1929年に埼玉県秩父で生まれ
外務省に入省、
東欧第2課長
東欧第1課長
ソ連公使
防衛庁国際担当参事官
外務省情報調査局長
フィリピン大使
を務めた後、
杏林大学教授になった新井弘一氏。
新井弘一・杏林大学教授は
1970年代前半の外務省東欧第1課長時代、ソ連に譲歩しないよう田中角栄首相を説得し
1980年代中盤の防衛庁国際担当参事官時代、日米同盟強化に尽力した。
新井弘一・杏林大学教授は2000年代前半、
日本はウクライナ、グルジア、モルドバ、アゼルバイジャン、バルト三国を支援、協力しロシアに対抗するべきと主張していた。
ロシアは老獪狡猾で一筋縄ではいかず、短期の政策だけの対応ではロシアに翻弄されるので、100年単位の外交戦略で立ち向かうべきと主張していた。
日露戦争後、ポーツマスでの交渉でロシアが秘密交渉を主張してきたので応じた日本。
真面目過ぎる小村寿太郎はロシアの要求通り秘密厳守でメディアに沈黙した。
ロシア外務大臣ウィッテは秘密交渉であるにも関わらずメディアにあることないことを言いまくり日本を誹謗中傷し、日本が強欲で拡張主義の危険な国とメディアに主張した。
ロシア外務大臣の発言の真偽を日本に確認したメディアだったが小村寿太郎は秘密交渉なので沈黙を通した。
メディアは沈黙の小村寿太郎を暗い奴と嫌い、陽気で饒舌なウィッテを評価しウィッテの言う事を報道しまくった。
欧米で日本は根暗で強欲、拡張主義の危険な国と言うイメージをつけられた。
ロシアの外交は伝統的にそういうことをする、ロシアを迂闊に信用してはいけないと言う新井弘一・杏林大学教授。
ロシアと共産主義は謀略、工作、情報戦、心理戦、プロパガンダ流布が得意なので警戒を続けなければならないと主張した新井弘一・杏林大学教授。