2007.02.17 Saturday
「西遊記」に見る中国の時間単位と「子平」
平凡社刊『西遊記』(太田辰夫・鳥居久靖訳)第一回の冒頭、八行の詩のあとに次の文章が続いています。
さても天地の定めは、十二万九千六百年を一元とする。その一元を十二会に分けるが、それが子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の十二支、一会はつまり一万八百年にあたるわけだ。
これは、中国の時間単位を説明したもので、これらの時間単位は、北宋の時代に、邵康節が著した『皇極経世書』に纏められたものです。
明澄五術全集第一巻『子平命理 基礎編』(掛川掌瑛篇著)「序論」より
○中国の時間単位
現在の世界で使われている時間単位は、「年」「月」「日」「時」「分」「秒」の六種類があり、もちろん現代中国でもこの時間単位が使われております。
中国には、「年」「月」「日」「時」「分」「秒」の他に「元」「会」「運」「世」という時間単位があり、「時」「分」「秒」という時間単位も、名前は同じにしていますが、西洋のそれとは異なっています。
中国の時間単位を、現代の時間単位と比較対照して見ますと、次のようになります。
「一秒」は、現代の二十秒にあたります。
「一分」は、「十二秒」にあたり、現代の四分にあたります。
「一時」は、「三十分」にあたり、現代の二時間にあたります。
「一日」は、「十二時」にあたり、現代の二十四時間にあたります。
「一月」は、「三十日」にあたり、現代の一月とほぼ同じです。
「一年」は、「十二月」にあたり、現代の一年とほぼ同じです。
「一世」は、「三十年」にあたり、現代の三十年にあたります。
「一運」は、「十二世」にあたり、現代の三百六十年にあたります。
「一会」は、「三十運」にあたり、現代の一万八百年にあたります。
「一元」は、「十二会」にあたり、現代の十二万九千六百年にあたります。
これらの時間単位は、北宋の時代に、邵康節が著した『皇極経世書』に述べられており、「元」「会」「運」「世」や「分」「秒」にも干支がふられ、「年」「月」「日」「時」と同じく、六十干支ごとに循環するようになっています。
宋代には、邵康節の他にも、陳希夷が「円図」「方図」を作り、周廉渓が『太極図説』を著すなど、数理的な「易学」が非常に発展し、これらは「象数易」と呼ばれ、後に南宋の朱子や明代の王陽明などに連なる「理学」と呼ばれる儒教的な学問大系が形成されました。
「子平」では、人間を見る場合に、年月日時の干支を並べた「命式」を立てて見ますが、「年」「月」「日」「時」の関係は次のようになっています。
年=十二月
月=三十日
日=十二時
時=三十分
すると、これと同様な組み合わせが、次のように成り立つことに気づきます。
元=十二会
会=三十運
運=十二世
世=三十年
運=十二世
世=三十年
年=十二月
月=三十日
日=十二時(現代の24時間)
時=三十分(現代の2時間)
分=十二秒(現代の4分)
秒=(現代の20秒)
これらの組み合わせで、四柱の干支を並べますと、人間を見る「命式」と同じように構成されていますから、時間単位の大きさに応じて、人間以外のいろいろなものを判断することができます。
「元」「会」「運」「世」の干支で構成する「八字」を「局式」と言い、現代の時間で三十年間を区切りとする、非常に大きな時間単位ですから、ひとつの文明が成立した時間の干支を使い、その文明の持つ、競争力、宗教、経済、価値観、規範、文物などについて判断することができます。
「運」「世」「年」「月」の干支で構成する「八字」を「群式」と言い、現代の時間で一月間を区切りとする、やや大きな時間単位ですから、国家、団体、企業、など、なんらかの「群」が成立した時間の干支を用い、ある国家の地位や政治、経済、教育など、また、ある企業の業務、経営、資産、利益などについても判断することができます。
この見方は、会社の設立にあたり、簡単に、何月という形で時期を選ぶことができますから、非常に使いやすく、しかも象意が的確に表れます。
「年」「月」「日」「時」の干支で構成する「八字」を「命式」と言い、専ら人間の推命に使います。また、占時を利用した占卜に使うこともできます。
「日」「時」「分」「秒」の干支で構成する「八字」は現代の時間で二十秒間を区切りとする、小さな時間単位ですから、馬、牛、犬、など家畜やペットのように、人間よりは寿命の短い動物を判断するときに使います。
この方法は、競走馬の素質を見る場合などに使われますが、時間の区切りが二十秒間しかありませんので、出生時刻の記録は秒単位で行われ、ストップウオッチ片手に一晩中見張っていなければなりません。
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○中国の時間単位
現在の世界で使われている時間単位は、「年」「月」「日」「時」「分」「秒」の六種類があり、もちろん現代中国でもこの時間単位が使われております。
中国には、「年」「月」「日」「時」「分」「秒」の他に「元」「会」「運」「世」という時間単位があり、「時」「分」「秒」という時間単位も、名前は同じにしていますが、西洋のそれとは異なっています。
中国の時間単位を、現代の時間単位と比較対照して見ますと、次のようになります。
「一秒」は、現代の二十秒にあたります。
「一分」は、「十二秒」にあたり、現代の四分にあたります。
「一時」は、「三十分」にあたり、現代の二時間にあたります。
「一日」は、「十二時」にあたり、現代の二十四時間にあたります。
「一月」は、「三十日」にあたり、現代の一月とほぼ同じです。
「一年」は、「十二月」にあたり、現代の一年とほぼ同じです。
「一世」は、「三十年」にあたり、現代の三十年にあたります。
「一運」は、「十二世」にあたり、現代の三百六十年にあたります。
「一会」は、「三十運」にあたり、現代の一万八百年にあたります。
「一元」は、「十二会」にあたり、現代の十二万九千六百年にあたります。
これらの時間単位は、北宋の時代に、邵康節が著した『皇極経世書』に述べられており、「元」「会」「運」「世」や「分」「秒」にも干支がふられ、「年」「月」「日」「時」と同じく、六十干支ごとに循環するようになっています。
宋代には、邵康節の他にも、陳希夷が「円図」「方図」を作り、周廉渓が『太極図説』を著すなど、数理的な「易学」が非常に発展し、これらは「象数易」と呼ばれ、後に南宋の朱子や明代の王陽明などに連なる「理学」と呼ばれる儒教的な学問大系が形成されました。
「子平」では、人間を見る場合に、年月日時の干支を並べた「命式」を立てて見ますが、「年」「月」「日」「時」の関係は次のようになっています。
年=十二月
月=三十日
日=十二時
時=三十分
すると、これと同様な組み合わせが、次のように成り立つことに気づきます。
元=十二会
会=三十運
運=十二世
世=三十年
運=十二世
世=三十年
年=十二月
月=三十日
日=十二時(現代の24時間)
時=三十分(現代の2時間)
分=十二秒(現代の4分)
秒=(現代の20秒)
これらの組み合わせで、四柱の干支を並べますと、人間を見る「命式」と同じように構成されていますから、時間単位の大きさに応じて、人間以外のいろいろなものを判断することができます。
「元」「会」「運」「世」の干支で構成する「八字」を「局式」と言い、現代の時間で三十年間を区切りとする、非常に大きな時間単位ですから、ひとつの文明が成立した時間の干支を使い、その文明の持つ、競争力、宗教、経済、価値観、規範、文物などについて判断することができます。
「運」「世」「年」「月」の干支で構成する「八字」を「群式」と言い、現代の時間で一月間を区切りとする、やや大きな時間単位ですから、国家、団体、企業、など、なんらかの「群」が成立した時間の干支を用い、ある国家の地位や政治、経済、教育など、また、ある企業の業務、経営、資産、利益などについても判断することができます。
この見方は、会社の設立にあたり、簡単に、何月という形で時期を選ぶことができますから、非常に使いやすく、しかも象意が的確に表れます。
「年」「月」「日」「時」の干支で構成する「八字」を「命式」と言い、専ら人間の推命に使います。また、占時を利用した占卜に使うこともできます。
「日」「時」「分」「秒」の干支で構成する「八字」は現代の時間で二十秒間を区切りとする、小さな時間単位ですから、馬、牛、犬、など家畜やペットのように、人間よりは寿命の短い動物を判断するときに使います。
この方法は、競走馬の素質を見る場合などに使われますが、時間の区切りが二十秒間しかありませんので、出生時刻の記録は秒単位で行われ、ストップウオッチ片手に一晩中見張っていなければなりません。
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○「時間」と「運命」
「子平」の考え方でいう「時間」は、現代科学の標準的な考え方の時間とは、少し異なります。現代科学の考える時間は、矢のように直線で進んでゆくものです。直線ですから、同じ時間というものがなく、時間のデータを取ろうにも取れるわけもないし、取るだけの意味もありません。
ところが、中国の時間観念では、「時間」というのは、コイルスプリングのように同じ範囲で回りながら進むもので、「時間」のコイルスプリング上のある地点に、「甲」という印をつけると、コイルスプリング上の同位相の位置にあたる「時間」は、すべて「甲」になります。
コイルスプリングのはしとはしでは距離がありますが、同じ位相にあるという共通点をさぐって、なんらかの意味のあるデータを取れるだろうと昔の人は考え、長年にわたって観察してきました。
「時間」が「運命」に対して影響するかどうかは、誰も証明することはできませんが、現代科学では、そもそも「時間」を扱ったこともありませんし、「時間」に記号を付けてデータを取るという発想もまったく有りませんから、これを「知らない」と言うことはできても、否定したり肯定したりすることはできません。
「子平」が他の多くの占術に比べて優位性があるとすれば、「作盤」という合理性に疑問のある方法をまったく取らず、長い間の経験によって時間につけた記号である「干支」をそのまま並べて、「時間」が人や文明・国家・企業などの運命に、どう影響するかだけを探求しえた点にあると言えます。
「時間の影響」という、現代科学では扱っていない概念を基にしている限り、現代科学に逆らうことはありませんし、科学から肯定されることはないにしろ、科学から否定されることもありません。
その点、「西洋占星術」などは、地球上から見た、見かけ上の星の角度が、物理的に人間の運命や自然現象に影響を与える、という無理な前提に基づいて成り立っていますから、これは、「反科学的」ということになってしまいます。
中国にも「七政占星術」というものがあり、一般には、「西洋占星術」と同様に実星の角度を使用する占星術と思われておりますが、「七政占星術」で使う星の角度は、惑星の逆行を認めないなど、実星の運行とは一致しておらず、ここでの星の角度は、物理的な作用を見るというよりは、ある種の「時間」の単位としての意味を持たせております。特に、「七政占星術」の「風水」で使う星図では、干支上のある共通点から算出する方法で、一年を一日として換算された「星母」というものを使用しており、実星の運行とはまったく無関係になっています。
「西洋占星術」では、冥王星のように二十世紀になってから発見された星は、それ以前に生まれて死んだ人には影響を与えず、発見された以降に生まれた人にだけ影響する、という原則が確立されており、たとえば天王星が発見された一七八一年以降に、アメリカ独立戦争の終結や、フランス革命などの大きな変化が起こったとされます。つまり「西洋占星術」では、天王星は、突然の「変化」を意味するものとされており、これが発見された途端に、人類全体に大きな変化が起きたというわけです。
ところが、逆に、イエス・キリストのように、現代の人々にも大きな影響を与え続けている人の出生図を見る場合には、天王星や海王星、冥王星、キロンなど、後世に発見された天体を使用しても構わない、と言っております。
そうしますと、「西洋占星術」における星の角度による作用というのは、物理的な作用と言うよりは、そこに星が存在するという「認識」が人間に心理的な作用を与えるもの、ということになるはずです。
認識が存在を規定するという考え方は、古くから仏教の「唯識論」にもありますし、現代科学においても、「量子力学」の世界では、ハイゼンベルグの「不確定性原理」により、ある素粒子がそこに存在するかどうかは、人間の観察によって結果が変わる、つまり存在は「認識」によって規定される可能性があることが指摘されました。
アインシュタインなどは、「量子力学」に大反対でしたが、「不確定性原理」はその後多くの実験によって証明され、「量子力学」は、現代物理学の中心的な理論となっております。
この「量子力学」の成果を踏まえて、宇宙論において「強い人間原理」とか「弱い人間原理」と言われる仮説が提出され、人間がいるから「宇宙」というものが認識され、それによって宇宙が存在している、とか、人間と言う、宇宙を認識することが可能になるもののために宇宙ができた、などというような、昔なら「観念論」と言って片づけられるような議論が戦わされています。
ところが「西洋占星術」の側からは、そのような「認識論」的なものはあまり聞かれないようで、たとえば、硫化鉛の溶液からフィルターに染み込んだ鉛の量が、土星のつくるオーブと相関性がある、などというように、物理的な作用が、人間の受胎瞬間にも起こり、天体が卵子や精子に対して何らかの影響を与えた結果、生まれた人間の運命が決まってくる、というように、「西洋占星術」においては、もっぱら物理作用としての星の角度の影響ばかりが強調されているように見えます。
(引用終了)
「子平」の考え方でいう「時間」は、現代科学の標準的な考え方の時間とは、少し異なります。現代科学の考える時間は、矢のように直線で進んでゆくものです。直線ですから、同じ時間というものがなく、時間のデータを取ろうにも取れるわけもないし、取るだけの意味もありません。
ところが、中国の時間観念では、「時間」というのは、コイルスプリングのように同じ範囲で回りながら進むもので、「時間」のコイルスプリング上のある地点に、「甲」という印をつけると、コイルスプリング上の同位相の位置にあたる「時間」は、すべて「甲」になります。
コイルスプリングのはしとはしでは距離がありますが、同じ位相にあるという共通点をさぐって、なんらかの意味のあるデータを取れるだろうと昔の人は考え、長年にわたって観察してきました。
「時間」が「運命」に対して影響するかどうかは、誰も証明することはできませんが、現代科学では、そもそも「時間」を扱ったこともありませんし、「時間」に記号を付けてデータを取るという発想もまったく有りませんから、これを「知らない」と言うことはできても、否定したり肯定したりすることはできません。
「子平」が他の多くの占術に比べて優位性があるとすれば、「作盤」という合理性に疑問のある方法をまったく取らず、長い間の経験によって時間につけた記号である「干支」をそのまま並べて、「時間」が人や文明・国家・企業などの運命に、どう影響するかだけを探求しえた点にあると言えます。
「時間の影響」という、現代科学では扱っていない概念を基にしている限り、現代科学に逆らうことはありませんし、科学から肯定されることはないにしろ、科学から否定されることもありません。
その点、「西洋占星術」などは、地球上から見た、見かけ上の星の角度が、物理的に人間の運命や自然現象に影響を与える、という無理な前提に基づいて成り立っていますから、これは、「反科学的」ということになってしまいます。
中国にも「七政占星術」というものがあり、一般には、「西洋占星術」と同様に実星の角度を使用する占星術と思われておりますが、「七政占星術」で使う星の角度は、惑星の逆行を認めないなど、実星の運行とは一致しておらず、ここでの星の角度は、物理的な作用を見るというよりは、ある種の「時間」の単位としての意味を持たせております。特に、「七政占星術」の「風水」で使う星図では、干支上のある共通点から算出する方法で、一年を一日として換算された「星母」というものを使用しており、実星の運行とはまったく無関係になっています。
「西洋占星術」では、冥王星のように二十世紀になってから発見された星は、それ以前に生まれて死んだ人には影響を与えず、発見された以降に生まれた人にだけ影響する、という原則が確立されており、たとえば天王星が発見された一七八一年以降に、アメリカ独立戦争の終結や、フランス革命などの大きな変化が起こったとされます。つまり「西洋占星術」では、天王星は、突然の「変化」を意味するものとされており、これが発見された途端に、人類全体に大きな変化が起きたというわけです。
ところが、逆に、イエス・キリストのように、現代の人々にも大きな影響を与え続けている人の出生図を見る場合には、天王星や海王星、冥王星、キロンなど、後世に発見された天体を使用しても構わない、と言っております。
そうしますと、「西洋占星術」における星の角度による作用というのは、物理的な作用と言うよりは、そこに星が存在するという「認識」が人間に心理的な作用を与えるもの、ということになるはずです。
認識が存在を規定するという考え方は、古くから仏教の「唯識論」にもありますし、現代科学においても、「量子力学」の世界では、ハイゼンベルグの「不確定性原理」により、ある素粒子がそこに存在するかどうかは、人間の観察によって結果が変わる、つまり存在は「認識」によって規定される可能性があることが指摘されました。
アインシュタインなどは、「量子力学」に大反対でしたが、「不確定性原理」はその後多くの実験によって証明され、「量子力学」は、現代物理学の中心的な理論となっております。
この「量子力学」の成果を踏まえて、宇宙論において「強い人間原理」とか「弱い人間原理」と言われる仮説が提出され、人間がいるから「宇宙」というものが認識され、それによって宇宙が存在している、とか、人間と言う、宇宙を認識することが可能になるもののために宇宙ができた、などというような、昔なら「観念論」と言って片づけられるような議論が戦わされています。
ところが「西洋占星術」の側からは、そのような「認識論」的なものはあまり聞かれないようで、たとえば、硫化鉛の溶液からフィルターに染み込んだ鉛の量が、土星のつくるオーブと相関性がある、などというように、物理的な作用が、人間の受胎瞬間にも起こり、天体が卵子や精子に対して何らかの影響を与えた結果、生まれた人間の運命が決まってくる、というように、「西洋占星術」においては、もっぱら物理作用としての星の角度の影響ばかりが強調されているように見えます。
(引用終了)
『西遊記』のなかで、孫悟空が天界から地上に帰ってくると、半年も経たないはずなのに百年もたっており、「天界の一日は下界の一年ですよ」と言われる場面がありました。
すると、
「運」「世」「年」「月」の干支で構成する「八字」を「群式」と言い、現代の時間で一月間を区切りとする、やや大きな時間単位で
「運」「世」「年」「月」の干支で構成する「八字」を「群式」と言い、現代の時間で一月間を区切りとする、やや大きな時間単位で
とか、
「七政占星術」の「風水」で使う星図では、干支上のある共通点から算出する方法で、一年を一日として換算された「星母」というものを使用しており、
といいますから、このことは『西遊記』の「天界の一日は下界の一年」という話と見事に合致しております。
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子平命理の基礎知識、干支と五行、立命の方法、干関係の見方、強弱の見方、変通の見方、格局の見方、喜忌の見方、体用の見方などを解説します。 本書を暗記するまで熟読すれば、子平は勿論、あらゆる中国占術の基礎が身に付きます。 |
くるみ綴じ製本 |
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『子平命理・基礎篇』の内容をマスターされた方なら、強弱と喜忌によって、容易に象意を得られ、直ちに実占や鑑定に役立てることができます。 |