4人が殺され、この時期に政党内閣が終わって言論の自由も失われた。そう指摘した天皇は「先の大戦に先立ち、このような時代があったことを多くの日本人が心にとどめ、そのようなことが二度と起こらないよう日本の今後の道を進めていくことを信じています」と語ったのです。
要人襲撃とは、軍人が起こした5・15事件や2・26事件などのこと。満州事変から発展した日中戦争や太平洋戦争も、こうした流れの上に行われたことを忘れまい、という自戒の言でしょう。
天皇が日本を愛していないわけがない。かけがえのない国だと思えばこその痛恨の思いが見て取れます。田母神氏は、こうした軍人のテロやクーデターも外国の罠だったというのでしょうか。
痛恨の思いは、実は僕らにとっても切実なのです。5・15事件を批判した朝日新聞も前年の満州事変では軍部独走の太鼓をたたいたし、2・26で東京本社を襲われるや、翌年の盧溝橋事件からは恥ずかしいほどに中国侵攻や対米戦争の旗を振ってしまった。
戦後、わが先輩たちはそれを深く悔いて出直したのです。最近、朝日新聞は「新聞と戦争」という連載で当時の報道を検証し、本にもしました。読めば目を覆いたくなることばかりだけれど、僕たちはそれを胸に刻み、苦い教訓として受け止めるしかない。
だからといって、日本の近代化に新聞が果たしてきた大きな役割を否定するわけではないし、ましていまの仕事に誇りを失うわけでもない。むしろ、遅ればせでも過去の汚点を検証できたことで、勇気もわくのです。
自衛隊発足にあたり、時の吉田茂首相が最も気を配ったのが旧軍との断絶だったことを、若い君たちは知っているかな。初代防衛大学校長の槙智雄さんも、首相から託されたのが民主主義下での自衛隊教育だったと書いてます。
いまの世にも問題は多く、腹の立つことばかりでも、戦争と弾圧の時代に比べれば余程よい社会に違いない。田母神氏は戦後50年の村山首相談話を目の敵にするけれど、反省すべきを反省し、謝罪もできる潔い国こそ、守るに値する「いい国」だと僕は信じます。
最後に、今度の事件で米国の友人たちが驚いていることを伝えておこう。日本がナチス・ドイツとも手を組んで行ったあの戦争を、よりによって自衛隊のトップが正当化し、ルーズベルト大統領の陰謀で片付けようとは……。果たしてこれが信頼する同盟相手の言葉だろうか、という嘆きです。こんなことがもし繰り返されるなら、アジアとの関係ばかりか日米関係も壊れてしまいかねないよね。
どうか君たちは今度のことに惑わされず、旧軍とは違った自衛隊ならではの気概と誇りを持ってほしい。心からそう思います。
それではどうぞお元気で。いずれゆっくり語り合いましょう。
■田母神論文に危機感 081125 朝日新聞
戦争放棄を定めた憲法9条を守ろうと結成された「九条の会」の全国交流集会が24日、東京都内であり、約 900人が参加した。
田母神俊雄・前航空幕僚長が先の戦争について、政府見解と異なる意見を論文発表した問題が取り上げられ、作家の澤地久枝さんは「田母神氏は自衛隊のトップ。なぜ総理は懲戒免職にしなかったのか」と批判。「自衛隊は内部で非常にゆがんだ教育がされ、集団的自衛権の名の下に戦争のできる集団になろうとしている」と語った。
検証・前空幕長論文の底流ー上/自衛隊内潜む疎外感 081124 朝日新聞
先の戦争について田母神俊雄・前航空幕僚長(60)が政府見解と異なる意見を論文に発表した問題は、創設から半世紀余を経た自衛隊のあり方を根底から揺るがしている。隊員にどのような意識が潜んでいるのか。底流にあるものを検証する。
(編集委員・谷田邦一、樫本淳)
半世紀「評価足らぬ」鬱屈
「彼ひとりを孤立させてよいのか」「会をあげて彼を応援しよう」
航空自衛隊のOB会「新生つばさ会」や、10万人を超す自衛隊OBの最大組織「隊友会」には、ホテルチェーン「アパグループ」への投稿が発覚して以降、こうした意見が相次いでいる。現役幹部の間でも、「よくやった」という受けとめが目立っている。
「彼の歴史観に対してというより、自衛隊が政治家や国民から十分に認知、支援されていないことへの鬱積した不満が共感を呼ぶようだ」
隊友会副会長でもある冨澤暉・元陸上幕僚長(70)は、その背景をこう読み解く。
《日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する。だから自衛隊は出来るだけ動きにくいようにしておこうというものである》
先の戦争の侵略性を全面的に否定した田母神氏は論文で、旧日本軍に対する戦後の歴史解釈のゆがみが自衛隊の活動への制約につながっているという趣旨の主張をした。
軍事組織にとって強い愛国心は不可欠のもの。「自国の歴史を否定的にとらえるのでは強い自衛隊をつくれない」という思いが、組織内には根強い。そこに「自分たちは世間から理解されていない」という積年の疎外感がからんで、独善的な歴史観につながったことがうかがえる。
欝屈した思いは、複雑な歴史と無縁ではない。日本国憲法は9条で戦力不保持の原則を掲げたが、朝鮮戦争をきっかけに米国の圧力で50年に警察予備隊が発足、54年に自衛隊となった。
「国民の自衛隊」を目指してきたものの、憲法に明記されない組織として「日陰者」扱いされてきたとの意識が関係者には強い。
冷戦後、国際協力活動にも任務が拡大=年表=すると、諸外国からは一定の評価を受けるようになる。ところが「成果を上げたのに日本では批判を受け、実績や実力が十分に認められていない」という不満は今なおくすぶり、田母神氏を否定できない土壌が潜む。
旧日本軍と連続性意識
《日本軍の軍紀が他国に比較して如何に厳正であったか》。
田母神氏は論文で旧日本軍を美化しようとした。50歳代の幹部学校の教官はここに、自衛隊関係者が共感するもう一つの底流を読み取る。
「自衛隊と旧日本軍はつながっているのか、断絶しているのか」という連続性の問題だ。
幹部教育の重点は、隊員の士気をいかに高めるかにおかれる。危険を伴う任務が多いだけに、「なぜ自分は命をかけて国や国民を守るのか」という自覚をすりこまれる。その際、何をよりどころにするのか。航空自衛隊の中枢にいる40歳代の幹部は「私たちが死生観を考えるとき、頭に浮かぶのは、やはり同じ文化・歴史をもつ日本人の先輩の姿しかない」と話す。
旧日本軍と自衛隊とは組織の上では断絶している。しかし国家や国民を守るという役割には共通のものがあり、若手世代も、責任感や勇敢さなどにつながりを感じる傾向がある、と40歳代幹部はいう。
しかし、「何が連続し、何が連続していないのか」について、必ずしも明確な基準があるわけではない。
幹部学校の教官は戸惑いを口にする。
「隊員に歴史観を「再教育するなんて、しょせん無理な話。何を手本にするのか。政府が先の大戦をきちんと総括し、我々に示してくれるのが先ではないのか」
◆自衛隊の歴史:
50年 警察予備隊が発足
54 防衛庁が設置され、陸海空3自衛隊が発足
91 湾岸戦争の戦後処理で海自掃海部隊をペルシャ湾に派遣
92 国連平和維持活動(PKO)協力法が成立。陸自をカンボジア派遣
01 米同時テロをきっかけにテロ対策特措法が成立、海自をインド洋補給活動に派遣
03 イラク戦争後にイラク復興支援特措法が成立、04年にかけ陸自や空自を派遣(これは派兵である)
07 防衛省に昇格
08 田母神・空幕長が懸賞論文で「日本が侵略国家というのは濡れ衣ぬ」などと主張。解任後に定年退職
◆自衛隊:
陸上(約13万8千人)・海上(約4万4千人)・航空(約4万6千人) 計約22万8千人の3隊があり、最高指揮官は首相。防衛相が指示を出す。3隊の運用の指揮・命令を担う統合幕僚監部の長である統合幕僚長が自衛隊のトップで、陸・海・空の各隊をそれぞれの幕僚長がまとめている。
階級は「将」「佐」「尉」「曹」「士」と続き、一番下の「3士」まで17ある。3尉以上が幹部と呼ばれる。
幹部教育に校長独自色/田母神氏、異例の新講義
自衛隊の教育は、「天皇の軍隊」としての性格を持った旧日本軍の反省に立つ。基本となるのが、61年に制定された「自衛官の心構え」だ。生まれ育った祖国やそこで暮らす人々、風土や文化に対する愛着と誇りを「正しい民族愛、祖国愛」と位置づけ、幹部教育が施されている。
幹部は、防衛大学校や一般大学から自衛隊に入るのが一般的だ。幹部候補生課程で最長で約1年間学び、3尉として幹部になる。1尉や3佐の時にも教育を受け、さらにトップ組の1佐は「幹部高級課程・統合高級課程」に進む。
共通するのは、戦略論や部隊運営といった指揮官の資質を高める授業に力点が置かれている点だ。戦前の反省から事実関係や知識を積み上げていく科学的な授業が重視され、「歴史観や国家観を真正面から取り上げる講義は原則ない」(防衛省幹部)。
ただ、課程の内容を決める権限は陸・海・空の各自衛隊の幹部学校長や、自衛隊の高級幹部を育成する統合幕僚学校長。校長の考えで内容が変わることもある。
田母神氏は、統幕学校の校長時代の03年、「日本の歴史と伝統への理解を深めさせる」として、現在の「幹部高級課程」の一部カリキュラムに「歴史観・国家観」の講義を新設した。これまでにない「異例」のことだった。
カリキュラムは「防衛学一般」と「安全保障戦略」に大きく分かれ、時間数は計 201時間。各国の軍事情勢、自衛隊の編成・運用、国際戦争法などを学ぶほかに、歴史観・国家観が13時間の枠で設けられた。歴史観・国家観の講師陣は「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーら、田母神氏の論文と同じ歴史観を持つ人が多く、これまでに幹部約 390人が受講した。
国会で批判を浴び、防衛省は来年度からの見直しを明らかにしている。
前空幕長論文の底流ー下/政界、共感が見え隠れ 081125 朝日新聞
制服組の自衛隊幹部が日本の侵略を正当化する論文を公表し、防衛相の辞任要求を拒んで定年退職となった。麻生首相をはじめ政治の側に、「文民統制(シビリアンコントロール)の危機」との切迫感がないことも大きな問題だ。それは一体なぜなのか。
(山田明宏、金子桂一)
批判の比重「立場が問題」
「自衛官が自らの国の歴史に正義感を持たずして、崇高なる任務を果たせないのは、ご理解いただきたい」
23日、福岡県東部の航空自衛隊築城基地で開かれた航空祭の祝賀会で、地元選出の衆院議員である武田良太・防衛政務官は、空自幹部やOBらを前に、田母神俊雄・前航空幕僚長を批判した後、こう付け加えた。
「我々は歴史認識を強要する権限は持ち合わせていない。自由な発想と自ら学んだことに信念を持つことは誰にも侵されない」とも語った。
麻生首相が「現役の幕僚長にありながらの発言は極めて不適切」と繰り返すように、政府・自民党内で問題視されているのは、田母神氏が「立場」を弁えなかった点に比重がある。「日本だけが侵略国家といわれる筋合いもない」「日本は穏健な植民地統治をした」との発言内容は、これまでも自民党の政治家の口から聞かれてきた。
日本の植民地支配と侵略への反省と謝罪を表明した95年の村山首相談話。この談話は、野党に転落した自民党が与党復帰のために「社会党首相」を担ぎ、ハト派で知られる河野洋平・現衆院議長が自民党総裁で外相だったという政治的背景の中で生まれた。そのため、首相周辺はむしろ、田母神氏の主張の方が「日本人の半分くらいが思っている」とみるほどだ。
田母神氏が最優秀賞を受賞した懸賞論文を主催したアパグループの元谷外志雄代表の人脈は自民党だけでなく、野党の民主党にも広がる。
田母神氏の参考人招致を翌週に控えた今月5日、鳩山由紀夫幹事長のメールマガジンが党内を揺さぶった。「余りにも私の思想とかけ離れた話をされていたので、途中でご無礼した」。
04年9月、元谷夫妻による「日本を語るワインの会」に夫婦で出席し、田母神氏とも同席したことを釈明する内容だった。
ワインの会は、元谷夫妻が自宅に政財界要人を招く懇談の場で、アパグループの雑誌「アップルタウン」の連載企画ともなっている。鳩山夫妻が出席した会では「日本には自虐的歴史観を持つ人も多いが、日本は中国に悪いことはしていない」などの議論が交わされた。米国の戦後占領政策への批判や日本の核武装論も語られた。
ワインの会の出席者には、安倍元首相、中川秀直元幹事長、浜田防衛相ら自民党議員に交じり、民主党からも鳩山氏のほか、山岡賢次国会対策委員長、田母神氏の参考人招致で質問に立った浅尾慶一郎「次の内閣」防衛相も含まれていた。浅尾氏は元々、元谷氏と深いつきあいはないが、田母神氏の論文受賞記念パーティーの発起人予定者に無断で名前を使われ、慌てて取り消すよう求めたという。
◆文民統制:
民主主義国家において、国民を代表する非軍人の政治家(シビリアン)が軍事をコントロールする仕組み。日本では過去に軍部が暴走した反省から、首相を自衛隊の最高指揮・監督権者とし、他国から攻撃があった時に自衛隊が武力行使する「防衛出動」の際は、国会の承認が義務づけられている。
制服人事に目届かず
自衛隊と政治との関係はどうなっているのか。
防衛省(旧防衛庁)では、主に背広組と言われる文官が、首相宮邸や防衛関係議員らとの折衝を担ってきた。制服組が官邸と直接、接点を持つようになったのは、96年1月発足の橋本内閣のころとされる。
橋本内閣は97年1月、当時、危機管理を担当していた内閣安全保障室に現職自衛官を初めて起用。橋本首相が首相公邸に幹部自衛官を招いて懇談することもあった。直前の村山内閣時代、阪神大震災やオウム真理教事件など、政府の危機管理能力が問われる事態が相次いだことが背景にある。
自衛隊の任務は01年の米同時多発テロ以降、海自のインド洋給油、陸自や空自のイラク派遣へと拡大。自民、民主両党の防衛関係議員が制服組から直接、意見を聴く機会が増えた。「防衛省内でも、幕僚長が直接、大臣や事務次官に意見を述べる場面が増え、発言力が増した」(防衛省幹部)という。」
しかし、「防衛問題に関心を、持つ国会議員が少ない」(自民党防衛関係議員)という状況の中、「防衛族以外には、自衛隊は票田に過ぎない」(政府関係者)との見方もある。自衛隊員は全国で約27万人。北海道など自衛隊の基地や駐屯地を抱える選挙区では、自衛隊票は無視できない。政治家が票ほしさに自衛隊に遠慮し、自由な発言を許しているーーというわけだ。
制服組の人事に対する政治のチェックも甘いままで、政府見解に反する信条を持つ田母神氏が空自トップにまで上り詰めるのを許してしまった。
制服組の1佐以上の幹部人事は、制服組が作成した人事案を内局の背広組が点検し、大臣が決裁する。しかし、「大臣や背広組は制服組をよく知らないので、制服組の意向がそのまま反映される」(防衛省幹部)のが現状だ。陸海空の各自衛隊トップの幕僚長の任命権者は大臣だが、「勇退する幕僚長が事実上、後任を決めい事務次官と調整して大臣に了承してもらうケースが多い」(同)という。
防衛庁から「省」に昇格して1年10カ月。この間、トップの大臣が6人目というサイクルの短さも「統制する側の大臣が、制服組になめられる要因」(民主党防衛関係議員)という。
「負の歴史」全否定は不健全/西原正・前防衛大校長に聞く
京大卒。防衛大教授、防衛研究所部長を経て00~06年に防衛大校長。現在は平和・安全保障研究所理事長。専門は国際政治。71歳。
これからの幹部自衛官は、海外に行く機会がふえる。どんな歴史上の事件があり、アジアの人々の間で問題になっているのか知った上で、反論する必要があれば自分なりの根拠をもつことが重要だ。
田母神氏の論文について言えば、歴史的事実にはいろんな側面があることを踏まえて書いてほしかった。どの国にだって人に語りたくない暗い歴史の裏面がある。過去の間違いをすべて否定して、だから自分の国はすばらしいと言うのは不健全ではないか。
背景には、海外任務などに派遣される際、政府は自分たちに十分な権限を与えていないとか、自分たちの立場や名誉が認められていないといった不満があるのかもしれない。
自衛官にも思想の自由、考え方の自由はある。作戦を練る時に部内で熱心に議論するように、歴史についても自分たちの思いを大いに議論すればいい。しかし、公務員である以上、政府見解と明らかに違うことを公言するのはおかしい。米国でも軍のトップが「イラク介入反対」と言えば解任される。(聞き手=編集委員・谷田邦一)
◆田母神論文 政府は歴史認識を語れ 081120 朝日新聞
東京大准教授(ジャーナリズム・マスメディア研究) 林香里
日本の侵略の過去を否定した田母神俊雄・前航空幕僚長の論文問題で、どうしても気になることがある。
田母神氏の歴史観そのものではない。挑戦状を突きつけられたともいえる政府側の対応と、それを監視する役割があるはずのメディアの姿勢だ。
麻生首相は11日夜、「文民統制をやっている日本で、幕僚長というしかるべき立場にいる人の発言としては不適切。それがすべて」と語ったそうだ(本紙12日朝刊)。
田母神氏に「言論の自由」があるという論理を盾にして、いまだに政府としての歴史認識を語ることを避けている。
メディアの多くもこれに引きずられてしまい、文民統制や任命責任などに重きを置いて報道してきた。
しかし、ことは思想や歴史観の問題だ。文民統制や任命責任といった手続き論も重要だが、「それがすべて」と簡単に片づけるわけにはいかない。歴史認識は、特別な政治的アジェンダ(議題)として政府と国民が認識を共有するべきだ。そのための努力を怠ってはならないという責任感が、政治家にもメディアにも欠落していないか。
一方の田母神氏は11日、参議院の参考人招致で、「ヤフー(のネット調査)で58%が私を支持している」と語り、多くの人が自分を支持してくれているという認識を示した。誤った見解は、正しい見解が出されない限り修正されない。
政府やメディアが手続き論に終姶しているようでは、田母神氏を支持するゆがんだ世論は放置されてしまう。それどころか、国民の意識の中で、「ひょっとすると首相も、閣僚も心の中では田母神氏の主張に賛成しているのでは」という疑念も広がりかねない。
問題の論文は、私のように歴史の専門家ではない人間から見ても、誤った歴史観に基づくきわめて稚拙な内容だ。戦後60年以上たった今もなお、「我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者」で「侵略国家と言われるのは濡れ衣だ」と公言する人物が自衛隊を率いていた事実に驚く。
首相や浜田防衛相は、本質的な議論をうやむやにしたまま問題を幕引きしてはならない。田母神氏の主張のどこが、どう間違っているのかを一つずつ具体的に指摘し、正すべきである。
首相が率先して田母神氏の主張に反論し、政府が毅然とした姿勢を示すことで、文民統制をより強固にできる。
メディアは目の前のできごとや専門家の見解を報じるだけでなく、早く公式見解を出すよう首相に迫るべきだ。その見解の妥当性を検証して初めて役割を果たしたことになる。
■「歴史観」の講師は桜井よしこ氏ら/統幕学校の内容判明
日本の侵略を否定する論文を発表した田母神俊雄・前空幕僚長(60)が更迭された問題で、防衛省は19日、田母神氏が、自衛隊の高級幹部を育成する統合幕僚学校の学校長時代に新設した「歴史観・国家観」の講義に招いていた外部講師の名前や講義内容を明らかにした。
ジャーナリストの桜井よしこ氏や作家の井沢元彦氏らが招かれていたほか、元海将補の坂川隆人氏や、「新しい歴史教科書をつくる会」の副会長を務める大正大学の福地惇教授らが講師を務めていた。
講義内容は日本の歴史の特徴や節目の出来事、集団主義など日本人の価値観の特徴についてなど。「現在の日本の歴史認識は、日本人のための歴史観ではない」とする内容の講義もあった。
防衛省は「様々に考えることに意味があり、異質なことを話したからすぐに問題だ、と言うわけではない」としつつも、来年からは「(人選や内容で)よりバランスを取っていく」としている。
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●中国の日本軍侵略そのもの 無職 坂井幸郎(東京都杉並区 91)
航空自衛隊のトップによる論文を批判した15日の本欄の「戦争への無知暴露の観念論」を読み、大いに感じ入りました。
私は1938(昭和13)年に召集され、武漢三鎮戦のため河北省の保定から江西省の九江までの麦畑地帯を行軍しました。
友軍の後だったので私自身は住民を殺傷し物を奪うことはしませんでしたが、住民が逃げた廃屋の壁に「東洋鬼到処殺人放火」と大書されていたのを忘れられません。
行軍中の病気で内地送還となり、復員して病院に見舞いに来た戦友からその後のことを聞くと、女性に乱暴したあげくに殺すなど相当ひどいことをしました。このように日中戦争は紛れもなく侵略戦争そのものでした。
軍国主義、忠君愛国の環境下で育った者にとって「日中戦争は蒋介石に引きずりこまれた」などの侵略否定論は、実際の戦争を知らない戦後生まれの無知蒙昧の観念論・歴史観であり、戦争を知る者たちが戦争がどういうものであったかを語り継いでいかなくてはならないと思いました。
●歴史書き換えを許してならぬ 主婦 金子洋子(宮城県大和町 73)
「戦争語り継ぐ大切さ知った」(13日)を読み、15歳の少女が空幕長の論文に対し自分の考えをしつかり披露していることに感動した。
私は論文の要旨を新聞で見たが、あまりの独りよがりの考えに驚いた。満州事変後の悲惨な15年戦争を田母神氏はどう受け止めるのか。日本は朝鮮や中国、東南アジア諸国を侵略しなかったと胸を張って言えるのか。悲しいかな、否である。
誰しも自国の犯した過ちを認めるのはつらいことだ。しかし、歴史を自分に都合良く書き換えるのを許すことは出来ない。そのことはドイツに学ばなくてはならない。
先日亡くなられた筑紫哲也氏は私と同世代で、新憲法が発布された時に光が差したような感動を覚えたと語っておられたが、私も全く同感だ。
軍部の独走で泥沼のような戦争に巻き込まれた過去を決して甦らせてはならない。戦争放棄を明記した憲法を順守し、悲惨な戦争体験者の一人としてしっかりと後世に語り継いでいきたいと、改めて強く思わされた。
●戦争語り継ぐ大切さ知った 081113 朝日新聞声
中学生 和田 紗容子(仙台市泉区 15)
「侵略を知らぬ空幕長の空論」(6日)を読んだ。元兵士の方の言葉は一つ一つに重みが感じられ、空幕長論文を新聞で読んだ時に感じた疑問に答えをもらった思いだ。
歴史の教科書では日中戦争の発端から日本の敗戦まで数㌻にまとめられている。しかし、この戦争で多くの命が失われ、残虐なことも行われた。資料集や授業でのビデオで概要は知っているが、私は戦争についてもっと多くのことを知りたいと思っている。
投稿には生の声を感じた。私たちはそういうものを大切にして、平和を守っていかなければならない。いつの日か日本中に一人も戦争を体験した人がいなくなる日が来てまた同じ過ちが起こるかも知れない。平和を守り抜いていくには私たちが伝えてもらった戦争の恐ろしさをしっかり受け止め、次の世代に伝えていかなければならない。
日本の戦争は侵略で、戦争は二度とあってはならず、人の命は地球よりも重い……。94歳の方の言葉は、空幕長論文で中国の方々にすまないと思っていた私の気持ちを少し和らげてくれ、戦争を語り継ぐ大切さを改めて知らせてくれた。
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◆◆田母神氏の参考人招致 11日 081112 朝日新聞
◆懸賞論文・アパとの関係 田母神俊雄(前航空幕僚長)・浅尾慶一郎(民主)・井上哲士氏(共産)・浜田防衛相
浅尾:アパグループに応募した懸賞論文 235件のうち94件が自衛官からだ。
田母神:私は航空幕僚監部の教育課長にこういうものがあると紹介はした。私が(応募を)指示したのではないかと言われるが、私が指示したなら1千を超える数が集まると思う。
浅尾:参考人は今年6月、アパグループの元谷(外志雄)代表の出版記念パーティーに行っているが、公用車を使ったのか。
田母神:公用車を使っている。
浅尾:代休を取った時に公用車を使うのは不適切ではないかと指摘したい。車代などの授受はあったか。
田母神:車代などを受け取ったことはない。資金提供などは一切受けていない。
井上:元谷氏は昨年8月21日に小松基地でF15戦闘機に搭乗し、48分間、飛行体験している。小松基地で元谷氏以前に民間人をF15戦闘機に搭乗させたことはあるか。
浜田:確認できる範囲では、06年度と08年度にそれぞれ計3回実施した。
井上:民間人の自衛隊協力者の戦闘機飛行は極めてまれだ。その際の手続きと最終決裁者は。
浜田:航空機の使用及び搭乗に関する訓令に基づき幕僚長か権限を委任された部隊などの長が、自衛隊の広報業務を遂行するにあたり、特に有効な場合などに承認している。元谷氏の体験搭乗は当時の航空幕僚長が承認した。
井上:承認した航空幕僚長は田母神氏だ。なぜ異例の便宜供与をしたのか。
田母神:元谷氏は「小松基地金沢友の会」の会長として、第6航空団及び小松基地所在部隊を強力に支援して頂いた。その10年間の功績に対し、元谷氏から希望があり、希望者は多いが、そのなかで部隊の要請に基づき許可した。
井上:今回の懸賞論文に小松基地から大量の応募があったのはなぜか。田母神氏が1位になり、 300万円という高額な懸賞金を手にしたことと便宜供与とが関係ないのか、検証をすべきだ。
◆懲戒処分見送りの経緯 犬塚直史氏(民主)
浅尾:田母神氏の論文は、自衛隊法第46条の懲戒処分の規定にある「隊員としてふさわしくない行為」で、疑義がある。
浜田:政府見解と異なる論文を(航空幕僚長という)立場にありながら公表したことが問題だと認識している。
浅尾:(懲戒免職のための)審理時間が取れなかったので、定年退職の措置をとったのか。
浜田:結果的には、そういう判断をした。
浅尾:自衛隊法の施行規則第72条は「任命権者は規律違反の疑いがある隊員をみだりに辞職させてはならない」とある。(定年退職は)施行規則に反するのでは。
浜田:(田母神氏が)とどまることによる自衛隊員の士気への影響も勘案した。理由がしっかりある。
浅尾:(空自隊内誌の)「鵬友」(昨年5月号)に同じ趣旨の意見を発表している。内局などから注意があったか。
田母神:注意はなかった。
浅尾:昨年5月段階で問題がなかった。今回問題になったのは、マスコミが大きく取り上げたからか。
田母神:騒がれたから話題になった、と思う。
浅尾:「鵬友」に載った段階で政府見解と異なるなら指摘すべきだっだ。
浜田:その時にチェックできていなかったのは事実。それが多くの隊員に影響を及ぼしたのではないかという可能性は否定しないが、我々はその点をチェックしていないので、影響の有無はお答えできない。
浅尾:別の雑誌に同じことを書き、問題になっていない。防衛省の基準があいまいだ。
浜田:ダブルスタンダードのないように、しっかりとした基準を作りたい。
浅尾:94人の航空自衛隊員が懸賞論文に応募した際、田母神氏と同趣旨のものが相当数あったのでは。
浜田:田母神氏と同じ趣旨のものはなかったと聞いているが、調査段階だ。
浅尾:企業主催の懸賞論文を教育課長が隊員に通知することは一般的なのか。
浜田:今回のような形は初めてだ。応募を禁止しているわけではないが、今後考えなければならない。
浅尾:教育課長の行為は、自衛隊法46条の「隊員としてふさわしくない行為」ではないのか。
浜田:指摘を受けた点は検討しなければいけない。
犬塚:田母神氏の言動は、国会の決定を行政府が粛々とやるという国家の原則に対する挑戦ではないか。
浜田:私も大変憤慨している。極めて不適切で極めて重大な発言。一番早い形で辞めてもらうのが重要だと思い、退職して頂いた。
◆文民統制と歴史認識 北沢俊美・参院外交防衛委員長(民主)・浜田昌良氏(公明)=浜公・山内徳信氏(社民)
北沢:制服組のトップが首相の方針に反したことを公表するという驚愕の事案。政府・防衛省において、文民統制が機能していない証しだ。
浅尾:田母神氏は今年5月に東大で講演している。
田母神:石破大臣(当時)から十分注意して発言するようにと注意を受けた。今回の論文に比べれば柔らかい表現にした。
浅尾:(論文は)集団的自衛権の行使を認めるべきだという趣旨で書いたわけではないのか。
田母神:特にそこまでは訴えていない。
浅尾:そういうものがなくてなかなか大変だと書いている気がする。
田母神:今は、もう改正すべきだと思っている。
浅尾:憲法を改正するべきだと思っているのか。
田母神:はい。国を守ることについて、これほど意見が割れるようなものは直した方がいいと思う。
浅尾:なぜ今回、問題になったと考えるか。
田母神:私は村山談話と異なる見解を表明したと更迭された。シビリアンコントロールの観点から、私は(村山談話と)見解の相違はないと思っているが、大臣が相違があると判断して私を解任するのは政治的に当然だと思う。私の書いたものはいささかも間違っているとは思っていない。日本が正しい方向に行くためには必要だ。
村山内閣総理大臣談話
「戦後50周年の終戦記念日にあたって」
(いわゆる村山談話) 平成7年8月15日
先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、改めて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。
敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、改めて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。
平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。特に近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼に基づいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えに基づき、特に
①近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、
②各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、
③現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。
いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。
*わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。
また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。
「杖るは信に如くは莫し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。
犬塚:辞職するか、懲戒手続きの審理をするか、意思表示をしてくれと言われ、どう感じたか。
田母神:当然、自衛官も言論の自由が認められているはずだから、言論の自由が村山談話で制約されることはないと思っていた。私のどこが悪かったのか、審理してもらった方が問題の所在がはっきりすると申し上げた。
犬塚:参考人は統合幕僚学校の校長の経歴をお持ちだ。
田母神:国の方針とかいろいろあるが、学校の中では、いろんなことを自由に議論しましょうということ。議論もできないなら、日本は本当に民主主義国家か。政治将校がついている、どこかの国と同じになっちゃう。
浜公:懸賞論文をどういう意図で紹介したのか。
田母神:いま日本の国が悪かったという論が多すぎる。日本は良い国だったと、見直しがあっても良いのではないか。びっくりしているのは、日本は良い国だと言ったら解任された。責任の追及も、良い国だと言ったような人間をなぜ任命したのかと言われる。ちょっと変だな。日本が悪い国だという人を就けなさいということだから。日本ほど文民統制が徹底した軍隊はない。日本では自衛官の一挙手一投足まで統制する。論文を書いて出すのに大臣の許可を得ている先進国はない。これ以上やると、自衛官が動けなくなる。自衛隊を言論統制が徹底した軍にすべきではない。
浜公:言論の自由はあるが、政府見解をベースに考えるのが基本だ。今回の論文は逸脱を感じないか。
田母神:逸脱を感じない。政府見解で言論を統制するということになる。
井上:(田母神氏が校長を務めた)統幕学校で国家観・歴史観という項目を設けたというのは事実か。
田母神:事実だ。やはり、我々は良い国だと思わなければ頑張る気になれない。悪い国だ、悪い国だと言っていては、自衛隊の士気も崩れる。きちっとした国家観、歴史観を持たせなければ国は守れないと思い、そういう講座を私が設けた。
山内:田母神さんの論文なるものは事実に反する。
田母神:悪いことを日本がやったというのであれば、では、やらなかった国はどこですか?日本だけが悪いと言われる筋合いもない。
山内:(論文を読んで)田母神氏は相
ジョン・ダワー米マサチューセッッエ科大教授
38年生まれ。専門は日本近代史。主著「敗北を抱きしめてー第二次大戦後の日本人」でピュリツァー賞受賞。
太平洋戦争の開戦問題は、田母神俊雄・前航空幕僚長の論文「日本は侵略国家であったのか」の核心の一つで、日本が「ルーズベルトの仕掛けた罠」にはまって真珠湾攻撃を決行した、と論じている。
米国にとって「パールハーバー」は記憶から消し去れない出来事だ。01年の9・11米同時テロと、これに続く米国主導のイラク戦争という選択は、その記憶を思いがけず衝撃的な形でよみがえらせた。
米各紙は9・11を真珠湾攻撃になぞらえ、見出しに「インファミー(不名誉)」を掲げた。真珠湾攻撃に対し、当時のルーズベルト大統領が使った「不名誉のうちに生きる日」を下敷きにした表現だ。
ブッシュ大統領もこれに反応し、9・11を「21世紀のパールハーバー」と日記に記した。通俗的なこの連想は、ブッシュ政権による02年9月の「先制攻撃」政策発表、半年後のイラク侵攻というブーメランとなった。真珠湾攻撃も9・11事件も米国に挑む戦争として強く非難した米国が、今度は自らが戦争の道を選択したのである。
米の著名な歴史家アーサー・シュレジンジャーは、「予防的自衛」のブッシュ・ドクトリンは「日本帝国の真珠湾攻撃と驚くほど似ている」とし、「今度は我々米国人が不名誉に生きることになる」と鋭く見抜いた(03年3月)。
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だが、大半の米国人は愛国主義に目を曇らされ、米国の安全への重大な挑戦とする政府側にくみした。戦争は早期に終結し、イラク戦後の体制変革も円滑に進むというブッシュ政権の保証を信じ込んでしまったのである。
ブッシュのイラク戦争は、相手の特質や能力を真剣に考察することなく、戦争をいかに終わらせるかの展望もない「戦略的な愚行」(米海軍史家サミュエル・モリソンの50年代初頭の指摘)という点で、日本による真珠湾攻撃との類似性を想起させる。半世紀以上前に日本が犯した「戦略的な愚行」は今では皮肉にも、もはやそうユニークなことではないようだ。
冒頭の、太平洋戦争の開戦を「ルーズベルトの罠」とする田母神論文の主張は、綿密な検証に耐え得る事実にも論理にも支えられていない。
この主張は陰謀史観そのものだが、米国では半世紀余も前に信用できないとして退けられた2つの説を反映している点は興味深い。
1つは、ルーズベルトの外交政策を非難する孤立主義者が引き合いにした「バックドア・トゥー・ウオー(戦争への裏口)」説。彼らは、アジアへ侵略しナチスドイツと同盟を結ぶ日本を米国がなだめすかすことで戦争を回避できたし、そうすべきだったと論じた。
もう1つは、40年代後半から50年代に吹き荒れたマッカーシズムという政治的魔女狩りの中で唱えられた、「共産勢力」が操っていたとする説だ。
では、日米間の戦争は避けられたのか。これについては日本語と英語の何万ページもの関係文書や学問的研究がある。なぜ、米日間の外交交渉が戦争を食い止められなかったのかについてはいつも論議の対象になるが、陰謀史観はこの問題を説明できない。
米国が、日本の中国侵攻・占領、そしてナチスドイツとの同盟を支持すべきだったとでもいうのだろうか。田母神輪文には、この件に関する膨大な史料をまともに検討した形跡がない。日本の中国支配を単純に肯定するだけで、当時のアジアの危機をいかに解決できたかについてを問いただした形跡もうかがえない。
どこの国でも、熱に浮かされたナショナリストがそうであるように、彼は他者の利害や感情に全く無関心であるかにみえる。中国人や朝鮮人のナショナリズムは、彼の描く絵には入ってこない。
アジア太平洋戦争について、帝国主義や植民地主義、世界大恐慌、アジア(特に中国)でわき起こった反帝国主義ナショナリズムといった広い文脈で論議することは妥当だし、重要でもある。戦死を遂げた何百万もの日本人を悼む感情も同様に理解できる。
しかし、30年代および40年代前半には、日本も植民地帝国主義勢力として軍国主義に陥り、侵攻し、占領し、ひどい残虐行為を行った。それを否定するのは歴史を根底から歪曲するものだ。
戦後、日本が世界で獲得した尊敬と信頼を恐ろしく傷つける。勝ち目のない戦争で、自国の兵士さらには本土の市民に理不尽な犠牲を強いた日本の指導者は、近視眼的で無情だった。
国を愛するということが人々の犠牲に思いをいたすのではなく、なぜ、いつでも国家の行為を支持する側につくことを求められるのか。
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自衛隊の君へ 守るべき「いい国とは何か」 若宮啓文(本社コラムニスト) 081203 朝日新聞
自衛隊幹部を目指して精進しているA君、久しぶりだね。いま、君はとても複雑な心境なのではないかと思い、筆をとりました。
ほかでもない、驚くような懸賞論文を書いて解任された田母神俊雄・前空幕長の一件です。文民統制を踏み外したトップの言動に戸惑うのは当然として、隊員の中には同情の声も少なくないとか。それが大いに気になっています。
「朝日新聞は鬼の首をとったような気分だろう」なんて、まさか君は思っていないだろうね。それどころか、僕らは頭から冷や水を浴びせられた心境です。
数年前、朝日の社説が思い切って有事法制の賛成にカーブを切ったのを覚えていますか。憲法9条を維持しようとの考えは今も変わらないけれど、準憲法的な平和安全保障基本法(仮称)を定めて自衛隊をきちんと位置づけようと提言したのは昨年5月。いずれも僕が論説主幹のころでした。
それもこれも、半世紀に及んだ自衛隊は、いろいろ問題もあるにせよ、旧日本軍と違う民主社会の組織として根を下ろしたと思えばこそ。自衛隊が守るべきはかつてのような国家ではなく、民主国家の日本であり、だからこそ自衛隊と国民の信頼が大事だと考えたのです。そこに降ってわいた今度の論文事件。僕らのショックも大きいというものです。
日本は蒋介石やルーズベルトの罠にはまって戦争した被害者だ。
そんな趣旨で貫かれたこの論文が事実誤認や都合のよい思い込みに満ちていることは、多くの信用ある歴史家が語っているので繰り返しません。どうか、そうした指摘をよく参考にしてください。
僕が問題にしたいのは「日本がいい国だと思えなかったら、誰が命がけで国を守れようか」という意味の田母神氏の発言です。共感する隊員もいるようだね。国を愛すればこその国防だというのはよく分かる。だけど、だから日本が間違いを犯したわけがない、侵略なんかしなかったというのは子供じみていないかな。
2年前の6月、天皇が愛国心に関連して答えた記者会見での言葉を思い出します。
日本では1930年から6年間に要人襲撃が相次いで首相と首相経験者の計4人が殺され、この時期に政党内閣が終わって言論の自由も失われた。そう指摘した天皇は「先の大戦に先立ち、このような時代があったことを多くの日本人が心にとどめ、そのようなことが二度と起こらないよう日本の今後の道を進めていくことを信じています」と語ったのです。
要人襲撃とは、軍人が起こした5・15事件や2・26事件などのこと。満州事変から発展した日中戦争や太平洋戦争も、こうした流れの上に行われたことを忘れまい、という自戒の言でしょう。
天皇が日本を愛していないわけがない。かけがえのない国だと思えばこその痛恨の思いが見て取れます。田母神氏は、こうした軍人のテロやクーデターも外国の罠だったというのでしょうか。
痛恨の思いは、実は僕らにとっても切実なのです。5・15事件を批判した朝日新聞も前年の満州事変では軍部独走の太鼓をたたいたし、2・26で東京本社を襲われるや、翌年の盧溝橋事件からは恥ずかしいほどに中国侵攻や対米戦争の旗を振ってしまった。
戦後、わが先輩たちはそれを深く悔いて出直したのです。最近、朝日新聞は「新聞と戦争」という連載で当時の報道を検証し、本にもしました。読めば目を覆いたくなることばかりだけれど、僕たちはそれを胸に刻み、苦い教訓として受け止めるしかない。
だからといって、日本の近代化に新聞が果たしてきた大きな役割を否定するわけではないし、ましていまの仕事に誇りを失うわけでもない。むしろ、遅ればせでも過去の汚点を検証できたことで、勇気もわくのです。
自衛隊発足にあたり、時の吉田茂首相が最も気を配ったのが旧軍との断絶だったことを、若い君たちは知っているかな。初代防衛大学校長の槙智雄さんも、首相から託されたのが民主主義下での自衛隊教育だったと書いてます。
いまの世にも問題は多く、腹の立つことばかりでも、戦争と弾圧の時代に比べれば余程よい社会に違いない。田母神氏は戦後50年の村山首相談話を目の敵にするけれど、反省すべきを反省し、謝罪もできる潔い国こそ、守るに値する「いい国」だと僕は信じます。
最後に、今度の事件で米国の友人たちが驚いていることを伝えておこう。日本がナチス・ドイツとも手を組んで行ったあの戦争を、よりによって自衛隊のトップが正当化し、ルーズベルト大統領の陰謀で片付けようとは……。果たしてこれが信頼する同盟相手の言葉だろうか、という嘆きです。こんなことがもし繰り返されるなら、アジアとの関係ばかりか日米関係も壊れてしまいかねないよね。
どうか君たちは今度のことに惑わされず、旧軍とは違った自衛隊ならではの気概と誇りを持ってほしい。心からそう思います。
それではどうぞお元気で。いずれゆっくり語り合いましょう。
■田母神論文に危機感 081125 朝日新聞
戦争放棄を定めた憲法9条を守ろうと結成された「九条の会」の全国交流集会が24日、東京都内であり、約 900人が参加した。
田母神俊雄・前航空幕僚長が先の戦争について、政府見解と異なる意見を論文発表した問題が取り上げられ、作家の澤地久枝さんは「田母神氏は自衛隊のトップ。なぜ総理は懲戒免職にしなかったのか」と批判。「自衛隊は内部で非常にゆがんだ教育がされ、集団的自衛権の名の下に戦争のできる集団になろうとしている」と語った。
検証・前空幕長論文の底流ー上/自衛隊内潜む疎外感 081124 朝日新聞
先の戦争について田母神俊雄・前航空幕僚長(60)が政府見解と異なる意見を論文に発表した問題は、創設から半世紀余を経た自衛隊のあり方を根底から揺るがしている。隊員にどのような意識が潜んでいるのか。底流にあるものを検証する。
(編集委員・谷田邦一、樫本淳)
半世紀「評価足らぬ」鬱屈
「彼ひとりを孤立させてよいのか」「会をあげて彼を応援しよう」
航空自衛隊のOB会「新生つばさ会」や、10万人を超す自衛隊OBの最大組織「隊友会」には、ホテルチェーン「アパグループ」への投稿が発覚して以降、こうした意見が相次いでいる。現役幹部の間でも、「よくやった」という受けとめが目立っている。
「彼の歴史観に対してというより、自衛隊が政治家や国民から十分に認知、支援されていないことへの鬱積した不満が共感を呼ぶようだ」
隊友会副会長でもある冨澤暉・元陸上幕僚長(70)は、その背景をこう読み解く。
《日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する。だから自衛隊は出来るだけ動きにくいようにしておこうというものである》
先の戦争の侵略性を全面的に否定した田母神氏は論文で、旧日本軍に対する戦後の歴史解釈のゆがみが自衛隊の活動への制約につながっているという趣旨の主張をした。
軍事組織にとって強い愛国心は不可欠のもの。「自国の歴史を否定的にとらえるのでは強い自衛隊をつくれない」という思いが、組織内には根強い。そこに「自分たちは世間から理解されていない」という積年の疎外感がからんで、独善的な歴史観につながったことがうかがえる。
欝屈した思いは、複雑な歴史と無縁ではない。日本国憲法は9条で戦力不保持の原則を掲げたが、朝鮮戦争をきっかけに米国の圧力で50年に警察予備隊が発足、54年に自衛隊となった。
「国民の自衛隊」を目指してきたものの、憲法に明記されない組織として「日陰者」扱いされてきたとの意識が関係者には強い。
冷戦後、国際協力活動にも任務が拡大=年表=すると、諸外国からは一定の評価を受けるようになる。ところが「成果を上げたのに日本では批判を受け、実績や実力が十分に認められていない」という不満は今なおくすぶり、田母神氏を否定できない土壌が潜む。
旧日本軍と連続性意識
《日本軍の軍紀が他国に比較して如何に厳正であったか》。
田母神氏は論文で旧日本軍を美化しようとした。50歳代の幹部学校の教官はここに、自衛隊関係者が共感するもう一つの底流を読み取る。
「自衛隊と旧日本軍はつながっているのか、断絶しているのか」という連続性の問題だ。
幹部教育の重点は、隊員の士気をいかに高めるかにおかれる。危険を伴う任務が多いだけに、「なぜ自分は命をかけて国や国民を守るのか」という自覚をすりこまれる。その際、何をよりどころにするのか。航空自衛隊の中枢にいる40歳代の幹部は「私たちが死生観を考えるとき、頭に浮かぶのは、やはり同じ文化・歴史をもつ日本人の先輩の姿しかない」と話す。
旧日本軍と自衛隊とは組織の上では断絶している。しかし国家や国民を守るという役割には共通のものがあり、若手世代も、責任感や勇敢さなどにつながりを感じる傾向がある、と40歳代幹部はいう。
しかし、「何が連続し、何が連続していないのか」について、必ずしも明確な基準があるわけではない。
幹部学校の教官は戸惑いを口にする。
「隊員に歴史観を「再教育するなんて、しょせん無理な話。何を手本にするのか。政府が先の大戦をきちんと総括し、我々に示してくれるのが先ではないのか」
◆自衛隊の歴史:
50年 警察予備隊が発足
54 防衛庁が設置され、陸海空3自衛隊が発足
91 湾岸戦争の戦後処理で海自掃海部隊をペルシャ湾に派遣
92 国連平和維持活動(PKO)協力法が成立。陸自をカンボジア派遣
01 米同時テロをきっかけにテロ対策特措法が成立、海自をインド洋補給活動に派遣
03 イラク戦争後にイラク復興支援特措法が成立、04年にかけ陸自や空自を派遣(これは派兵である)
07 防衛省に昇格
08 田母神・空幕長が懸賞論文で「日本が侵略国家というのは濡れ衣ぬ」などと主張。解任後に定年退職
◆自衛隊:
陸上(約13万8千人)・海上(約4万4千人)・航空(約4万6千人) 計約22万8千人の3隊があり、最高指揮官は首相。防衛相が指示を出す。3隊の運用の指揮・命令を担う統合幕僚監部の長である統合幕僚長が自衛隊のトップで、陸・海・空の各隊をそれぞれの幕僚長がまとめている。
階級は「将」「佐」「尉」「曹」「士」と続き、一番下の「3士」まで17ある。3尉以上が幹部と呼ばれる。
幹部教育に校長独自色/田母神氏、異例の新講義
自衛隊の教育は、「天皇の軍隊」としての性格を持った旧日本軍の反省に立つ。基本となるのが、61年に制定された「自衛官の心構え」だ。生まれ育った祖国やそこで暮らす人々、風土や文化に対する愛着と誇りを「正しい民族愛、祖国愛」と位置づけ、幹部教育が施されている。
幹部は、防衛大学校や一般大学から自衛隊に入るのが一般的だ。幹部候補生課程で最長で約1年間学び、3尉として幹部になる。1尉や3佐の時にも教育を受け、さらにトップ組の1佐は「幹部高級課程・統合高級課程」に進む。
共通するのは、戦略論や部隊運営といった指揮官の資質を高める授業に力点が置かれている点だ。戦前の反省から事実関係や知識を積み上げていく科学的な授業が重視され、「歴史観や国家観を真正面から取り上げる講義は原則ない」(防衛省幹部)。
ただ、課程の内容を決める権限は陸・海・空の各自衛隊の幹部学校長や、自衛隊の高級幹部を育成する統合幕僚学校長。校長の考えで内容が変わることもある。
田母神氏は、統幕学校の校長時代の03年、「日本の歴史と伝統への理解を深めさせる」として、現在の「幹部高級課程」の一部カリキュラムに「歴史観・国家観」の講義を新設した。これまでにない「異例」のことだった。
カリキュラムは「防衛学一般」と「安全保障戦略」に大きく分かれ、時間数は計 201時間。各国の軍事情勢、自衛隊の編成・運用、国際戦争法などを学ぶほかに、歴史観・国家観が13時間の枠で設けられた。歴史観・国家観の講師陣は「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーら、田母神氏の論文と同じ歴史観を持つ人が多く、これまでに幹部約 390人が受講した。
国会で批判を浴び、防衛省は来年度からの見直しを明らかにしている。
前空幕長論文の底流ー下/政界、共感が見え隠れ 081125 朝日新聞
制服組の自衛隊幹部が日本の侵略を正当化する論文を公表し、防衛相の辞任要求を拒んで定年退職となった。麻生首相をはじめ政治の側に、「文民統制(シビリアンコントロール)の危機」との切迫感がないことも大きな問題だ。それは一体なぜなのか。
(山田明宏、金子桂一)
批判の比重「立場が問題」
「自衛官が自らの国の歴史に正義感を持たずして、崇高なる任務を果たせないのは、ご理解いただきたい」
23日、福岡県東部の航空自衛隊築城基地で開かれた航空祭の祝賀会で、地元選出の衆院議員である武田良太・防衛政務官は、空自幹部やOBらを前に、田母神俊雄・前航空幕僚長を批判した後、こう付け加えた。
「我々は歴史認識を強要する権限は持ち合わせていない。自由な発想と自ら学んだことに信念を持つことは誰にも侵されない」とも語った。
麻生首相が「現役の幕僚長にありながらの発言は極めて不適切」と繰り返すように、政府・自民党内で問題視されているのは、田母神氏が「立場」を弁えなかった点に比重がある。「日本だけが侵略国家といわれる筋合いもない」「日本は穏健な植民地統治をした」との発言内容は、これまでも自民党の政治家の口から聞かれてきた。
日本の植民地支配と侵略への反省と謝罪を表明した95年の村山首相談話。この談話は、野党に転落した自民党が与党復帰のために「社会党首相」を担ぎ、ハト派で知られる河野洋平・現衆院議長が自民党総裁で外相だったという政治的背景の中で生まれた。そのため、首相周辺はむしろ、田母神氏の主張の方が「日本人の半分くらいが思っている」とみるほどだ。
田母神氏が最優秀賞を受賞した懸賞論文を主催したアパグループの元谷外志雄代表の人脈は自民党だけでなく、野党の民主党にも広がる。
田母神氏の参考人招致を翌週に控えた今月5日、鳩山由紀夫幹事長のメールマガジンが党内を揺さぶった。「余りにも私の思想とかけ離れた話をされていたので、途中でご無礼した」。
04年9月、元谷夫妻による「日本を語るワインの会」に夫婦で出席し、田母神氏とも同席したことを釈明する内容だった。
ワインの会は、元谷夫妻が自宅に政財界要人を招く懇談の場で、アパグループの雑誌「アップルタウン」の連載企画ともなっている。鳩山夫妻が出席した会では「日本には自虐的歴史観を持つ人も多いが、日本は中国に悪いことはしていない」などの議論が交わされた。米国の戦後占領政策への批判や日本の核武装論も語られた。
ワインの会の出席者には、安倍元首相、中川秀直元幹事長、浜田防衛相ら自民党議員に交じり、民主党からも鳩山氏のほか、山岡賢次国会対策委員長、田母神氏の参考人招致で質問に立った浅尾慶一郎「次の内閣」防衛相も含まれていた。浅尾氏は元々、元谷氏と深いつきあいはないが、田母神氏の論文受賞記念パーティーの発起人予定者に無断で名前を使われ、慌てて取り消すよう求めたという。
◆文民統制:
民主主義国家において、国民を代表する非軍人の政治家(シビリアン)が軍事をコントロールする仕組み。日本では過去に軍部が暴走した反省から、首相を自衛隊の最高指揮・監督権者とし、他国から攻撃があった時に自衛隊が武力行使する「防衛出動」の際は、国会の承認が義務づけられている。
制服人事に目届かず
自衛隊と政治との関係はどうなっているのか。
防衛省(旧防衛庁)では、主に背広組と言われる文官が、首相宮邸や防衛関係議員らとの折衝を担ってきた。制服組が官邸と直接、接点を持つようになったのは、96年1月発足の橋本内閣のころとされる。
橋本内閣は97年1月、当時、危機管理を担当していた内閣安全保障室に現職自衛官を初めて起用。橋本首相が首相公邸に幹部自衛官を招いて懇談することもあった。直前の村山内閣時代、阪神大震災やオウム真理教事件など、政府の危機管理能力が問われる事態が相次いだことが背景にある。
自衛隊の任務は01年の米同時多発テロ以降、海自のインド洋給油、陸自や空自のイラク派遣へと拡大。自民、民主両党の防衛関係議員が制服組から直接、意見を聴く機会が増えた。「防衛省内でも、幕僚長が直接、大臣や事務次官に意見を述べる場面が増え、発言力が増した」(防衛省幹部)という。」
しかし、「防衛問題に関心を、持つ国会議員が少ない」(自民党防衛関係議員)という状況の中、「防衛族以外には、自衛隊は票田に過ぎない」(政府関係者)との見方もある。自衛隊員は全国で約27万人。北海道など自衛隊の基地や駐屯地を抱える選挙区では、自衛隊票は無視できない。政治家が票ほしさに自衛隊に遠慮し、自由な発言を許しているーーというわけだ。
制服組の人事に対する政治のチェックも甘いままで、政府見解に反する信条を持つ田母神氏が空自トップにまで上り詰めるのを許してしまった。
制服組の1佐以上の幹部人事は、制服組が作成した人事案を内局の背広組が点検し、大臣が決裁する。しかし、「大臣や背広組は制服組をよく知らないので、制服組の意向がそのまま反映される」(防衛省幹部)のが現状だ。陸海空の各自衛隊トップの幕僚長の任命権者は大臣だが、「勇退する幕僚長が事実上、後任を決めい事務次官と調整して大臣に了承してもらうケースが多い」(同)という。
防衛庁から「省」に昇格して1年10カ月。この間、トップの大臣が6人目というサイクルの短さも「統制する側の大臣が、制服組になめられる要因」(民主党防衛関係議員)という。
「負の歴史」全否定は不健全/西原正・前防衛大校長に聞く
京大卒。防衛大教授、防衛研究所部長を経て00~06年に防衛大校長。現在は平和・安全保障研究所理事長。専門は国際政治。71歳。
これからの幹部自衛官は、海外に行く機会がふえる。どんな歴史上の事件があり、アジアの人々の間で問題になっているのか知った上で、反論する必要があれば自分なりの根拠をもつことが重要だ。
田母神氏の論文について言えば、歴史的事実にはいろんな側面があることを踏まえて書いてほしかった。どの国にだって人に語りたくない暗い歴史の裏面がある。過去の間違いをすべて否定して、だから自分の国はすばらしいと言うのは不健全ではないか。
背景には、海外任務などに派遣される際、政府は自分たちに十分な権限を与えていないとか、自分たちの立場や名誉が認められていないといった不満があるのかもしれない。
自衛官にも思想の自由、考え方の自由はある。作戦を練る時に部内で熱心に議論するように、歴史についても自分たちの思いを大いに議論すればいい。しかし、公務員である以上、政府見解と明らかに違うことを公言するのはおかしい。米国でも軍のトップが「イラク介入反対」と言えば解任される。(聞き手=編集委員・谷田邦一)
◆田母神論文 政府は歴史認識を語れ 081120 朝日新聞
東京大准教授(ジャーナリズム・マスメディア研究) 林香里
日本の侵略の過去を否定した田母神俊雄・前航空幕僚長の論文問題で、どうしても気になることがある。
田母神氏の歴史観そのものではない。挑戦状を突きつけられたともいえる政府側の対応と、それを監視する役割があるはずのメディアの姿勢だ。
麻生首相は11日夜、「文民統制をやっている日本で、幕僚長というしかるべき立場にいる人の発言としては不適切。それがすべて」と語ったそうだ(本紙12日朝刊)。
田母神氏に「言論の自由」があるという論理を盾にして、いまだに政府としての歴史認識を語ることを避けている。
メディアの多くもこれに引きずられてしまい、文民統制や任命責任などに重きを置いて報道してきた。
しかし、ことは思想や歴史観の問題だ。文民統制や任命責任といった手続き論も重要だが、「それがすべて」と簡単に片づけるわけにはいかない。歴史認識は、特別な政治的アジェンダ(議題)として政府と国民が認識を共有するべきだ。そのための努力を怠ってはならないという責任感が、政治家にもメディアにも欠落していないか。
一方の田母神氏は11日、参議院の参考人招致で、「ヤフー(のネット調査)で58%が私を支持している」と語り、多くの人が自分を支持してくれているという認識を示した。誤った見解は、正しい見解が出されない限り修正されない。
政府やメディアが手続き論に終姶しているようでは、田母神氏を支持するゆがんだ世論は放置されてしまう。それどころか、国民の意識の中で、「ひょっとすると首相も、閣僚も心の中では田母神氏の主張に賛成しているのでは」という疑念も広がりかねない。
問題の論文は、私のように歴史の専門家ではない人間から見ても、誤った歴史観に基づくきわめて稚拙な内容だ。戦後60年以上たった今もなお、「我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者」で「侵略国家と言われるのは濡れ衣だ」と公言する人物が自衛隊を率いていた事実に驚く。
首相や浜田防衛相は、本質的な議論をうやむやにしたまま問題を幕引きしてはならない。田母神氏の主張のどこが、どう間違っているのかを一つずつ具体的に指摘し、正すべきである。
首相が率先して田母神氏の主張に反論し、政府が毅然とした姿勢を示すことで、文民統制をより強固にできる。
メディアは目の前のできごとや専門家の見解を報じるだけでなく、早く公式見解を出すよう首相に迫るべきだ。その見解の妥当性を検証して初めて役割を果たしたことになる。
■「歴史観」の講師は桜井よしこ氏ら/統幕学校の内容判明
日本の侵略を否定する論文を発表した田母神俊雄・前空幕僚長(60)が更迭された問題で、防衛省は19日、田母神氏が、自衛隊の高級幹部を育成する統合幕僚学校の学校長時代に新設した「歴史観・国家観」の講義に招いていた外部講師の名前や講義内容を明らかにした。
ジャーナリストの桜井よしこ氏や作家の井沢元彦氏らが招かれていたほか、元海将補の坂川隆人氏や、「新しい歴史教科書をつくる会」の副会長を務める大正大学の福地惇教授らが講師を務めていた。
講義内容は日本の歴史の特徴や節目の出来事、集団主義など日本人の価値観の特徴についてなど。「現在の日本の歴史認識は、日本人のための歴史観ではない」とする内容の講義もあった。
防衛省は「様々に考えることに意味があり、異質なことを話したからすぐに問題だ、と言うわけではない」としつつも、来年からは「(人選や内容で)よりバランスを取っていく」としている。
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●中国の日本軍侵略そのもの 無職 坂井幸郎(東京都杉並区 91)
航空自衛隊のトップによる論文を批判した15日の本欄の「戦争への無知暴露の観念論」を読み、大いに感じ入りました。
私は1938(昭和13)年に召集され、武漢三鎮戦のため河北省の保定から江西省の九江までの麦畑地帯を行軍しました。
友軍の後だったので私自身は住民を殺傷し物を奪うことはしませんでしたが、住民が逃げた廃屋の壁に「東洋鬼到処殺人放火」と大書されていたのを忘れられません。
行軍中の病気で内地送還となり、復員して病院に見舞いに来た戦友からその後のことを聞くと、女性に乱暴したあげくに殺すなど相当ひどいことをしました。このように日中戦争は紛れもなく侵略戦争そのものでした。
軍国主義、忠君愛国の環境下で育った者にとって「日中戦争は蒋介石に引きずりこまれた」などの侵略否定論は、実際の戦争を知らない戦後生まれの無知蒙昧の観念論・歴史観であり、戦争を知る者たちが戦争がどういうものであったかを語り継いでいかなくてはならないと思いました。
●歴史書き換えを許してならぬ 主婦 金子洋子(宮城県大和町 73)
「戦争語り継ぐ大切さ知った」(13日)を読み、15歳の少女が空幕長の論文に対し自分の考えをしつかり披露していることに感動した。
私は論文の要旨を新聞で見たが、あまりの独りよがりの考えに驚いた。満州事変後の悲惨な15年戦争を田母神氏はどう受け止めるのか。日本は朝鮮や中国、東南アジア諸国を侵略しなかったと胸を張って言えるのか。悲しいかな、否である。
誰しも自国の犯した過ちを認めるのはつらいことだ。しかし、歴史を自分に都合良く書き換えるのを許すことは出来ない。そのことはドイツに学ばなくてはならない。
先日亡くなられた筑紫哲也氏は私と同世代で、新憲法が発布された時に光が差したような感動を覚えたと語っておられたが、私も全く同感だ。
軍部の独走で泥沼のような戦争に巻き込まれた過去を決して甦らせてはならない。戦争放棄を明記した憲法を順守し、悲惨な戦争体験者の一人としてしっかりと後世に語り継いでいきたいと、改めて強く思わされた。
●戦争語り継ぐ大切さ知った 081113 朝日新聞声
中学生 和田 紗容子(仙台市泉区 15)
「侵略を知らぬ空幕長の空論」(6日)を読んだ。元兵士の方の言葉は一つ一つに重みが感じられ、空幕長論文を新聞で読んだ時に感じた疑問に答えをもらった思いだ。
歴史の教科書では日中戦争の発端から日本の敗戦まで数㌻にまとめられている。しかし、この戦争で多くの命が失われ、残虐なことも行われた。資料集や授業でのビデオで概要は知っているが、私は戦争についてもっと多くのことを知りたいと思っている。
投稿には生の声を感じた。私たちはそういうものを大切にして、平和を守っていかなければならない。いつの日か日本中に一人も戦争を体験した人がいなくなる日が来てまた同じ過ちが起こるかも知れない。平和を守り抜いていくには私たちが伝えてもらった戦争の恐ろしさをしっかり受け止め、次の世代に伝えていかなければならない。
日本の戦争は侵略で、戦争は二度とあってはならず、人の命は地球よりも重い……。94歳の方の言葉は、空幕長論文で中国の方々にすまないと思っていた私の気持ちを少し和らげてくれ、戦争を語り継ぐ大切さを改めて知らせてくれた。
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◆◆田母神氏の参考人招致 11日 081112 朝日新聞
◆懸賞論文・アパとの関係 田母神俊雄(前航空幕僚長)・浅尾慶一郎(民主)・井上哲士氏(共産)・浜田防衛相
浅尾:アパグループに応募した懸賞論文 235件のうち94件が自衛官からだ。
田母神:私は航空幕僚監部の教育課長にこういうものがあると紹介はした。私が(応募を)指示したのではないかと言われるが、私が指示したなら1千を超える数が集まると思う。
浅尾:参考人は今年6月、アパグループの元谷(外志雄)代表の出版記念パーティーに行っているが、公用車を使ったのか。
田母神:公用車を使っている。
浅尾:代休を取った時に公用車を使うのは不適切ではないかと指摘したい。車代などの授受はあったか。
田母神:車代などを受け取ったことはない。資金提供などは一切受けていない。
井上:元谷氏は昨年8月21日に小松基地でF15戦闘機に搭乗し、48分間、飛行体験している。小松基地で元谷氏以前に民間人をF15戦闘機に搭乗させたことはあるか。
浜田:確認できる範囲では、06年度と08年度にそれぞれ計3回実施した。
井上:民間人の自衛隊協力者の戦闘機飛行は極めてまれだ。その際の手続きと最終決裁者は。
浜田:航空機の使用及び搭乗に関する訓令に基づき幕僚長か権限を委任された部隊などの長が、自衛隊の広報業務を遂行するにあたり、特に有効な場合などに承認している。元谷氏の体験搭乗は当時の航空幕僚長が承認した。
井上:承認した航空幕僚長は田母神氏だ。なぜ異例の便宜供与をしたのか。
田母神:元谷氏は「小松基地金沢友の会」の会長として、第6航空団及び小松基地所在部隊を強力に支援して頂いた。その10年間の功績に対し、元谷氏から希望があり、希望者は多いが、そのなかで部隊の要請に基づき許可した。
井上:今回の懸賞論文に小松基地から大量の応募があったのはなぜか。田母神氏が1位になり、 300万円という高額な懸賞金を手にしたことと便宜供与とが関係ないのか、検証をすべきだ。
◆懲戒処分見送りの経緯 犬塚直史氏(民主)
浅尾:田母神氏の論文は、自衛隊法第46条の懲戒処分の規定にある「隊員としてふさわしくない行為」で、疑義がある。
浜田:政府見解と異なる論文を(航空幕僚長という)立場にありながら公表したことが問題だと認識している。
浅尾:(懲戒免職のための)審理時間が取れなかったので、定年退職の措置をとったのか。
浜田:結果的には、そういう判断をした。
浅尾:自衛隊法の施行規則第72条は「任命権者は規律違反の疑いがある隊員をみだりに辞職させてはならない」とある。(定年退職は)施行規則に反するのでは。
浜田:(田母神氏が)とどまることによる自衛隊員の士気への影響も勘案した。理由がしっかりある。
浅尾:(空自隊内誌の)「鵬友」(昨年5月号)に同じ趣旨の意見を発表している。内局などから注意があったか。
田母神:注意はなかった。
浅尾:昨年5月段階で問題がなかった。今回問題になったのは、マスコミが大きく取り上げたからか。
田母神:騒がれたから話題になった、と思う。
浅尾:「鵬友」に載った段階で政府見解と異なるなら指摘すべきだっだ。
浜田:その時にチェックできていなかったのは事実。それが多くの隊員に影響を及ぼしたのではないかという可能性は否定しないが、我々はその点をチェックしていないので、影響の有無はお答えできない。
浅尾:別の雑誌に同じことを書き、問題になっていない。防衛省の基準があいまいだ。
浜田:ダブルスタンダードのないように、しっかりとした基準を作りたい。
浅尾:94人の航空自衛隊員が懸賞論文に応募した際、田母神氏と同趣旨のものが相当数あったのでは。
浜田:田母神氏と同じ趣旨のものはなかったと聞いているが、調査段階だ。
浅尾:企業主催の懸賞論文を教育課長が隊員に通知することは一般的なのか。
浜田:今回のような形は初めてだ。応募を禁止しているわけではないが、今後考えなければならない。
浅尾:教育課長の行為は、自衛隊法46条の「隊員としてふさわしくない行為」ではないのか。
浜田:指摘を受けた点は検討しなければいけない。
犬塚:田母神氏の言動は、国会の決定を行政府が粛々とやるという国家の原則に対する挑戦ではないか。
浜田:私も大変憤慨している。極めて不適切で極めて重大な発言。一番早い形で辞めてもらうのが重要だと思い、退職して頂いた。
◆文民統制と歴史認識 北沢俊美・参院外交防衛委員長(民主)・浜田昌良氏(公明)=浜公・山内徳信氏(社民)
北沢:制服組のトップが首相の方針に反したことを公表するという驚愕の事案。政府・防衛省において、文民統制が機能していない証しだ。
浅尾:田母神氏は今年5月に東大で講演している。
田母神:石破大臣(当時)から十分注意して発言するようにと注意を受けた。今回の論文に比べれば柔らかい表現にした。
浅尾:(論文は)集団的自衛権の行使を認めるべきだという趣旨で書いたわけではないのか。
田母神:特にそこまでは訴えていない。
浅尾:そういうものがなくてなかなか大変だと書いている気がする。
田母神:今は、もう改正すべきだと思っている。
浅尾:憲法を改正するべきだと思っているのか。
田母神:はい。国を守ることについて、これほど意見が割れるようなものは直した方がいいと思う。
浅尾:なぜ今回、問題になったと考えるか。
田母神:私は村山談話と異なる見解を表明したと更迭された。シビリアンコントロールの観点から、私は(村山談話と)見解の相違はないと思っているが、大臣が相違があると判断して私を解任するのは政治的に当然だと思う。私の書いたものはいささかも間違っているとは思っていない。日本が正しい方向に行くためには必要だ。
村山内閣総理大臣談話
「戦後50周年の終戦記念日にあたって」
(いわゆる村山談話) 平成7年8月15日
先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、改めて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。
敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、改めて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。
平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。特に近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼に基づいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えに基づき、特に
①近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、
②各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、
③現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。
いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。
*わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。
また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。
「杖るは信に如くは莫し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。
犬塚:辞職するか、懲戒手続きの審理をするか、意思表示をしてくれと言われ、どう感じたか。
田母神:当然、自衛官も言論の自由が認められているはずだから、言論の自由が村山談話で制約されることはないと思っていた。私のどこが悪かったのか、審理してもらった方が問題の所在がはっきりすると申し上げた。
犬塚:参考人は統合幕僚学校の校長の経歴をお持ちだ。
田母神:国の方針とかいろいろあるが、学校の中では、いろんなことを自由に議論しましょうということ。議論もできないなら、日本は本当に民主主義国家か。政治将校がついている、どこかの国と同じになっちゃう。
浜公:懸賞論文をどういう意図で紹介したのか。
田母神:いま日本の国が悪かったという論が多すぎる。日本は良い国だったと、見直しがあっても良いのではないか。びっくりしているのは、日本は良い国だと言ったら解任された。責任の追及も、良い国だと言ったような人間をなぜ任命したのかと言われる。ちょっと変だな。日本が悪い国だという人を就けなさいということだから。日本ほど文民統制が徹底した軍隊はない。日本では自衛官の一挙手一投足まで統制する。論文を書いて出すのに大臣の許可を得ている先進国はない。これ以上やると、自衛官が動けなくなる。自衛隊を言論統制が徹底した軍にすべきではない。
浜公:言論の自由はあるが、政府見解をベースに考えるのが基本だ。今回の論文は逸脱を感じないか。
田母神:逸脱を感じない。政府見解で言論を統制するということになる。
井上:(田母神氏が校長を務めた)統幕学校で国家観・歴史観という項目を設けたというのは事実か。
田母神:事実だ。やはり、我々は良い国だと思わなければ頑張る気になれない。悪い国だ、悪い国だと言っていては、自衛隊の士気も崩れる。きちっとした国家観、歴史観を持たせなければ国は守れないと思い、そういう講座を私が設けた。
山内:田母神さんの論文なるものは事実に反する。
田母神:悪いことを日本がやったというのであれば、では、やらなかった国はどこですか?日本だけが悪いと言われる筋合いもない。
山内:(論文を読んで)田母神氏は相