ミュウタントのブログ

日本国憲法第9条は地球人類の宝、それを改悪するための日本国憲法第96条の改正に反対!

差別、否定的な表現で掲載不可、でも同じ趣旨の記事は掲載されました、ウ~ん

2009-07-06 17:25:00 | インポート

特別管理下にあるということでしょうが、それでも間違っていると思います。
 公共の福祉というのは権利と権利がぶつかったときの調整概念であって、対権力との調整概念ではないと考えます。 |

 
反論 横です。(※論点がずれるので) 国家?行政府?の権力は、市民が常にチェックしなければいけません。
けれど、社会全体の運営という観点からすれば、市民も行政と協力して社会を作っていくパートナーで有るべきではないでしょうか。権力イコール対立構造という考え方は、硬直かつ古臭いです。
60年安保ですか。

差別否定的な反論ということで非掲載になった私の反論
古臭くはありませんよ、現にパートナーシップだと言っていた教育労働組合幹部は、不起立を支援しないなど闘う教師を切り捨てようとしていますから。今まさに、譲歩したことで、懐に土足で踏み込まれる状態を日教組幹部が作り出してしまっています。
 さらに民間では、会社のためだと正規労働者は、不正規労働者が解雇される今になっても知らん顔を決めています。

 これが否定的で、差別的で、否定的な表現だとgoo ニュース畑のスタッフが判断したようです。
日教組のだら幹たち、そして今の連合内組合のほとんどがこの通りだと思って書いたのですけど、独りよがりだと判断されたようです。

それでこっちは、掲載されたから不思議です。

今不起立をかわるがわる行っている教師達は、日教組本部からも切り捨てられようとしています。本部は文科省のパートナー宣言を行っていますから。それでも、だら幹たちの思いを蹴散らし、ここで踏ん張らないと今まで自分達がやって来たことはなんだったのかという思いもあって、不起立をつないで来てますね。
 社会のルールといいますが、法律や行政指導が間違っていると声を上げることは、国民の権利だと思います。
 ましてや子どもが学業世代でない大人達にとっては、まったく関係のない世界に感じています。一番いい例が、国立大学独立法人化のときに、一般の人はほとんど関心ありませんでした。ことは『学問の自由の放棄』という大学に自治をも揺るがす事件だったにも拘わらず、すぐ成果に繋がらないような研究には、予算や、補助金をカットしますということになんら興味がない人にとってはどうでも良かったかのように映っています。
 だから、基礎研究が大切だと叫ばれていながら、世界から遅れを取ってしまい頭脳流失を招いています。学生から人気のない授業のこまを持っている先生方は、自分から大学を去っていきました。
 一自治体の長の発言をたたき台にして、これだけの人が、関心を持っているということに感慨を覚えます。子ども達にとって、国旗を掲揚すること、国歌を歌わせることがどういうことに繋がるのかということを、再び考えるきっかけにはなりました。