今日は久し振りの快晴で絶好のハイキング日和だ。前回の山の辺の道(北行)に続き、今回は石上神宮から桜井市に至る山の辺の道(南行)に挑戦することにした。
石上神宮前から南に折れ、少し歩くと果物の無尽販売所があった。こうした無人販売所は至る所で見られた。
また数分歩くと公衆トイレが。案内を見るとほぼ1kmおきに設置されている。北行きとは大違いだ。
その後は東の山から緩やかに下っている岡の中腹をのんびりと歩く。時々見所があり、丁寧な説明板がある。これが中々楽しく、丁度よい休憩にもなる。時々菜の花畑が広がり、梅も8分咲きだった。
行き交う人も多い。北行では2名としかすれ違わなかったが、今回は数十人のハイカーとすれ違った。
下の写真は景行天皇陵。日本武尊の父だが、その実在性は疑問視されている。
その先には展望台があり、大和三山を一望できる。
これは纏向川。もうすぐ大神神社だ。
ここで気付くが、これまで川らしい川も山もなかった。高低差があまりなく、緩やかにうねる道。つまりここまでは複合扇状地だったようだ。
やがて大神神社に着き、山の辺の道の起点と言われる海石榴市に至った。こう書いて「つばいち」と読む。市の名前ではなく地域の名前だ。奈良には難読地名は多いが、これは極め付けだろう。
そのすぐ先は大和川にぶつかり、ここが終点。552年仏教伝来の地との碑がある。むかし朝鮮から来た船がここに泊まり、交易で賑わったとのこと。別名初瀬というのもそこから来ているらしい。
石上を11時に出てここについたのは3時。やはり4時間の歩きだった。
大和川に向かい上流には長谷寺がある。
昔は汚染度No.1に長く君臨した大和川だが、近年は下水道の整備により、No.3ぐらいに改善しているらしい。
奈良盆地には、南北に通じる道として、東から上ツ道、中ツ道、下ツ道というほぼ直線の道路があるが、この官製道路ができるのは6世紀後半から。唐風の藤原京ができて大和王権が確立し、条里制が始まるころだ。
それまで自然発生的にできていたのが、この山の辺の道ということになるのだろう。