☆お茶目なオカヤドカリ観察日記☆

オカヤドカリを飼う50代主婦の様々な備忘録的ブログ

相続を放棄

2024-08-17 20:24:00 | 近況報告
こんにちは。
ご無沙汰してますが
皆さま、お元気でしょうか?

毎日、暑いですねー。

暑くて
エアコンのついていない場所
(階段、廊下、トイレなど)の掃除が
なかなかやる気になれなくて、
手抜きをしがちです。🤭

ところで早いもので、父が虹の橋を渡って
3か月が経ちました。

父がこの世界中🌏のどこを探しても
もうどこにもいないのに、

たまにふと、
実家のいつものソファに座っているような

そんな錯覚がしちゃう時がまだあります。

しかし、
現実世界では
ちゃんと進行していかなくてはならない
【相続】という手続きがあって、

6月にわたしが盲腸で入院してたせいで
遅れちゃったけど

つい最近、
司法書士の先生に実家(例の汚屋敷)に来ていただいて
やっと進めていくことができました。

まだ完全には終わってないけど、、、
わたしは
相続を放棄することに決めました。

今回はそのお話しです。





父は金銭感覚が
ちょーテキトーで、
宵越しのゼニは持たないタイプ。

子孫に残そうなんて
全然思ってなかったようで、

あとに残ったものは
財産は実家の土地と建物
(築30年くらいでボロボロ)。

預金残高30万円弱。
(三百万じゃなくて三十万ですよ。
老後2,000万円問題とかを意識してなさすぎてびっくり)

車(査定額2万のポンコツ車)1台。🚙
以上。

でも、借金がなかったから
それは本当によかった。😅

そんなかんじで
実家が裕福ではないことは
初めからわかっていたから
何にも貰えないだろうなぁと
覚悟はしていた。

でも、人間は感情の生き物。
例に漏れず、わたしも感情にひっぱられるできごとがあった。


じつは先月、
兄から電話がかかって来て、

「おまえは相続を辞退するだろうけど、
もし土地の権利を分けて欲しいなら、
住んでなくても、固定資産税はその分払ってね」
と言われた。

電話を切ってからしばらくして思った。

相続を辞退するかどうかは、
わたしの【善意】にかかっているのに、

兄から遠回しにそうしてくれと
言われたような気がしてきて

時間が経てば経つほど
ムカついてきてしまった。

まるで言葉の裏に
『お父さんの残した愛情は
おまえには鐚一文(びたいちもん)
くれてやるもんか』

って言われたかも??
と、思えちゃって。

(これってかなり湾曲した考えだけど、
その立場に立った方ならわかってもらえますよね?)

んで
数日後、
母から電話がかかってきた時、
ついでに
そのことについて話した。

「土地と家については
わたしは住んでいないから
相続しない。
けど、お金は遺留分は
請求させていただくね。」

と、感情的になりすぎない程度に
伝えた。

母はその時『うん、わかった』と
言った。

だけど、今思えば
あの発言はやっぱり感情的だったなと反省。
子供たちがお金で揉めそうになるのって、多分、母としては悲しかっただろうなぁ。

冷静に見て、
これは父親の残した愛情(らしきもの)
の奪い合いじゃないか?

いい年して、まだ父親の愛が欲しいなんてね。笑
別にわたしより兄貴のが愛されてようが、わたしはわたし。これまで通りの自分だ。
分け前なんかなくても生きて行けるはずだ。


そもそも預金残高30万円からの
わたしの遺留分なんて7万円くらいだし。

たったのそれだけもらって
そのことでケンカして
実家と気まずくなるなんて
ばかばかしい。


そして少し遠い未来のことも考えてみた。

もし仮にわたしが先に星になって
実家の母や兄(←50代独身)のが
長生きした場合、

わたしの息子が
何かしら2人から頼られるとしたら?

…わたしのせいで
実家🟰あまり仲がよくない親戚
にしてしまうと、
息子がもやもやした気持ちで
わたしの実家と付き合うことになる。

せめて、
気分よくお付き合いできる関係
だけは維持しておくべき?
うん、そうだよね?
と、
やや無理やりカッコつけた理屈で
頭に登ってる血を落ち着けた。


それと、
父の残したその預金からの
葬式や諸々の経費を考えてみた。

お葬式代(香典から差し引きして
多分5万円くらいで済んだみたい)

司法書士の先生への支払い
(書類や印紙代含めて約16万)

海洋葬の予定なので、
散骨代で最低5万円くらい。

そして
まだ処分してない父の車の🚙
税金と保険料も兄が一旦払ったから

預金はもはやマイナスだと思う。

お兄ちゃんは不動産を🏠
もらったんだから
わたしにはお金を頂戴よ!なんて、
図々しいことは言えない。

そりゃ
パッと見た感じ
お兄ちゃんばっかり
色々もらってずるいなぁ〜って
思えるけど、

近くに住んでいても
実家から離れて生活してるから
わたしが知らないでいる
兄の感じている
プレッシャーやストレスも
多分、あるんだろうなぁ。

年老いて行く母と暮らしていくんだもんね。 


ということで
わたしは相続を辞退した。


ただ、夫にそれを報告するときは
心が痛かった。


なぜなら
今、(夫、息子、わたしの3人)家族で
住んでいる土地は
夫の親から相続させてもらえることに
なっている。(感謝しかない)

なのにわたしの実家からは
【0円也】
って、ほんとに申しわけなさすぎる。

もし夫に不満を言われたら
どうしよう。🥲肩身が狭いよ〜

ってビクビクしながら報告したら

『あ、そうなんだ。まるく収まったなら
よかったね』と言ってもらえ、
わたしはとにかくホッとした。😮‍💨安心
(今回の相続で1番、わたしの心のプレッシャーだったのはそれだったのかも知れない)

そうよね、そもそもわたしの実家を
当てにするような
つまらない人ではなかったんだ。
(マジほれなおした🥰)

という事で、感情が一周まわって
相続放棄という
1番いい所に着地しました。

わたしは今回、
お金や土地は
もらってないけど、

運の良さと直感をご先祖さまから
いただいているから
それで大満足です😊



ではまた👋😉

いつも読んでくださってありがとうございます♪

地球人の感情って、めんどくさいけど
面白いね。いい経験しました。



おまけ

財産が少ない家ほど
モメるらしいので
遺言書は書いておいた方がいいらしい。

特に一軒の家しかなくて
兄弟が複数だと
分けるのが難しい。

仲良し兄弟でもお金が絡めば
話はこじれるから。


父は77歳で3回目の入院で
星になった。

2回目の退院した時に
母が遺言書いて!と
たのんだら
「まだ早い」と断られたらしい。

今回わたしが大人しく辞退したから
良かったものの、
請求することだって当然できた。

だけど、
そうしたらお互いに嫌な思いをして
ずっと心にしこりを残したまま付き合うか、
ひどければ絶縁状態になりうる。

父にはぜひ、書いておいて欲しかったな。
そしたら無駄に
モヤモヤしなくて済んだのに。

我が家も夫に
息子が結婚するときにでも
書いてもらおうと思うし、
わたしも一緒に書いておこう。

どうかみなさんも、
残された家族が
気分よく付き合っていけるように
遺言は早めに書いておいてほしいです。





また虫垂炎⁉️🥹

2024-06-19 09:56:00 | 近況報告
こんにちは。
タイトルにも書きましたが
なんと、また虫垂炎になってしまいました🥹

本当、

『はぁ?またかよっ!?』

って突っ込まれてもしかたない。😓

もう絶対なりたくない!
なるもんか!って決めていたのに。

しかも父が亡くなって1カ月経たないうちに
同じ病院に入院するなんて
全く想像してませんでした。

6月13日(木曜)から入院して
今日で一週間。


今回も抗菌薬で抑える治療です。

(患部が酷くて切るとなると
大手術になるため、一旦落ち着けて、
退院後、3ヶ月以上して
いい形にしてから手術したほうが
体に負担が少ないので)

今回は同室の方が
おばあちゃん3人です。

そして今回も
ラスボスばぁちゃんがその中に
1人います。
世の中には
病気してもパワフルな性格のおばあちゃんが
たくさんいるんだなぁと、
実感しました。

そしてもう1人のおばあちゃんは
普通に優しくて上品。

さらにもう1人のおばあちゃんは
寝たきりで、気弱で謝ってばかりで、
しくしく泣いてばかりの人。

世の中の縮図です。

また退院して落ち着いたら改めて
ブログ書きます。











小さなお葬式の火葬式

2024-06-09 22:00:00 | 近況報告
こんばんわ。
今朝7時、雨のそぼ降る中
なんと町内草刈りが決行されまして、、、

クタクタで帰宅してから
昼寝(っていうか朝寝?)していました。

しかも、雨だから町内の皆さん、

「回覧板に書いてあったように
たぶん来週に延期するだろう!」

と思ったのか、
役員の人が町内をガランガランと
ハンドベル🔔をならして
練り歩いたにもかからず、

出席者がめちゃくちゃ少なく
いつも50人くらい集まるのに、
たった15人くらいしか居ませんでした😅😅😅

来週じゃだめだったのかな?
って、出席したまじめな人たちはみんな
きっと思ってたにちがいない。
🤢🥴😑🫤😤😓😶🥱😫😕😔☹️🤔😞



さて、今日は【小さなお葬式】をあげた時の
備忘録と感想を書きたいと思います。

どなたかの参考になれば幸いです。

(話は前回の続きからです)

病院のICUの家族用の待合室で
兄とわたしで
葬儀屋さんをどこにするか
焦りながらスマホで検索し

生前の父の意向で
「葬式なんてやらなくていい。
とにかくシンプルに火葬してくれるだけでいい」
ということで

兄が選んだのは
小さなお葬式の中でも最安値の
「ちいさなお別れ葬」



この写真を見てわたしは
えー😱しょぼすぎる。そりゃ無いよ。

せめて仏具のセットとお花と
あとお坊さんにお経をあげてもらう
でしょ?

どんなに省いてもこれくらいは↑
選ぶのだろうなーと思ってた。

なので母が反対するかな?と
思ってたら
「お兄ちゃんがそう言うならそれでいいよ」
と言い、

兄が葬儀屋さんに電話をかけて
話しが進んだ。


1時間くらい待っていたら
看護師さんが
『葬儀屋さんがお見えになりましたので
こちらに来てください』と廊下に呼ばれた。

廊下には
棺に入った父が乗ったストレッチャー(キャスター付きのベッド)と
担当医と看護師さんたちとともに

スーツ姿の葬儀屋さんが2人みえて、
(1人は営業マン、もう1人は霊柩車の運転手)
営業マンから名刺を渡された。

驚くことに、名刺には
地元で有名な大きな葬儀屋さんA社(地元で何店舗かある葬儀屋さん)の屋号が書かれてた。

(あとで話をきいたら
【小さなお葬式】というのは
それを行う葬儀会社を全国で募集してて
たまたまうちの地域は、A社が担当してるということだった。
まるでJAFみたいだなって思った🚗)

そして今後の流れと、遺体の安置(火葬する日まで預かってもらえる)のために今から一度A社に来てくださいと言われた。

そして父の乗ったストレッチャー
とともに、
一般の人が通れない通路をゾロゾロと歩いて
エレベーター🛗に向かった。

エレベーター前で
担当医と複数の看護師さんたちに
お世話になりましたと挨拶をして
下の階へ降りた。

ナビ役の看護師さんが
複雑な道順を案内してくれて
暗い出口に着いた。

何度も訪れた事があるその病院に
こんなふうに悲しい専用出口があることを
初めて知った。

そこにとめてあった霊柩車に
父が乗せられて
一足先にA社に運ばれて行った。

ナビ役の看護師さんが
わたしたち家族を一般の出口まで
案内してくださって
わたしたちもA社に向かった。

駐車場につくと先ほどの営業マンが
「こちらの事務所にどうぞ」と
案内してくれた。

4人がけのテーブル席で
プランの確認と書類の記入などをした。
死亡届けの手続きはやってもらえるらしい。

病院で書いてもらった死亡診断書のコピーも
複数枚、用意してくださった。


火葬場の予約が翌日14時でとれて
本当に火葬だけの
通夜式なし、告別式なしで申し込みが完了した。


父の遺体は一晩
A社で預かってくださって、

明日、火葬場まで運んでくださるということだった。

(A社では、たしか2泊まで無料で預かってもらえて、
それを超えるとドライアイスを足すから追加料金が発生するらしい)

このプランのデメリットは
遺体は安置をしてくれるけど、
親戚とかがお参りしたいと
問い合わせしてきても絶対に対応は
してもらえないこと。


遺体安置場所がどんな部屋が
わたしには想像はつかないけど、

おそらく
祭壇のあるような場所ではなくて
スタッフのみが立ち入れる
室温低めの地味なお部屋なんだと思う。



ところで余談だが、
火葬の予約をとってもらってる間に


50代でいまだ独身の兄が
礼服を持ってるのか気になって
聞いたら
「あ〜、あるよ」と言った。

けど母が、
「あんな成人式のスーツなんて、サイズがもう変わって着れないでしょ!?
あれは紺色のスーツで、礼服でもないし。もう礼服くらいは持ちなさい。前から買いなよ!って言ってたのに。」と言った。

どうやら兄はこの30年間、
とても平和🕊️に過ごしてきたらしい。
羨ましい話しだ。

葬儀社の事務所から出たら午後になっていた。

お腹すいたから3人で何か食べに行くだろうと
思ったら
このまま兄の礼服を買いに行くから
ここで解散ねと母に言われて帰宅した。


翌日は火葬場に直接来てくださいと
葬儀屋さんに言われた。

わたしの息子(父にとっては唯一の孫)も
参列したいということで
大学をやすんだ。

本当なら夫も参列するべきだったのだけど
じつは白内障の手術を受けたばかりで
安静にしてなくてはいけない期間だったので

式は、母、兄、わたしと息子の4人だけが
参列した。

そもそも父は友達も少なく、
退職してからずいぶん経ち、
会社の仲間との付き合いも薄れてたし、
親戚も少なく、妹とも仲が悪く
呼ぶような人が全然いなかった。


せめて棺になにか入れてあげて
賑やかにして送り出してあげたい。

たしか数年前に参列した葬儀で
故人のお顔まわりに
お花をたくさんいれてあげたことがあった。

火葬場によっては断られるかもしれないけど、
だめなら持って帰ってこればいいからと思い、

朝イチで花を買いに行って
ゆり(匂いがある花は仏様にはダメだと言われるけど、父の産みの母親がユリさんという名前だからわざと選んだ)とか菊とかカーネーションとか沢山買った。

母は泣き崩れてるし
兄はのんびりしてるから

火葬したあとに父のお骨を連れて帰宅しても、
祭壇に飾ってあげる花の用意なんてしてないだろう。

なので自宅祭壇用と火葬式用に
花を選り分けた。

そういえば、母はあちこちの神社参拝して
ご朱印を集めていたけど
父の分はあるのかな?
あと、数珠も入れてあげれるはず。

あと持たせてあげられるものは?

あぁ、そうだ手紙✉️書こう。
と、父への手紙を書いた。

大した思い出なんてないと思っていたのに、
便箋を目の前にすると
涙でなかなかペンが進まなかった。

小学生のころ、
風呂上がりの父に
「はい牛乳🥛!」って
米の研ぎ汁をグラスに入れて渡したら
「わぁ、ありがとう!」って
素直に飲んじゃって、
志村けんみたいにぶーっ吹き出して
めちゃくちゃ怒られた。
あの時ごめんなさいとか
そんなことも書いた。

忘れてしまっていた
色々な思い出が鮮やかに次々浮かんだ。


午後、実家に一旦立ち寄り
兄の車に乗り合わせて行くことになった。

御朱印帳と数珠の話しをしたら
母が「ああ、あるよ!」と出してきたので
花を入れてきた紙袋に一緒にいれた。

母がなかなか礼服に着替えないので
どうしたんだろうと思ったら
礼服が見つからないと言っていた。

実は数珠も見つからなくて
前の晩にわたしに貸してと電話で
言ってきた。

『物が多いと困る』という仮説は本当だ。

物が物に紛れて、必要なものが見つからない。

落ち着いたらこのゴミ屋敷
汚家を必ずなんとか改善したい!
母の頭がまだはっきりしてるうちに。

結局、母は黒いTシャツとカーディガンとズボンを着て参列した。

火葬場についたら、A社の女性スタッフさんが
入り口で待っていてくださった。

そして直ぐに火葬の部屋に通された。
そこは個室になっていた。
学校の教室くらいの広さの部屋で、
床も壁もグレーの大理石で
その片隅のレールの着いた台の上
父の棺があった。

棺のふたは外されて
壁に立てかけてあった。


火葬場の女性スタッフさんの案内で
荷物を壁際の椅子に置いたら
こちらの床の線に
横一列に並んでくださいと言われた。

そして簡単な挨拶と説明があった。

そして線香を一本ずつ受け取り、
線香置き場に捧げて
父の棺のそばにいった。

白いきれいな掛け布団で
すやすや眠っているような父を見て
母がまた大声で泣きだした。

わたしもつられて涙が出てきた。
父の頬を触ったら冷たくて、
あぁもうここにはいないんだなぁと
実感が湧いた。


「お花や御朱印を持って来たので入れていいですか?」
と聞いたらもちろんどうぞと言ってもらえて
4人で花を飾りつけた。
父の御朱印は2冊もあって、
スタッフさんに
身体の左右にずらりと長く開いて入れて貰えた。

最後に数珠を胸の真ん中にのせて、
わたしの手紙も添えた。

長いこと母が泣いた。
思い切りわんわん泣いた。
家族しかいないから
誰に気をつかうことなく
子供みたいに泣いていた。

この点が、小さなお葬式にして本当に
よかったところだと思った。

親戚とか父の友達がいたら
こんなに気前よく泣けなかったと思う。

わたしも遠慮なく泣いた。
勝手に涙が出て、なかなか止まらなかった。


そして
火葬場のスタッフさんといっしょに
みんなで棺の蓋を閉じた。

棺が火葬の炉にスライドされて
分厚い扉が閉められ、鍵をかわれた。

撮影は、当たり前だが
禁止なので
下の画像はネットでお借りしたものだけど
だいたい似た感じで


こんな感じだった。

そして鍵を🔑受け取って
別の部屋に案内された。

テーブルと椅子が沢山ある、
60人くらい入れる待合室だった。

ガラス張りでも明るすぎない
落ち着いた部屋で
4人でひとつの席についたら

まず、お会計をした。
母がクレジットカードで支払った。
お値段は
約17万円だった。
ちなみに、資料請求をしておけば5万円引きらしい。不謹慎ながらも、しておけばよかった。と思う。


そのあとお茶を入れてくださった。

菓子器は使いますか?
と、わたしの紙袋(和菓子屋の名前が印刷された袋だった)を見て
聞いてくださったけど、
花とか朱印帳しか入れて来なかったので、
「使わないです」とこたえた。

そうか、こういう待ち時間につまめる
お菓子はあったほうがよかったなと
反省。

もう1人若いスタッフさんがいて、
アンケートのご協力お願いしますと
紙を渡された。
でも、まだ火葬式の途中だから
点数の付けようがない。

兄が半分記入して、わたしに押し付けてきた。
未記入の欄は終わってから書けばいいかなと
思ってたら
ジーッとそのスタッフさんが、
扉のそばからこっちを見続けてくる。

え?火葬が終わるまで見つめられてる感じ?
と思っていたら10分ほどまって、
「アンケート、書けましたか?」と回収にきて
未記入があってもそのままお礼を言って帰って行った。

なんだ、そうならそうと言ってくれればよかったのに。

火葬は
約1時間半から2時間くらい待ったと思う。

待ってる間、思い出話しを沢山した。

火葬がおわり、クールダウンの時間が過ぎて
先ほどの大理石の部屋に案内された。

父はガリガリに痩せていたわりに
骨がしっかりと太かった。

母はお骨を見るなりフラフラしてしまい、
椅子を近くに持ってきて座らせた。

お参りしたあと、

葬儀場のスタッフさんが骨を選んで
鉄板のトレーの上に置いてくれた。

それを家族で交代しながら
箸で骨壷に入れた。
母も頑張って立ち上がり、
泣きながらお骨を壺にいれた。

最後に喉仏の説明をしてもらった。

本当に仏様の形をした骨で
びっくりした。

そのきれいな骨が壺に納められて
蓋を閉じた。

残った骨は
福井県のなんとかいうお寺に運ばれると
説明をうけた。

小さくなった父を母が受け取り、
セレモニーは終わった。

スタッフさんに駐車場まで案内されて
帰路についた。

以上が
わがやの小さな火葬式でした。

火葬場の滞在時間は3時間くらいでした。

身内だけで気を使わなくて
純粋に悲しむことができて、
本当に気が楽でした。

お経もないなんて?!
って思ったけど、
そんなこと、式の最中
全然思い出しもしませんでした。

では、このあたりで。

じみな話にここまで
付き合ってくださったあなたに
感謝してます!
























父が虹の橋を渡って行ってしまいました〜〜虫のしらせ〜〜

2024-05-31 21:31:00 | 近況報告


こんにちは。
ご無沙汰しちゃっております。

本当はもうちょっと早くブログを書くつもりでしたが、
バタバタな日々になってしまい、
5月の末日になってしまいました。

皆さま、お元気でお過ごしてしょうか?

ちなみにうちのヤドカリさんたちは
元気です。



(仲良く水を飲んでいます)



さて、私ごとではございますが、
タイトルの通り、

じつは半月ほど前、
父が虹の橋を渡って行ってしまいました。
享年77歳でした。

2年ほど前に、このブログで
父が入院したことを書いたのですが、

あれからますます
心臓も内臓も弱ってしまい、

今月3回目の入院をして
3日目でその日を迎えました。

今日はその
悲しいお話をさせて頂きます。





入院したのはちょうど
5月12日の母の日。

昼ごはんを済ませてから
実家の母に花を届けようと、
ざるそばを作っていたら
母から電話がきた。

『悪いけど、今、時間ある?』

「あ、ちょうど今からご飯食べて、
それからお母さんに花を持って行こうとしてたとこだよ」

『それはいいけど、お父さんが調子が悪くなって
タクシーを呼んだけど、なんでか1時間しても全然来ないから、
ご飯の後でいいから病院に連れてってやってくれん?』

と言われて、これは家族のピンチだ!と思って
「すぐ行く!」
と電話を切って、

オットに話して慌てて支度して、
さぁ行こう!としたら、

オットが、
『救急車で行ったほうが、優先的に見てもらえる
から、お母さんにそうやって電話したほうがいいよ!』といわれた。

あ、そうだった!
2回目の退院の時、
医師から
『しんどくなったら、救急車を遠慮なくよんでください。』って言われたやん!
と、思い出して

すぐに電話を掛け直したら
母も
『あ!そうだよね。そのほうがいいね』と。

そして救急車は直ぐに来てくれたらしく、

日曜日なので
近所の人たちが沢山出てみえて

どうした?どうした?と
見守る中、

父は道路に止まる救急車までは、
スタスタと歩き、
しかし自力で乗り込めなくて
担架をおろしてもらい、
乗せてもらったらしい。


わたしは
家族と昼ご飯を済ませて
ざっと片付けてから
母にどうなった?と電話したら

まだ父はERで検査中で、
母は待ち合いの廊下で
座って書類を書いていると言っていた。

「わたしもそっちに行こうか?」
と言ったら
『まぁ、どっちでもいいけど
来てくれれば心強いなぁ』と

毎回のごとく、
ふにゃふにゃとチカラの抜けて
ぼんやりした、頼りない声で言った。

流石に3回目なら
母もどんと構えてるかな?と
思ったけど、そうでもなかった。

すぐに駆けつけて、合流し
ベンチに座って書類をチェックして
長いこと待った。

看護師さんから呼ばれて、
ERの中にいた父の所に案内された。

ベッドの上の父は
先月会った時よりさらに痩せ細ってた。

目も白く濁ってて、
それを見た瞬間に

わたしは不謹慎にも

“あぁ、もう父は自分の足で歩いて
元気に自宅に帰ることが出来ないだろう”
と、直感的に思ってしまった。

父に何か元気づけるようなことを
話しかけたいのに、

声を出したら一緒に涙がふきだしそうで
何も言えなかった。

父はまだ入院が決まったばかりなのに、
『先生の話しだと、今度は4週間から5週間の入院だって。
6月5日には、退院できるから』と
かすれた声で言ってた。 

なんか計算が合わないなぁ?と思ったけど、
あえて突っ込まないでおいた。

母は『今から入院するのに、退院の話しなんて、ずいぶん気が早いわねー』と笑ってた。

ふと見たら、入院グッズのカバンがカゴに入っていた。
実は父は10日くらい前から調子が悪かったのに、
我慢していたらしい。

母が何回も『病院行こうよ』と諭しても、
父は『まだ大丈夫。我慢してたら治る。ただの風邪だから』と、怒り狂って断固拒否。
 
だけど母はいつ入院してもいいように
荷物をまとめていたそうだ。

その後しばらく父と母が
荷物の中身のことをあれこれ話して、
しばらくしたら

看護師さんから
『部屋が決まって移動するので、
お身内の方は、そろそろ退出をお願いします』
と言われた。

「じゃあ、頑張ってね!お父さん。お大事にね!」と
無理に笑顔を作ろうとしたけど
泣いてしまいそうで、
そんな顔を父に見せちゃいけないと思い、
震える声でそれだけ言うのが精一杯で、
いそいで待ち合いの廊下に出てしまった。

だけど、それが父に会えた最後になった。

あの時、泣いてもいいから
もっとしっかり、父と話せばよかった。




ちょっと話がそれるが
ここからはオカルトっぽい、
虫の知らせの話し。


実は今回
父が入院する前の一週間くらい、
毎晩、風呂の壁に直径8センチくらいの
茶色のクモがいた。

先月ヤドカリの水槽にいたコより
ずいぶん大きなクモだった。

ちょっと怖いけど、
下に降りて来ないなら
べつに気にしなくていいやーと
追い出したりせずに入浴していた。

そしてその期間、
なぜか入浴中に
亡くなった祖母の声で
左耳の後ろから

『…£∂∀¿…親切は長く…♯*§@…続…ない』

と、いう途切れ途切れのメッセージが
毎日降りてきて

「一体何のこと?親切は長く続かない?
これはわたしの対人関係の注意喚起?」と、
ちんぷんかんぷんで過ごしていた。


父が入院した日の翌日、
月曜日の朝は雨だった。

息子が大学にいくので駅へ送ろうと
朝、玄関ドアを開けたとたん、
上からクモがツーーー
っと糸を垂らして降りてきて
家の中に入ってきてしまった。

風呂にいつも居るのより
ひと回り小さいクモだった。

急いで箒🧹を持って追い出そうとしたけど
下駄箱の下に入り込んでうまく追い出せない。

電車の時間がせまっているので
そのままオットに🧹クモのことを任せて
出発した。🚗

帰宅してからオットに
クモは?と聞いたけど
『それが全然みつからない💧』と言った。

わたしも家中を探したけど
じつは今日のいまだに
全然出くわさない。

なんなら父が入院したその日からは
風呂のクモも居なくなった。

ちなみに、不思議なことに
オットは風呂のクモを一回も見かけていないそうだ。
わたし限定で出現していたらしい。


それにしても
クモがよく出現するのは
スピリチュアル的な意味でなに?
と、ググってみたら
色々な意味があるようだけど

『神のお告げ』とか
『お釈迦さまのつかい』とかもあるそう。

まさしく虫の知らせではないか?!

そして
おばあちゃんのメッセージが
なんだったのかは
まだはっきりわからないけど

多分、この2年のあいだ、
精一杯の力で
父を守っていてくれたんだと思う。

でも、それも限界が来ちゃって
長く続けられなくてごめんね
もう、連れて行くよ。

と言いたかったのかな?と解釈してる。

(2年前のブログにも書いたけど、
父の体調不良をわたしに知らせてくれたのも
おばあちゃんだった。)





話しを元に戻して、、、

入院して2日後の火曜の夕方、
どうなったかな?とふいに気になって
母に電話したら

『ちょうどさっき
病院から呼び出しの電話が来て
向かっているから、、、
あんたも来る?』
と言われて
慌てて駆けつけた。

父は
ICUに移動してて、人工呼吸器と点滴と
何かのモニターのコードに繋がれていた。

担当の医師からの説明で

『現在、
血圧が普通の人の半分しかなく、
色々な薬(点滴)をして
回復するのを期待していますが、

これより悪化することがあれば
心臓マッサージなど延命措置を
ほどこしますね』
という様なことを言われた気がする。

兄が同意書にサインしたが、
なんの書類かよく思い出せない。
多分、延命措置のことだったのかな?

そのあと
睡眠薬で眠る父のベッドの脇まで案内されて
看護師さんから
『話しかけてあげてくださいね。
よかったら手を触りますか?』と
言って貰えた。

父の手には体温があり、
母はまだ回復するよね?と
涙目ながらも期待していた。

その日は一旦帰宅した。

翌朝5時ちょいすぎ、
母から電話がかかってきた。

嫌な予感で飛び起きたら
やはり
『病院から呼び出されたから、あんたも来れる?』と言われ

取るものもとりあえず、駆けつけた。

ICUに行くと
父のベッドのそばに行く前に
別室に案内された。

そこで医師の説明を受けた。

今朝5時に急変して、
あれこれ手を尽くしてますが
“透析”はできない状況。

現在は
心臓マッサージを施しています

と言ったような内容だったけど
詳しく覚えてない。

もしかしたらとは
思ってたけど、

早すぎる!もう一回くらい
お見舞いに来て喋るチャンスが
あるだろうと思ってたから
呆然とした。

そして父のベッドわきに案内された。

びっくりしたのは
心臓マッサージは、
人海戦術をイメージしてたけど、
なんと、機械だった。



こういった感じの物だった。↑


その機械の圧が強すぎるように見えて、
痩せた父の胸骨が折れてしまいそうで
痛々しかった。

『人工呼吸器と、心臓マッサージ機が
稼働しているので、
モニターの数値が動いて
見えますが、
脈の確認のため止めてもいいですか?』

と医師に聞かれて
はいと言うしかなかったし、
痛そうで、早く止めてあげて欲しかった。

そして
機械が止まったとたん、
モニターの数字もゼロになった。


医師が脈や目を丁寧に確認して、
テレビドラマみたいに
腕時計を見て時間を読み上げ、
虹の橋を渡って行ったことを
告げられた。

そして
看護師さんたちと一緒に
深く頭を下げられた。

なんだか夢の中のシーンのようだった。

母はびっくりするほど泣き叫んだ。
『やだよ、起きてよ。6月に退院するって
言ったでしょー。行かないで。
わたしも連れて行ってよ!置いていかないでー』
と、ICU中に響き渡るほど大声で。

わたしも隣で静かに泣いた。
兄は熊みたいにウロウロしてた。

その後、看護師さんが
一旦待合室に案内してくれた。

機械を外してから改めて
対面させてくださるということだった。




機械を外してもらった父は
ただ寝てるだけに見えた。
母はまた大声で泣き叫んだ。

先月、母とふたりで
ご飯を食べに出かけた時、
父の悪口を散々聞かされて、

お父さんのこと、嫌いなのかな?と
思ってしまうほど文句いっぱいだったのに、

そんなにも泣くほど好きだったんだ。
「お父さん、愛されてたよ、よかったね。」と
思った。

しばらく悲しみに浸っていたけど、
病院はいつまでも置いてくださらない。

葬儀社を決めて、午前中に引き払わなくてはならないと説明を受けた。

こういう時、大抵
病院着きの葬儀社が何社かあって
紹介してもらえるらしいと聞いた事があったけど、

看護師さんに聞いたら
この病院では、そういうのはありません。
と言われた。

慌てて
兄とスマホで検索しまくって探した。

母に予算とか聞いたら
『お父さんはいつも
葬式なんかしなくていい。
火葬して、骨は海に撒いて、墓は建てるな。
息子(兄)が独身だから墓守が大変になるから
いらない!って言ってたから、
こじんまりでいいと思う』
と言った。

だけど棺の周りをお花で囲んで
お坊さんを呼んで
お経をあげてもらうくらいするよね?
と思ってた。

でも兄が
『じゃぁ1番シンプルで。
俺、喪主とかよぅやらんし』と
少年のような発言をかまして



まじで何もない、火葬式を選んで
電話してサクサク決めた。

通夜も葬式もナシ。
火葬場で簡単な式をして終わり。

本当にお父さんはこれでいいの?と
娘としてはやや不服だったけど

父は🚗車道楽、🍶酒、🚬タバコ
でパーっと使う人で、

わたしが保険屋をやっていた時ですら
「生命保険なんか入らない!」
と言ってたから
葬式のお金すら本当に残さなかったらしい。

なので
テレビのCMの文字通り、
【小さなお葬式】をあげることになった。


さて、今日はこの辺りで。
続きはまた書きますね。

こんな暗い話し、
付き合ってくださってありがとうございます。

ではまた

ちなみにわたし、
めちゃくちゃ泣きましたが
現在は、だいぶ元気に戻りました。
ご飯ももりもり食べて、
夜もちゃんと寝れるようになりました。

ご心配なく☺️

良性でした!!ありがとうございます😊

2023-11-02 15:36:00 | 近況報告
こんにちは😃

あっという間に11月になりましたが、
まだまだあったかい日が続いてますね☀️

我が家は先週、
息子が風邪をひいて
咳が酷かったのですが、
なんとか治りかけて

あす、金曜日の大学での
学園祭のステージに出れそうなので
ひとあんしんです。

趣味のステージ発表を
ソロでエントリーしてるので、
(勇気ある。誰に似たんだろ?)
タイムテーブルに
穴を開けるわけにいかないので
ギリギリセーフって感じです😊💦



ところで話しは変わりますが、
タイトルにも書きました通り、

わたしの甲状腺の腫瘍は
良性だと診断されました!🙌

大きくならない限り大丈夫だそうです。
とりあえずこちらもひとあんしん💁‍♀️

半年後にエコー検査を受ける予約だけ
してきましたが
気持ちはめちゃくちゃ楽になりました🎵

ずっと平静を装ってましたが
やはりわたしもヒトノコ。

今朝、病院に着いたとたん、
脚がぶるぶる🦵🦵🥶

もしガンって言われたら
ショック受けるんかな?

そりゃそうよね、
わたしの人生に
そんな計画ないのに、
もしかして
ドラマチックな展開が起きちゃうのかしら?
泣く?とりま、一回くらい泣くかもよ?

いや、わたしより
母が泣くよなー、
あー、言うのがダルいわー。
絶対ムリ。

とか、
ごちゃごちゃ考えました。笑

でも、無事でした🥹🥹🥹


ご心配をおかけしましたが、
良性であることを祈ってくださった
皆様に厚く御礼申し上げます


わたしは祈りのチカラって、
目に見えないけど、
必ずあると思ってます。

なので、
「ちー母、良性だといいね」と
1ミリでも思ってくださった方々に
心から感謝してます😊
ありがとうございました〜❤️