こんにゃく歳時記

ありゃ、打ち間違えちゃったわ~・汗)『今昔歳時記』がタイトルです~(^^;)懐かしい風景やHOTな今を書いていきます!

無宗教派でも、今是非、「信仰の心」が必要<感謝をする、という気持ちを持つことで。

2008年12月24日 02時47分55秒 | 『今日の出来事』
年が明ければ、“初詣”の時期ですが、
我が家では住まい一帯を守って頂きたい、という願いから
ここ何回か行っている神社へ行って来ました。

正直、巷で起こっているいろんな『災い』に会いたくない、
という気持ちは多々あります。
気をつけて過ごしていても、それでも
何んらかの災いにあっても仕方ないかも?と
思うくらいの頻繁さですよね、現在の社会で起こっている事件は、、、

せいぜい勤勉?誠実に過ごすくらいしか
仕方ないのかと思いますが、
せめて無事日々を送れたことに対する
感謝を語る対象があってもいいのではないか?
と思うのです。
それは、信仰対象だけでなく、両親とか、家族とか、
なんらかの謙虚さを示す相手があったほうがいい。

子供の頃の神仏へ向かって手を合わせるという行為は、
本来、子供を育てている親や周りの人々に対するもので
あるはずなんですけど、それを、神仏への信仰として
子供に伝えていたのではないかと。
今となっては思うのですよね。

「神も仏も信じられるか!!信じられるのは自分だけだ!」
では、絶対生活していけないはず。
そんなところを今成長してきている、子供達に
伝えてきたか?とか、思うんです。

親が子供に、日々の感謝の気持ちを、何か分からないけど、
無事生活が送れている感謝を述べる対象として、
信仰先を教えてもいい。
それほど、のめり込んで厚い信仰心はもたずとも、
そういう対象を子孫に伝えることで、
感謝の気持ちを持つことが大切だと思うのですよね。

のめり込まない信仰という点では、
日本人などは、結構ほどよい信仰心を持ち続けていると
いえると思うのです。

新年だけ、神社仏閣に『初詣』。
それでも、そんな時だけでも、なんらかの
心のよりどころとしての新年の気持ちを伝えるという点で、
ええんではないかと思うんです。

もっとも、初詣に、お願い事だけでなく、
是非、新年を迎えられた「感謝」も合わせて、
お祈り先へ申しましょう。
まずは、“無事新年を迎えられました。ありがとうございます。”
ですよね、
それでもって、「今年は○○でありますように」とお願いすべきでは?
と思うんです。

そんなこんなで、今日頂いてきたお札(おふだ)も、
これから一年我が家を守って頂ける様、
日々の生活のなかで、手を合わせたいと思います。
もちろん、感謝を込めて。

こんなことを書こうかなと思ったのも、
今日行った先での一言から。
「こちらでもお願いはいたしますけどね、
あなたも、お願いの心でしっかり祈ってくださいね」と。

ほんと、そうですよね、
他人任せではいけないのです。
信仰も、日々の生活も。

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