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高齢の母は戦争の体験者です。
戦後76年が経ち、詳細に記憶している人が減って来ている現実。
亡くなった父は関東の穏やかな田舎育ちでしたので、幼い頃に晴れた空をB29が飛んでいくのを眺めていたという、長閑な思い出を語っていましたっけ。
先日、珍しくわたくしと兄の2人が実家に泊まり、母と3人でお酒を楽しみました。
その折に何かの拍子で戦争の話が出たのでした。
母は終戦間際に日本のあちこちで行われた大空襲のひとつを経験しています。
終戦の年の3月の東京大空襲では多くの犠牲者が出ましたが、それ以降も8月の終戦まで横浜、千葉、甲府などなども、大規模な空襲により多くの被害を受けています。
母からはその空襲の話を何度か聞いています。
国鉄マンだった祖父は国鉄の官舎に一人残り、祖母を筆頭に娘たち(母は5人姉妹)は地方の親戚を頼って疎開していました。
大空襲のその日、たまたま用事があって祖母と母、そして赤ちゃんだった末の叔母の3人は祖父の所に戻っていました。
深夜、長い時間にわたりB29による空襲に襲われ、母は赤ちゃんをお布団に包み祖母と一緒に線路沿いの広い場所へ逃げました。
家々が燃え人が逃げ惑い、火の粉が降ってくるのを、線路の盛土の影に潜みながら見ていたそうです。
母の頭にも赤ちゃんの頭にも火の粉が降りかかり、髪の毛が焼けました。赤ちゃんを包んだ布団に火が移らないよう、何時間もの間生きた心地がしなかったと繰り返し聞かされています。
この話は聞いていましたが、今回は初耳の話が母の口から出てきました。
終戦の日(8月15日)当日の話です。
その日、母たちの住む官舎には祖父の部下達が来ていて、みんなで庭に防空壕を掘っていました。
広島や長崎に大きな爆弾が落とされたと知り、これまでの防空壕などでは助からないと危機感を感じた祖父が命じたようです。
言論統制が引かれて、原爆の情報などの詳細は広くは伝わっていなかったそうですが、国鉄である程度のポストにいた祖父には「かなりヤバいらしい」と知らされていました。
真夏の暑い日、朝から家に男の人たちが来て庭を掘り返していましたが、お昼に大事な放送があると知らされていたので、皆
作業を止めてラジオを聴きます。
母は「日本が負けたんだ」と、あの昭和天皇のお言葉を聞いて理解しました。
周りの大人たちも
「どうやら日本は負けたらしい・・・」と言い交わしています。
確認しましたが、その場にいた人の中に(映画やドラマでよく見るシーンのように)泣いている人は居なかったそうです。
放送を聞き終わると、祖父は
「もう、防空壕は要らないってことだ」
と言い 庭に深くほった穴を再び戻すように部下たちに命じました。
ええー!
初めて聞いた母の終戦の日の体験。
意外にもあっけらかんとした雰囲気の、かえって現実味を帯びたストーリー。
そして、口数が少なくいつも着物を着ていた祖父の知らなかった一面。
なんだかとてもすごい話を聞いた!という印象が強く残りました。
そう言えば105歳で亡くなった祖母の口から戦争の話を聞くことは無かったな・・・。
母よりもっといろいろ詳しい思い出があったと思うけど。
祖父母のお位牌が納められた仏壇には、出征時の服装で撮られた祖父母の兄弟の遺影があります。
大切な人を南方の激しい戦いで亡くした体験など、口にしたくなかったのかもしれません。
また、親戚先ではあったものの、疎開先では辛い事も多かったようです。
ドラマや映画で語られる物語とは異なるカラリとした終戦の日の出来事が、かえってリアルな普通の人々の終戦のようで、強く心に残ります。
貴重なお話ありがとうございました。
映画やドキュメンタリーなどのひれ伏して涙する姿とはかけ離れた、市中の人々の感情なのでしょうね。
今まで見せられていた映像は戦争を正当化するプロパガンダのように今までも感じていました。
こう言うお話が埋もれたまま次の戦争が来ないと良いのですが。
Jです。
とても読み応えのあるお話でした。
辛すぎて話せない事、終戦に臨んだ時、感傷よりも現実と向き合って生きてた事、いろんな物語が有るんですね。
だんだん 体験者が減る一方。
語られていくことの大切さ 貴重なことを知るべきですね。
我が母は、日本に敵が来たら薙刀でやっつける!と誓ってたそうです。うら若き乙女が。
それなのに戦後は進駐軍で(今のKITTEのあるところ)英文タイピストとして働いてました。
いろいろな食べ物をいただいたり。それを聞くたびに 変り身の速さに逞しさ感じてました。
一人で私たち2人を育てた礎あり!!とも思いました。
お母さま どうぞお元気で!!
と、心より思います。
こんにちは。
玉音放送をみんなが涙を流しながら聴いたような印象をずっと持っていたので、母の話はとても意外で驚きました。
もう、戦争にはウンザリしていたのでしょうか。
まだ子供だった母ですが、今の子供と違って多くの事を任されていたので、精神的に大人だったのだろうと思います。機会があればもっと聞いてみたいです。
葉月
戦争の知識はあっても実体験がない現代のわたくし達は、やっぱりどこか平和ボケしているのかも知れません。
すぐ隣に問答無用の死がある現実。
嫌だのなんだの問答無用で戦地に行かされる現実。
そういうものを乗り越えて来た人達の存在を「知らない」わたくし達が増えていること。
近現代史を学ぶ時間をもっと割かないといけないですよね。
葉月
お母様、薙刀で戦う覚悟でいたのですね!今のわたくし達にはない強さ。
その時代に生きていればこそ、なのでしょうか。
それでも、世相が変わればしなやかに強かにそれに合わせて順応していく力。
そんな強さが美しいです。
母へのお気遣いのお言葉ありがとうございます❤
葉月