明澄五術・南華密教ブログ (めいちょうごじゅつ・なんげみっきょうぶろぐ)

明澄五術・南華密教を根幹に据え、禅や道教など中国思想全般について、日本員林学会《東海金》掛川掌瑛が語ります。

一粒の麦もし地に落ちて死なずば 篠沢教授に全部!訳して欲しかったプルースト その4

2022年08月10日 | 仏教
マルセル・プルースト作『失われた時を求めて』の最終章「見出された時」  私は単に、「まだそれだけの時間があるだろうか?」と自分にいっただけではなくて、またこういうのだった、私はそれができる状態にあるのだろうか?」病気は、きびしい良心の指導者のように、社交界にたいして私を死なせることによって、かえってかえって私に役立っていたし(つまり「一粒の麦が蒔かれたあとで死ななければ、それは一粒のままであるだろう、しかし、もし死んだら、多くの実を結ぶだろう」〔「ヨハネ」一二・二四〕 . . . 本文を読む
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