ナイトパブ ゲラン雅
催し物などでお世話になっていた、ミユキコンパニオンの(取)浜松支店長だった三世(みつよ)千恵子さんが
佐鳴台のホワイトストリート沿いの高台に自分の店を開業した。白い家でよく目立った。
ドア-を開けて入ると、二つのフロアーになっていて、それぞれにカラオケがあり、小さなテーブルが幾つか置いてあった。
“あら、いらっしゃいませ、どうぞ”八代亜紀の“舟歌”が流行っている頃だった。
でもいつしか店は変わっていた。
巴
千歳町中通りの南に巴というクラブがあった。ママは金子昌代さんと云った。
いつも和服で或る時間になると、それぞれのテーブルを回って挨拶をされていた。
ドアーを開けて入ると、一階はすぐ左側が簡単なカウンターになっていて、厨房があり、テーブルが幾つか置いてあり、
奥が鏡になっていて、白いピアノが置いてあった。
右側に階段があり、上がると一階の三分の二位の広さで、一階が見渡せた。和子さんという人がよく一緒についた。
9時過ぎになると、決まって巡回のピアニストが来て何曲かピアノを弾いて帰った。
落ち着いたよい雰囲気のクラブだった。今は別のお店に変わっている。