夕食難民。
なむらのブログ



恒例の、というか、伝統の一戦。

伝統の、というにはこちらはかなりの力不足

昨年は、知ってる限り実力で学生選手権出場を逃したのは初めて。
早稲田戦の前にすでにそんな状態だったから当日もまったく期待せず、ふつーなら得点したら乾杯するところを試合開始前からビールの売り子さんを呼んじゃったりしてたんだけど、意外にも勝っちゃった

そして2月。
吉田監督の就任。

ぼくが初めてラグビーを見に行ったのが、吉田が1年生のときの早稲田戦だった。

87年12月。
いわゆる「雪の明早戦」。

前日までの雪がグランド脇に残る寒い1日、明治は劣勢だった。
主将は大西一平。
負けてるのに相手の反則あってもペナルティゴールを選ばすにフォワードで攻め続ける。
この年までケガ人がいても時計を止めなかったため実質ロスタイムがないはずなのに、ハーフ40分のところ後半は47分まで続いた。
このときのレフリーは真下昇さん。ラグビー協会の担当理事としてW杯招致を成功させた方だ。

残念ながらこのときの明治は攻めきれずに負けちゃったけど、なんか感動した覚えがある。
そんな訳で、この年のオール明早慶に試験期間にも係わらず観に行ったり、次の年の対抗戦は学習院戦とかも含めて全部観に行った。
秩父宮だけでなく、駒沢へも行った。三ッ沢へも行った。熊谷はこけら落としまで行った。

そして吉田が4年生で主将になった年、当時はバブルの名残なのか5月のオープン戦を明早のような有力なカードはなんとかスポーツフェアとかいって秩父宮で公開していたので観に行った。
試合前、明大ラグビー部は隣のテニスコートでアップしていたのを見たけど、なんとなく吉田が浮いていた気がした。
そのあとの報道で、その理由が分かった。
それまでの明治は練習なんかしなかったため、吉田は先輩に隠れて練習していたらしい。
主将になった吉田は部員に走り込みをさせてたらしいのだけど、多くの部員には嫌がられてたとか。
そういう背景はあったものの、秋のシーズンは明治は勝ち進んでいった。
どうやらどうにかチームをまとめあげたらしい。
とはいえ、最後の切り札である左ウイング(あまりボールが回って来ない)なんてポジションにいる吉田は、バックスなのにもかかわらずモールをフォワードと一緒に押しにいったりとかの気配りを見せていた。

そして決戦の早稲田戦。快晴だった。
明治は得点を積み重ね、気が付いたら残りわずか6分、12点差(当時のルールで2T2Gの差)。
早稲田ボールが今泉に渡る。近くにいた早稲田ファンのおばさんからは「そうだ、行け!」の声。
守りの要のフルバックにボールを渡してどうなるんだよ、分かってないなぁ、と思ったけど、あれよあれよと点を取られて同点になってノーサイド(試合終了)。

チームを完成させてたはずなのにかんじんな試合で同点。
かなりくやしかったんだとは思う。

そしてその年の学生選手権決勝、早稲田と再度対戦した。
決勝では早稲田に先制されてままだった後半、吉田にボールがまわり、早稲田じまんのディフェンス陣をパスしてそのまま自身でトライ。
これで逆転、吉田はそのまま仰向けになってバンザイ。
ぼくの思うベストプレイはこの吉田のトライ。このときの写真が載ってる明スポ、サンスポは絶対に捨てられない。

吉田はその後社会人チームでプレイ、さらにフランスに渡り日本人最初のプロ選手になったり。

その吉田がフルタイムのスタッフとして監督に就任。
とはいえなかなか上位校には歯がたたず、スクラムを練習してないとか、体重のある選手を使わないとか、いろいろ聞こえては来るけど、いままでの試合でボールが手につかない場面が多々あったのだから、監督の方針に文句を言う前にもっと練習しとけよ、という感じ。

ただ、きょうの試合はボールはほとんど落とさないし、タッチキックはキチンと出しているし、タックルも決まっているし、学生選手権も期待出来るのでは。

ちょーしゅーにも会えたし


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